漢字について

 ●漢字とは、中国大陸の広い範囲に住む漢民族が創り出した文字で、西暦紀元の前後およそ400年にわたった[漢]の時代の末までに、文字としての概要がほぼ固まったものである。
  これを歴史の年代順で見ていくと、およそ次のようになる。 (なお歴史上の各エピソードには異説も存在するが、ここではわかりやすいものにするため簡単にまとめている。)
 ○漢字の最初は伝説時代にまで遡る。その中では、皇帝の伏犧氏(庖犠氏)により、まず天地自然の現象を象徴化して現在も易経の記号として残る「八卦」が作られ、その八卦をもとに「書契」(文字)が作られたという話、あるいは
  黄帝に仕えた蒼頡(そうけつ)が、それまで用いた結縄に代えて、鳥獣の足跡から思いついて「書契」(文字)を発明した、などとするものである。しかしこれらは現存する物的史料がなく、いずれも伝説の域を出ない。
 ○現存する中国最古の文字資料は、[殷]の時代におこなわれた亀の甲を焼いて現れる裂け目の形で吉凶を占う[亀卜](きぼく)、あるいは牛の骨などを使った[卜占](ぼくせん)に、占いの対象とした事物などを併記した[卜辞](ぼくじ)である。
  この文字を「亀甲獣骨文字」略して「甲骨文字」、あるいは「契文」とも呼ぶ。現在の漢字に残る[卜]の字形は亀甲の裂け目の形に由来するとされ、すでに原始的な文字の域は脱しているが、まだ成立期の初歩的な段階と考えられている。
 ○[殷]の中期頃に青銅器時代が活況を呈すると、青銅器(金属器)の銘文として残る「金文」と呼ばれる文字があらわれる。金属器は刻んで彫り込むだけでなく鋳込むこともできるため、特に[周]の時代に入ると盛んに鋳造されるようになる。
  金文は字形的にはいまだ黎明期の象形・象徴的な特徴を大きく残すが、初期の西周の頃より形態的に整う方向へと向かい、次第に象形や指事の単体を複合(会意)した形声文字も増加し、銘文の記述も長文化して、内容も充実してくる。
  西周から東周へと移ると、金文の字体は時期や地域により違いが出てくるようになるが、春秋期から戦国期となると、各国間の往来によって、文字は類似性を帯びるようになったとされる。
 ○戦国期における[秦]では、書体差の多くなった金文を整理統一して「大篆」(ダイテン)と呼んだ。この整えられた書体は[石鼓文]あるいは[籀文]としても知られるが、現存史料は少ない。
  石鼓文は鼓状の石碑(石鼓)に刻まれた文字であるが、石鼓は10基が残るのみで保存状態も良くない。また西周の籀が著したとされる[史籀篇](籀文を定義した書)は現存しないため、大篆は金文からの過渡期的なものと考えられている。
 ○秦が[始皇帝]の代となり戦国期を平定して初の中華統一を果たすと、李斯に命じて大篆をもとに簡略化して均整のとれた荘重美麗な「小篆」(ショウテン)を作らせ、秦の統一書体として採用している。
  小篆は一般に[篆書](テンショ)とも呼ばれ、また秦の篆書の意から[秦篆]とも呼ばれた。優雅な細い線で書かれ格調高い字形を持つ小篆は、度量衡や器物規格の統一などとともに、始皇帝の権威・権力を誇示する手段としても用いられた。
  始皇帝は征服地などに小篆で刻んだ[始皇七刻石]と呼ばれる石碑(現在は保存状態の悪い2基が残るのみ)を建て、官製の枡や分銅にも小篆で書かれた[権量銘]と呼ばれる証明文を付けて配布し、官吏が使う証明用の官印にも小篆を用いた。
 ○ただし小篆は整いすぎて曲線的な筆画が多く、書写に時間を要し実用的ではなかったため、(俗説では)獄吏(官獄の役人)であった程邈(テイバク)が、小篆の筆画をできるだけ直線化・簡略化した能率的な事務用文字を作り
  官獄の下級役人(隷人)に使わせたため「隷書」と呼んだともいわれる。(この経緯は古代エジプトのヒエログリフ(神聖文字・聖刻文字)を書記官たちが素早く書くために簡略化したヒエラティック(神官文字)の成立過程とも似ている。)
  後漢期に書かれた「説文解字」の序文などによれば、秦には [大篆][小篆][刻符][虫書][摹印][署書][殳書][隷書] という「書の八体」があったとされる。このうち前述の[小篆][隷書]が一般に使われ、その他は特定の事物に使われた。
 ○始皇帝が亡くなったことにより[秦]が滅び、項羽と劉邦の覇権争い(楚漢戦争)の結果[漢]の時代になると、荘重美麗だが複雑で読み書きしづらい[小篆]は廃れ、簡略化され抽象的ながらも平易で実用的な[隷書]が一般通行の文字となる。
  隷書は、初期には殴り書き様の素朴な字体(古隷)であったが、整うにつれ次第に個々の文字が横長になり、横画あるいは左右の払いで特徴的な波打つような運筆(波磔)により、実用的かつ独特の荘重な雰囲気を持つ「八分」へと変化する。
  文字が横長になったのは柾目の木簡に筆と墨で書かれるようになったためとされる。蔡倫が[紙]の製法を大成するのは後漢期の西暦105年とされるが、紀元前150年頃の前漢期には、稚拙ながらも紙に類するものが作られていたようである。
  また隷書にも変化があり、前漢期には隷書を崩して字画を省略した「草書」がおこなわれるようになり、後漢期に入ると、隷書の走り書き「行書」や、隷書を字画厳正にしすべての文字をほぼ正方形に収まる形に書く「楷書」が誕生する。
  この後漢期には、15篇からなる字書「説文解字」が許慎により著されている。これは[小篆]を基本に隷書で字義と構造を説明した最古の部首別漢字字典であり、後世の規範となったため、ここに至って「漢字」の概要が固まったといえる。
 ○これら[漢]の時代に概要が固まった [草書][行書][楷書] は「書の三体」として今日に至っており「漢字」と総称される文字体系となっている。また現代では [篆書][隷書][楷書][行書][草書] で「書の五体」とすることもある。
  (以上のように、現在使われる「漢字」の基本[楷書]の直接の祖先は[隷書]であるが、隷書も古式な漢字の様式として捉えた場合は[小篆](篆書)が祖先となる。また甲骨文字から始まるすべてが漢字であるということもできる。)
  (ちなみに[篆刻]とは印鑑などの印章を彫ることをいうが、これは印章に彫る文字として荘重華麗な篆書が多く使われたことに由来する。)
  (漢字の歴史まとめ: [亀甲獣骨文字](甲骨文字) → [金文] → [大篆] → [小篆](篆書) → [隷書] → [草書][行書][楷書])
 ※漢字の概要が固まった後漢期のことを記した「後漢書」の東夷伝には、漢の倭(委)の奴の国王が後漢に朝貢し、光武帝から印綬を授けられた、とある。これは現在の福岡県の志賀島で江戸時代に発見された「金印」の記述と見られており
  この頃には少なくとも一部の漢字は日本でも使える者がいたと推測される。[漢]が滅んで[魏][呉][蜀]の三国時代には、魏のことを記した「魏志」倭人伝(「三国志」中の[魏書]烏丸鮮卑東夷伝倭人条)に、女王[卑弥呼]の名が見られる。
  さらに朝鮮半島の百済を経由して来朝した博士王仁(和邇吉師)が持参した[論語][千字文]によって日本(倭)へ漢字の全貌が伝わったとされるのは、[漢]の時代より数百年後の西暦405年(応神天皇15年、中国では南北朝時代)とされている。
 ※その後は(会意などによって新しい漢字が追加されることはあっても)、漢字全体に及ぶ包括的な変化は、ほとんどない時代が長く続く。[隋]では、漢字の発音を2つの漢字で示す[反切]という方法を用いた[韻書]の「切韻」が作られた。
  [隋]から[唐]の時代にかけては、倭国から[遣隋使]、倭から国号を改めた日本から[遣唐使]が派遣され、遣唐使の最澄や空海らが持ち帰った中国の字書[玉篇]をもとに空海が著した[篆隷万象名義]が、現存最古の日本製字書となっている。
  さらに時代が下ると、中国では漢民族が異民族による征服を受け [遼][金][元][清] の「征服王朝」に支配されるが、大多数の漢民族を異民族が支配するためか、これらの王朝でも漢字についての字書や韻書が作られているのは興味深い。

 ●漢代に漢字が定まった後漢期に成立した初の字書[説文解字]は、各項の文字(親字:おやじ)には小篆(篆書)を用いており、部首数は540であった。
  この方式は[晋](西晋)の[字林]でも同様だったとされるが、南北朝期[梁]の[玉篇]では親字を楷書とする改良が施され、部首数は542となった。
  宋代に北方から侵入して初の征服王朝となった[遼]にて編纂された「龍龕手鑑」では、部首は篆書の字源にこだわらず、すでに抽象化された楷書の偏旁そのままを採用したため部首数が242まで減り、異体字を含めて検索が容易になった。
  蒙古族の征服王朝[元]を北伐して漢民族王朝が復興した[明]の時代には、初めて部首の数を214とした字書「字彙」が著されている。これは画数順に214部首を並べ、部首に属する漢字の排列をすべて画数順とした、画期的なものであった。
  明を滅ぼした満州族の愛新覚羅氏による征服王朝[清]の康熙帝の時代には、漢代の「説文解字」以降の字書の集大成として「康熙字典」が編纂されている。49030字・214部首で、現代にも通ずる字典の祖であり Unicodeにも影響している。
 ※現代の視点から見れば、現在使われる明朝体などの書体が参考にした「康熙字典」は無視することのできない重要な字書であり、さらに漢字を遡る場合には、篆書で載っている「説文解字」にたどり着く、という流れになると思われる。
  近現代の研究者などの間で[字典]といえば、ほぼ間違いなく清の[康熙字典]のことを指していると考えてよい。同様に「説文解字」は「説文」と略す。

 ●漢字の「書体」について (ここでは印刷用に整理され揃えられた文字の表現様式を[書体]とする。印刷書体は古くは木版印刷の表現様式であり、活字を使う活版印刷や写真植字を経て現在のパソコンや DTP等のフォントにも使われる。)
 ○[紙]の製法は漢代の西暦105年に蔡倫によって大成されている。これに世界で最初に[印刷]をおこなったのも中国であった。印刷とは彫った版に墨などをつけ紙に転写することだが、版の作り方で[木版印刷]と[活版印刷]とに大別される。
  木版印刷は一枚板の木版[版木]に文字や図柄を裏向きに浮き彫り状に彫り込む方式であり、活版印刷はあらかじめ[印章]様に文字を裏向きに彫り込んだ[活字]を用意しておき、必要な活字を組み合わせることにより文章を構成(植字)して
  印刷用の版を組み上げる[組版]方式である。活字の素材には木製のものから膠泥活字(こうでい:モルタルまたは粘土を焼成して作った)や金属製なども用いられた(鋳造活字は1234年に朝鮮半島の高麗で発明され実用化されたとされる)が、
  近代に入る19世紀頃までは、活字を用いるには漢字自体の膨大な文字数を事前に揃えておく必要が生じることから活版印刷が主流になることはなく、必要に応じて個別に版木を彫って印刷する、木版印刷が主流であった。
  木版印刷の始期は遺物がなく不明だが、活版印刷は8世紀後半の隋唐期にはじまったとされる。また中国では9世紀以降、大量の印刷物が作成されている。(日本の法隆寺に残る[百万塔陀羅尼](770年)は世界最古の印刷物とされる)
 ○木版(版木)か活版(活字)かを問わず、印刷がおこなわれるようになると、読みやすくするため書体を統一する動きが出てくる。漢代にできた[楷書]が大成されるのは唐代であるが、印刷用の書体には楷書をもとにした[楷書体]が使われた。
  楷書体は、毛筆で書かれた手書きの楷書をほぼそのまま用いた書体で、唐代に入ると楷書体も洗練されるが、毛筆の筆致を再現するのに曲線を要することから、字形の彫刻には手間がかかったとされる。
  明代の後半以降には、楷書体の特に普及した書体から、個々の漢字をやや右上がりに統一して筆致の曲線を抑え、筆画の太さを揃えて直線化した [宋朝体](中国語:仿宋体)と呼ばれる書体も多用された。
  さらに明から清にかけての時期には、横画を細い水平な平行線に統一し、本来の毛筆においておこなわれる止めや折れといった筆押さえの箇所を三角形に盛り上げて強調する、[明朝体](中国語:宋体,明体)と呼ばれる印刷書体が誕生した。
  この明朝体は、清の康熙帝による[康熙字典]の親字にも用いられ、日本では平仮名・片仮名などにも適用されて、現在も「MS 明朝」「花園明朝」「MingLiu」などコンピュータ・フォントのデザイン上の基本書体として活用されている。
 ※康熙字典の親字に用いられている書体は、清朝当時の標準であった[明朝体]をもとにしつつも毛筆筆致の楷書風に書かれたやや独特なもので、研究者などの間では特に[康熙字典体]もしくは縮めて[字典体](字典體)と呼ばれることがある。
  また実際の康熙字典に見られる字形の不統一などがすべて解消されたものと仮定した、「いわゆる康熙字典体」と呼ばれる仮想的・理想的な文字集合も(多くの場合は出版関係者や理論上の話となるが)使われることがある。
 ※毛筆筆致の[楷書]をもとにした[楷書体]には、[毛筆体]とか[清朝体]と呼ばれるものもある。また規範的で明瞭な字形表現が求められる教科書などに多く用いられる[教科書体](昭和7年頃~)も、楷書体の一種である。
  [草書]や[行書]は、当初は[隷書]を崩しておこなわれたが、現在は一般に[楷書]を崩しておこなわれる。崩し方の度合いが強く、縦書きにおいて続け書きも多用される[草書]については、印刷活字やコンピュータフォントには向かないが
  崩し方の緩い[行書]については、[行書体]として活字やフォントに用いられることも多い。また同様に古式な漢字の書風を出す目的で、[八分]をもとにした[隷書体]や、さらに古い[小篆]による[篆書体]などが用いられることもある。
 ※なお「MS ゴシック」「メイリオ」などの、日本では[ゴシック体](中国語:黑体)と呼ばれる書体は、近現代になってから、欧文の活字やフォントからの影響を受けて登場した、比較的新しい書体である。
  ゴシック体は筆押さえの三角形などの強調箇所を持たず、すべての筆画の太さが一様に均等で、毛筆の筆致に縛られないため自由なデザインが可能となっている。線画の端は、四隅が角張っているものや丸まっているものなど多様である。
  (欧文では「装飾的に突出する部分(セリフと呼ばれる)を持たない」という意味のサンセリフ(Sans Serif)に相当する。英語の綴りは Gothic だが、欧文書体の Gothic は、日本語でいうゴシック体とは雰囲気が異なるため注意が必要。)
 ※漢字についての伝統的な印刷書体は、前述した[楷書体][宋朝体][明朝体]の3種に代表されるが、パソコン用フォントでは[明朝体][ゴシック体]に続いて[楷書体]、あとは古風な効果を狙って[宋朝体][隷書体][篆書体]などが使われる。
  このほか特に日本では文字をおもに毛筆筆致で極太にし図案化した[勘亭流](芝居文字),[橘流](寄席文字),[根岸流](相撲字),[角文字]なども使われることがあり、これらは総称して[江戸文字]と呼ばれる。
  なお、明朝体の線の強弱が緩いものを[アンチック体]と呼ぶことがある。(これは英語で[おどけた]という意味の[Antic]もしくは[古風な]という意味のアンティーク(Antique)に由来すると思われる。)
  日本語では一般に漢字と仮名文字を一緒に用いるため、文中の漢字の箇所をゴシック体、仮名文字の箇所を明朝体(アンチック体)、と細かく分けて一緒に表示し、視覚的にメリハリをつけた効果を狙う場合があるが
  この効果を簡単に得られるようにするため、ゴシック体の漢字とアンチック体の仮名が、あらかじめひとつのフォントにまとめられているものもある。
  それらのフォントまたは効果は「アンチゴチ」などと呼ばれるが、この効果が漫画の吹き出し(台詞)に多く用いられることから「コミック体」の名称を持つものもある。

 ●漢字は [象形][指事][会意][形声] といった文字構造に関する原則を持ち、それぞれの文字が固有の意味を持つ「表意文字」または固有の語を成す「表語文字」として、長い歴史の中で発展してきた文字である。
  これは世界の他の多くの文字が単音をあらわし文字自体は意味を持たない「表音文字」であるのと異なる点であり、古来より東アジアの 中国・日本・朝鮮・ベトナム (CJKV)等で使われ「漢字文化圏」を形成してきた。
 ※読み方については、日本では従来の日本語に当てはめて使う[訓読み]と、中国から伝わった時代ごとの発音を残した[音読み]とがあり、漢字1文字に対して複数の読み方がある場合が多くなっているが
  本来の中国語では、基本的には(七大方言などの言語地域による発音の違いや、時代ごとの変遷はあるものの、現代という時代に限ってみれば)、ひとつの漢字の読み方はひとつだけである(限られた100字ほどの例外を除く)。
 ※漢字に関係する文字には、日本語の[国字]や[仮名]、朝鮮語の国字(朝鮮製漢字)、ベトナム語の国字にあたる[チュノム]などがあり、漢字の本家である中国にも[則天文字]と呼ばれる特異な漢字がある。
 ・日本の[国字]は[和字](倭字)とも呼ばれ、本来の中国伝来の漢字にはない日本製の漢字(和製漢字)のことである。[辻][迚][遖][梺][畑][畠][峠][杢][枠][桝][糀][榊][働][躾][鰯]など多くは漢字のパーツを組み合わせた「会意文字」だが
  仮名文字の字形を組み合わせた[匂]や、[苅][襷]など日本製か中国製かの区別がつかないものもあり、正確な字数は不明とされる。(漢字による熟語は[漢語]ともいい、中国の漢字の持つ意味とは異なる日本語の読みは[国訓]ともいう。)
 ・日本語の[仮名]というのは[真名](=漢字)に対する語であり、漢字本来の表語文字としての用法(漢語・漢文)から外れて、漢字で日本語の読み方を記した用法(後世に「万葉仮名」と呼ばれる)にはじまる「表音文字」である。(後述)
 ・朝鮮製の漢字には、漢字のパーツを組み合わせたもの[畓][𠩍][曺][㕦][夻][巭][頉][囍][䭏][哛]、[乭][乤][乷][乶][乫][䯩][厁][乺][㐒][㖌]、[垈][娚]などのほか、ハングルのパーツ(字母)を組み合わせたもの[巪][䎛]などもある。
 ・ベトナム語の[チュノム](𡨸喃)は、複雑なベトナム語の発音表記のために漢字が応用されたもので [𥪝][𡗶][𠢬][𦋦][𣎞][𧷺][𥗳]など、数字も[𠬠][𠄩][𠀧][𦊚][𠄼][𦒹][𦉱][𠔭][𠃩][𨒒][𤾓][𠦳]や[𥘶][𠄻][𨔿]などの複雑な字形が多い。
  なおチュノムの[チュ]には、[𡨸]のほか[𫳘][𪧚][𫿰][𡦂]といったチュノム、あるいは中国語由来の漢字[茡][芓][佇][宁]や[字]を使っても構わないとされる。チュノムの[ノム]には[喃]または[諵]の漢字を使う。
 ・中国でも唯一の女帝として君臨した唐代の武則天(則天武后)により[則天文字]が作られている。
  [曌][瞾][𠑺][𠀑][埊][𡆠][囝][𠥱][〇][𠺞][𠁈][𠱰][𢘑][𠀺][𡕀][𠧋][𡔈][𠡦][𠦚][𠙺][𥢓][𥠢][𤪉][𨭻][𨲢][圀][𤯔][𢈗][𠤵][𠩍]などであり、文字数については様々な説があるが、最大でも30文字前後とされる。
  武則天の在位は15年間で、没後はほぼ使われなくなったが、[〇]は漢数字のゼロ(零)の意に使われ、[圀]は日本においては水戸黄門としても知られる徳川光圀の名前の文字として使われたことから一般的な漢字としても定着している。
 ※この他、漢字系統の文字には [僰文](ほくぶん,白(ぺー)文字,方塊白字),[女書](にょしょ,女文字),[契丹(きったん)文字],[西夏(せいか)文字],[女真(じょしん)文字],[傈僳(リス)音節文字],[苗(ミャオ)変形漢字],
  [壮(チワン)文字](古壮字,方塊壮字),[布依(プイ)字],[瑶(ヤオ)字],[水(スイ)書](水文字,中国:貴州省三都水族自治県),[カイダー字](沖縄:与那国島/竹富島)などが挙げられる。(分類方法もいくつかあるが、ここでは扱わない)

 ●漢字の簡略化は古くから慣習的におこなわれてきた。伝統的な[略字][俗字]といったものであるが、このためひとつの漢字に複数の字形バリエーションが生じて統一性を欠く状況が続き、近代になると特に教育などで混乱が生じた。
 ○中国では清朝末期の1909年に「普通教育に俗字を採用すべき」との陸費逵による論文が発表され、これが近代化を指向した漢字の簡略化(簡化)運動の始まりとされている。
  中華民国期には[簡体字](簡體字)の名称で導入予定(1935)であったものの中止(1936)となっているが、国共内戦を経て誕生した中華人民共和国の成立(1949)から数年後(1956)には、[简化字](簡化字)の名称で制度化されて現在に至る。
  (このためか、中国語で使われる漢字の簡略字体は、日本語では「簡体字」と呼ばれる。また簡体字の元になったものや簡略化されなかったものも含めて、もともとの中国語での伝統的な漢字を「繁体字」と呼ぶ。)
 ○[簡体字]とは、従来の漢字を簡略化した字体のことである。古来からの伝統的な字体とは異なり、現代の中華人民共和国において、字体の簡略化がおこなわれた漢字を指し、正式には[简化字(簡化字)]という。
  これに対応する従来の伝統的な字体は一般に[繁体字](もしくは[傳統字(伝統字)])と呼ぶ。これは中華民国(台湾)や、中国に返還された香港、マカオなどで用いられている。台湾では[正體(字)(正体字)](または[標準字])が正式名称である。
  繁体字と簡体字は、中国人なら両方とも読めるとされる(この場合の[中国人]には少数民族や[台湾人]などは含まない可能性がある)。
 ○日本で大正期から数次にわたり実施された[新字体]も簡体字と同様に「伝統的字体からの簡略字体」であるが、新字体と比べると簡体字は簡略化の度合いが強く、部首の字体も簡略化しているため、字数が圧倒的に多いことが特徴といえる。
  現在の日本では[新字体]を使っていることもあり、日本でいう[旧字体]が含まれる繁体字と、簡体字との差は、日本人には特に大きく感じられることがある。この差異の概略を掴むため、抜粋して以下に例を示す。
  (繁体字と簡体字の両者の違いは [繁体字-簡体字] の順で示し、三者で違いがある場合は [新字体-繁体字-簡体字] の順で示した。また新字体と旧字体の違いについては [新字体/旧字体] のように示している。)
  (ここでは日本語からの視点で繁体字と簡体字に加えて旧字体と新字体についても比べやすいよう、次のように分けている。一部の旧字体など異体字セレクタが必要な場合もあるが、ここではプレーンテキストのみでの表現にしている。)
     {部首}....(部首字の相違点。これらの部首に属する漢字はすべて簡体字となり繁体字(日本語の漢字を含む)との違いが出ることになる。字体の簡略化により画数において大きく異なる。ここでは康熙字典の部首順に並べている。)
     {偏旁}....(前項<部首>を除いた「簡化偏旁14種」のうち、康熙部首には含まれないもの。そのため日本ではあまり使われない表示困難な文字を含む。Unicode未登録により単体の文字では表示できない構成要素部分は除外した。)
     (ABC).....(部首字以外の偏旁字。「偏旁に使うことができる簡化字」132件より<部首>と重複する部首字を除いたもの。)
     (abc).....(その他抜粋。日本語でもよく使うと思われる漢字から、やや特徴的なものを抜粋。)
     {A}/{a}...(繁体字=日本語。日本語では繁体字と同じ伝統的な字体を用いるもの。日本語で使わないものも含む。日本では簡略化されなかった文字で、繁体字の伝統字体が主となるもの。繁体字(≒日本語)と簡体字との違いが明瞭。)
     {B}/{b}...(簡体字=日本語(新字体)。中国の簡体字が日本の新字体と同じ字体を用いるもの。すなわち、簡略化により結果的に日本と中国とで同じ字体になったもの。[繁体字]=[旧字体]となることが多い。)
     {C}/{c}...(三者とも異なるもの。伝統的な繁体字に対し、日本では新字体、中国では簡体字が、それぞれ異なる字体で追加されたもの。)
     {d}.......(日本での簡略字体[新字体]と、その元の漢字[旧字体]。新字体の中には日本でしか使われない字体もあり、旧字体の中には現代の中国語ではあまり使われなくなったものもある。前項までの既出字は除外。)
  {部首}:[糸(糹)-纟][見-见][言(訁)-讠][貝-贝][車-车][金(釒)-钅][長-长][門-门][韋-韦][頁-页][風-风][飛-飞][食(飠)-饣][馬-马]([骨-⻣])[魚-鱼][鳥-鸟][鹵-卤][麥-麦][黽-黾][齊(斉)-齐][齒(歯)-齿][龍(竜)-龙][龜(亀)-龟]
  {偏旁}:[戠-只][䜌-亦][咼-呙][臤-〓][昜-𠃓][睪-𠬤][巠-𢀖][𤇾-𫇦]
   {A}...[愛-爱][罷-罢][備-备][筆-笔][畢-毕][倉-仓][嘗-尝][芻-刍][竄-窜][達-达][噹-当][東-东][動-动][隊-队][爾-尔][岡-冈][過-过][華-华][匯-汇][彙-汇][幾-几][夾-夹][戔-戋][監-监][薦-荐][儘-尽][進-进][離-离][麗-丽][劉-刘]
      [婁-娄][盧-卢][滷-卤][慮-虑][侖-仑][羅-罗][買-买][聶-聂][寧-宁][農-农][豈-岂][遷-迁][僉-佥][喬-乔][親-亲][窮-穷][嗇-啬][審-审][聖-圣][師-师][時-时][孫-孙][無-无][尋-寻][厭-厌][堯-尧][業-业][義-义][陰-阴][猶-犹]
      [雲-云][鄭-郑][執-执][質-质]
   {B}...[參-参][蟲-虫][當-当][黨-党][斷-断][國-国][畫-画][會-会][將-将][盡-尽][來-来][區-区][壽-寿][屬-属][雙-双][條-条][萬-万][獻-献][寫-写][與-与]
   {C}...[辺-邊-边][賓-賓-宾][産-產-产][従-從-从][帯-帶-带][単-單-单][対-對-对][発-發-发][髪-髮-发][豊-豐-丰][広-廣-广][帰-歸-归][節-節-节][挙-擧-举][殻-殼-壳][楽-樂-乐][歴-歷-历][暦-曆-历][両-兩-两][霊-靈-灵][虜-虜-虏]
      [録-錄-录][売-賣-卖][難-難-难][気-氣-气][殺-殺-杀][粛-肅-肃][歳-歲-岁][為-爲-为][郷-鄕(鄉)-乡][亜-亞-亚][厳-嚴-严][芸-藝-艺][隠-隱-隐][専-專-专]
   {a}...[佇-伫][個-个][倫-伦][偉-伟][偽-伪][傘-伞][傷-伤][僅-仅][僕-仆][億-亿][償-偿][冊-册][務-务][問-问][喪-丧][場-场][塵-尘][奪-夺][奮-奋][層-层][嵐-岚][廠-厂][懸-悬][掃-扫][採-采][敵-敌][斬-斩][曇-昙][書-书][極-极]
      [槃-盘][樅-枞][標-标][樹-树][櫛-栉][湊-凑][準-准][溝-沟][滅-灭][潔-洁][澗-涧][災-灾][煙-烟][瑤-瑶][畝-亩][異-异][盤-盘][瞼-睑][祇-只][種-种][競-竞][筍-笋][箇-个][範-范][篠-筱][簡-简][糧-粮][結-结][絲-丝][習-习]
      [聞-闻][聯-联][職-职][腎-肾][臨-临][興-兴][葉-叶][蓋-盖][蔭-荫][蘭-兰][蠅-蝇][衆-众][術-术][衹-只][補-补][襲-袭][誇-夸][論-论][謎-谜][講-讲][議-议][負-负][買-买][軍-军][載-载][輪-轮][連-连][運-运][遜-逊][遠-远]
      [適-适][選-选][遼-辽][還-还][郵-邮][鄧-邓][醜-丑][鍋-锅][開-开][間-间][陸-陆][陽-阳][階-阶][電-电][霧-雾][韓-韩][韻-韵][頭-头][餃-饺][養-养][饗-飨][鬥-斗][鳳-凤][麽-么]
   {b}...[亂-乱][亙-亘][俁-俣][俠-侠][內-内][剎-刹][剝-剥][勵-励][囑-嘱][墮-堕][壯-壮][奧-奥][學-学][寢-寝][寶-宝][屆-届][峽-峡][嶽-岳][彌-弥][徑-径][恆-恒][慘-惨][戀-恋][擔-担][數-数][斷-断][晉-晋][晝-昼][樓-楼][樞-枢]
      [橫-横][歐-欧][殘-残][毆-殴][沒-没][淺-浅][溫-温][滯-滞][潛-潜][濕-湿][灣-湾][燈-灯][爐-炉][爭-争][狀-状][狹-狭][獨-独][獻-献][癡-痴][盜-盗][盡-尽][祕-秘][禮-礼][禰-祢][稅-税][稱-称][竊-窃][箏-筝][經-経][聲-声]
      [臺-台][舊-旧][莖-茎][虛-虚][號-号][蠶-蚕][蠻-蛮][裝-装][觸-触][譽-誉][踐-践][軀-躯][辭-辞][迺-乃][醫-医][釐-厘][隨-随][靜-静][餘-余][體-体][黃-黄][點-点]
   {c}...[並-竝-并][伝-傳-传][併-倂-并][児-兒-儿][処-處-处][剤-劑-剂][労-勞-劳][呉-吳-吴][営-營-营][団-團-团][囲-圍-围][図-圖-图][圧-壓-压][堅-豎-竖][塁-壘-垒][塩-鹽-盐][壊-壞-坏][変-變-变][奨-奬-奖][嬢-孃-娘][実-實-实]
      [寛-寬-宽][庁-廳-厅][廃-廢-废][弁-辯-辩][弐-貳-贰][弾-彈-弹][徴-徵-征][応-應-应][悩-惱-恼][悪-惡-恶][懐-懷-怀][戦-戰-战][戯-戲-戏][択-擇-择][拠-據-据][拡-擴-扩][揺-搖-摇][摂-攝-摄][撃-擊-击][斎-齋-斋][暁-曉-晓]
      [栄-榮-荣][桜-櫻-樱][桟-棧-栈][検-檢-检][様-樣-样][権-權-权][欄-欄-栏][歓-歡-欢][沢-澤-泽][浄-淨-净][浜-濱-滨][涙-淚-泪][済-濟-济][満-滿-满][滝-瀧-泷][漢-漢-汉][瀬-瀨-濑][焼-燒-烧][犠-犧-牺][猟-獵-猎][獣-獸-兽]
      [畳-疊-叠][県-縣-县](禅-禪-禅)[穀-穀-谷][穏-穩-稳][絵-繪-绘][継-繼-继][続-續-续][総-總-总][緑-綠-绿][緒-緖-绪][練-練-练][縁-緣-缘][縄-繩-绳][縦-縱-纵][繊-纖-纤][聴-聽-听][脳-腦-脑][臓-臟-脏][艶-艷-艳][荘-莊-庄]
      [著-著-着][薬-藥-药][蛍-螢-萤][衛-衞-卫][視-視-视][覚-覺-觉][覧-覽-览][観-觀-观][訳-譯-译][証-證-证][読-讀-读][諸-諸-诸][謁-謁-谒][謡-謠-谣][謹-謹-谨][譲-讓-让][讃-讚-赞][賛-贊-赞][贈-贈-赠][転-轉-转][軽-輕-轻]
      [逓-遞-递][遅-遲-迟][醸-釀-酿][釈-釋-释][鉄-鐵-铁][銭-錢-钱][鋳-鑄-铸][錬-鍊-链][鎮-鎭-镇][関-關-关][険-險-险][隷-隸-隶][雑-雜-杂][響-響-响][頻-頻-频][頼-賴-赖][顔-顏-颜][顕-顯-显][類-類-类][餅-餠-饼][駅-驛-驿]
      [駆-驅-驱][騒-騷-骚][験-驗-验][鶏-鷄-鸡][麺-麵-面][齢-齡-龄][円-圓-圆(元)]
   {d}...[清/淸][乗/乘][仏/佛][侮/侮][仮/假][僧/僧][価/價][倹/儉][免/免][剰/剩][剣/劍][効/效][勅/敕][勉/勉][勤/勤][勲/勳][勧/勸][卑/卑][巻/卷][即/卽][喝/喝][嘆/嘆][器/器][圏/圈][塚/塚][塀/塀][増/增][墨/墨][壌/壤][壱/壹]
      [層/層][巣/巢][廊/廊][徳/德][悔/悔][慎/愼][慨/慨][憎/憎][懲/懲][戻/戾][払/拂][抜/拔][拝/拜][挟/挾][挿/插][掲/揭][捜/搜][収/收][叙-敍][敏/敏][既/既][晩/晚][暑/暑][曽/曾][朗/朗][梅/梅][概/槪][歩/步][殺/殺][毎/每]
      [海/海][渉/涉][渇/渴][渓/溪][渋/澁][煮/煮][瓶/甁][痩/瘦][真/眞][研/硏][砕/碎][碑/碑][社/社][祈/祈][祉/祉][祖/祖][祝/祝][神/神][祥/祥][禍/禍][福/福][稲/稻][穂/穗][突/突][粋/粹][糸/絲][繁/繁][欠/缺][缶/罐][署/署]
      [者/者][臭/臭][薫/薰][蔵/藏][褐/褐][褒/襃][覇/霸][予/豫][弁/辨][弁/瓣][逸/逸][郎/郞][都/都][酔/醉][鉱/鑛][陥/陷][隆/隆][翻/飜][髄/髓][闘/鬭][黒/黑][黙/默]

 ●日本における漢字の簡略字体は「新字体」と呼ばれる。また新字体の元になった伝統的な漢字は「旧字体」と呼ばれる。
 ○日本の教育制度は、1872(明治5)年の「学制」公布に始まる。当初の教科書は自由に(または無秩序に)印刷・発行されたが、規範的な統一字体がなかったため、教科書に載る漢字や仮名文字の字体には、印刷所によりバラつきがあった。
  また教える教師の側にも混乱があり、初等教育の尋常小学校で児童に漢字の書取をさせても、「点の有無」など教師の認識により、児童がマルをもらえるか罰点をつけられるかについては、確固たる基準がない、という状況が長く続いた。
 ・その後、教育制度は1879年に「教育令」、1886年に「学校令」へと変わっており、教科書は認可制(1883)や検定制(1886)を経て、1903(明治36)年より「国定教科書」(~1945(昭和20)年)となっているが、
  それでもまだ、江戸時代の寺子屋以前から伝統的・慣習的に用いてきた漢字の字体を、全国レベルで整理・統一するには至らなかった。
 ○当時の漢字資料には、1908(明治41)年に文部省国語調査委員会が作成した「漢字要覧」がある。その中の「第二 漢字ノ變遷及ビ字體」(漢字の変遷及び字体)において、説文解字や干禄字書に載るものや康熙字典体を[正體]、
  略字や俗字などを[別體]として、それぞれ例字を掲載した上で「別體ヲ用ヰルモ妨ナシ」(別体を用いるも妨(さまたげ)なし=別体を用いてもよい)としている。これは手本を示したものの従来の姿勢を確認したに過ぎないものであろう。
 ・漢字要覧の次には、1919(大正8)年に文部省国語調査室が「漢字整理案」を作成している。ここでは「本案は尋常小学校の各種教科書に使用せる漢字二千六百余字に就きて、字形の整理を行い其の標準を定めたるものなり。」
  「本案の整理方針は簡便を主とし、慣用を重んじ活字体と手書体との一致を図るに在り。」とし、「将来広く国民教育上採用せんとする見込みなれども、今先ず之を公にして普く(あまねく)世の批評を求むることとせり。」としている。
  これは一般社会の利用に供する前に、文部省内や帝国大学など学識者間で検討して簡略字体を決めるための案に過ぎないが、まとまった資料としては、おそらくこれが、漢字簡略化を目指した実質的な先駆けであろう。
 ・ちなみに、史料として残るものの中には、1938(昭和13)年の「漢字字体整理案」の前書きに「明治四十五年以来の懸案」として「文部省における漢字の字体整理は、明治四十五年頃から始まって居るが、その後しばらく中絶した。」とあり
  具体的な検討資料等は残されていないものの、1912(明治45)年頃には、字体整理に向けた何らかの検討が始まっていたようである。
 ○公式のものでは、1923(大正12)年に日本ではじめて作成された「常用漢字表」について、別途に 154字の「略字改正」を追加し、「左の字体を本字として用いること」と明記して、世界ではじめて正式に、簡略字体を採用している。
  ただしこの大正期の常用漢字表は、5月に正式決定まではされたものの、東京大阪の新聞各社と連携して実施予定としていた9月1日当日に「関東大震災」が発生したことにより、実施不能となる憂き目を見ている。
  よって最初の常用漢字は、当時の世間一般に認知されることは無かったが、新聞社や出版社などでの漢字利用の指針のような形で、非公式に運用されていた可能性はあるものと考えられる。
  公式には、1931(昭和6)年の「常用漢字表」改訂版の発表まで、8年を待つことになる。
 ・漢字の簡略化はその後、戦後期の1949年に当用漢字の印刷用標準字体を示した「当用漢字字体表」において、数多くの新字体が追加されたことが知られるが、それ以前や以後の漢字表でも、毎回若干数の新字体が追加されている。
  その間にも、国語審議会では1937(昭和12)年「漢字字体整理案」で第一種文字743字と第二種文字289字の計1032字が検討され、1942(昭和17)年の「標準漢字表」(2669字)発表前の素案(答申:3種計2528字)の元になっている。
  また戦後には、1947(昭和22)年「活字字体整理案」、1954(昭和29)年「当用漢字補正案」、1977(昭和52)年「新漢字表試案」などがあり、公式な漢字表などのための検討が重ねられてきている。
 ○大正期の「常用漢字表」決定の翌週に発表された「略字改正」の、ほぼ全容を、以下に示す。
  (縦書きを横書きに直し、現代の Unicode にも未登録とみられる一部の異体字は[〓]で示した。括弧内の漢字は字典体。前半部分は共通する要素や構成を含むもので、後半部分は個別に変更されたと思われる文字である。)
   勧(勸) 沢(澤) 変(變) 茎(莖) 併(倂) 斉(齊) 残(殘) 労(勞) 举(擧) 歯(齒) 窓(窗) 為(爲) 参(參) 発(發) 乱(亂) 赱(走) 悩(惱) 担(擔) 寿(壽) 楽(樂) 竜(龍) 𢈘(鹿) 虚(虛) 独(獨) 虫(蟲)
   権(權) 択(擇) 恋(戀) 径(徑) 塀(塀) 斎(齋) 浅(淺) 営(營) 誉(譽) 齢(齡) 総(總) 偽(僞) 惨(慘) 廃(廢) 辞(辭) 〓(徒) 脳(腦) 胆(膽) 鋳(鑄) 薬(藥) 滝(瀧) 䴡(麗) 戱(戲) 触(觸) 蚕(蠶)
   潅(灌) 訳(譯) 蛮(蠻) 経(經) 瓶(甁) 済(濟) 賎(賤) 栄(榮) 断(斷) 湿(濕) 属(屬) 帯(帶) 両(兩) 鼡(鼠) 潜(潛) 〓(從) 処(處) 耒(來) 数(數) 読(讀) 随(隨) 聴(聽) 遅(遲) 疂(疊)
   歓(歡) 駅(驛) 湾(灣) 軽(輕) 餅(餠) 剤(劑) 銭(錢) 学(學) 継(繼) 顕(顯) 嘱(囑) 滞(滯) 満(滿) 猟(獵) 賛(贊) 𦂵(縱) 拠(據) 麦(麥) 楼(樓) 続(續) 髄(髓) 廰(廳) 觧(解) 摂(攝)
   観(觀) 釈(釋)           研(硏)           覚(覺)
   児(兒) 励(勵) 囯(國) 円(圓) 壱(壹) 写(寫) 扣(控) 条(條) 帰(歸) 炉(爐) 献(獻) 畄(畱) 礼(禮) 糸(絲) 声(聲) 旧(舊) 号(號) 豊(豐) 逓(遞) 医(醫) 関(關) 霊(靈) 舘(館) 闘(鬭) 点(點) 亀(龜)
   仮(假) 𠜇(刻) 甞(嘗) 囲(圍) 図(圖) 実(實) 宝(寶) 叙(敍) 様(樣) 氕(氣) 犠(犧) 画(畫) 尽(盡) 称(稱) 欠(缺) 台(臺) 万(萬) 証(證) 弁(辨)(辯)  辺(邊) 鉄(鐵) 双(雙) 余(餘) 体(體) 塩(鹽) 党(黨)
  このうち、いくつかの文字は普及しなかったものの、大半は現在も、いわゆる「新字体」として継承されているものである。
  (以上のうち現在の常用漢字表にないもの → 潅(灌) 賎(賤) 举(擧) 鼡(鼠) 赱(走) 〓(徒) 〓(從) 𦂵(縱) 耒(來) 𢈘(鹿) 䴡(麗) 廰(廳) 觧(解) 疂(疊) 𠜇(刻) 甞(嘗) 扣(控) 氕(氣) 畄(畱) 舘(館) )
 ※現在の日本語は、便利に使える「新字体」の恩恵に浴しているが、それがどのように取捨選択され、あるいは改良されてきたかは、興味の尽きないところである。
  昭和期以降の公式な漢字表ごとにあたらしく追加された、いわゆる新字体に着目して見ていくと、おおよそ次のようになる。(一部、字形選択肢を用いる必要が生じるものは割愛した。)
   1931(昭和6)年の「常用漢字表」→ 剰(剩) 冗(宂) 渊(淵) 畄(留) 粛(肅)
   1942(昭和17)年の「標準漢字表」→ 区(區) 対(對) 岳(嶽) 弥(彌) 会(會) 涼(凉) 溌(潑) 窃(竊) 並(竝) 縄(繩) 群(羣) 蝿(蠅) 弐(貳) 輌(輛) 醗(醱) 麹(麴) 麺(麵)
   1946(昭和21)年の「当用漢字表」→ 免(免) 届(屆) 強(强) 挙(擧) 拡(擴) 枢(樞) 欧(歐) 殴(毆) 潜(潛) 浜(濱) 当(當) 絵(繪) 纎(纖) 予(豫) 践(踐) 弁(辨 瓣 辯) 鉱(鑛) 隠(隱) 駆(驅)
   1949(昭和24)年の「当用漢字字体表」→
    乗(乘) 亜(亞) 仏(佛) 来(來) 侮(侮) 伝(傳) 僧(僧) 価(價) 倹(儉) 剣(劍) 勉(勉) 勤(勤) 勲(勳) 卑(卑) 巻(卷) 即(卽) 単(單) 嘆(嘆) 器(器) 厳(嚴) 圏(圈) 団(團) 増(增) 墨(墨) 塁(壘) 壊(壞) 壮(壯) 奥(奧) 奨(奬) 嬢(孃)
    寝(寢) 寛(寬) 将(將) 専(專) 層(層) 峡(峽) 巣(巢) 廊(廊) 広(廣) 庁(廳) 弾(彈) 従(從) 徴(徵) 徳(德) 恒(恆) 悔(悔) 恵(惠) 悪(惡) 慎(愼) 慨(慨) 憎(憎) 応(應) 懲(懲) 懐(懷) 戦(戰) 戻(戾) 払(拂) 抜(拔) 拝(拜) 掲(揭)
    揺(搖) 捜(搜) 撃(擊) 収(收) 教(敎) 敏(敏) 既(既) 晩(晚) 昼(晝) 暑(暑) 暦(曆) 暁(曉) 朗(朗) 梅(梅) 概(槪) 横(橫) 検(檢) 桜(櫻) 欄(欄) 歩(步) 歴(歷) 殺(殺) 毎(每) 気(氣) 没(沒) 海(海) 渉(涉) 涙(淚) 浄(淨) 清(淸)
    渇(渴) 温(溫) 漢(漢) 渋(澁) 瀬(瀨) 煮(煮) 焼(燒) 争(爭) 状(狀) 狭(狹) 獣(獸) 産(產) 畳(疊) 盗(盜) 真(眞) 砕(碎) 碑(碑) 社(社) 祈(祈) 祉(祉) 秘(祕) 祖(祖) 祝(祝) 神(神) 祥(祥) 禍(禍) 福(福) 禅(禪) 税(稅) 稲(稻)
    穀(穀) 穂(穗) 穏(穩) 突(突) 節(節) 粋(粹) 絶(絕) 緑(綠) 緒(緖) 縁(緣) 練(練) 県(縣) 縦(縱) 繁(繁) 繊(纖) 署(署) 者(者) 臓(臟) 臭(臭) 与(與) 荘(莊) 著(著) 薫(薰) 蔵(藏) 芸(藝) 虜(虜) 衛(衞) 装(裝) 視(視) 覧(覽)
    諸(諸) 謁(謁) 謡(謠) 謹(謹) 譲(讓) 賓(賓) 売(賣) 頼(賴) 贈(贈) 転(轉) 逸(逸) 郎(郞) 都(都) 郷(鄕) 酔(醉) 醸(釀) 鋭(銳) 録(錄) 錬(鍊) 鎮(鎭) 閲(閱) 陥(陷) 隆(隆) 険(險) 雑(雜) 難(難) 青(靑) 静(靜) 響(響) 顔(顏)
    類(類) 翻(飜) 飲(飮) 騒(騷) 験(驗) 髪(髮) 鶏(鷄) 黄(黃) 黒(黑) 黙(默) 
   1981(昭和56)年の「常用漢字表」→ 効(效) 勅(敕) 喝(喝) 塚(塚) 壌(壤) 挟(挾) 挿(插) 桟(棧) 殻(殼) 渓(溪) 灯(燈) 痴(癡) 缶(罐) 蛍(螢) 褐(褐) 褒(襃) 覇(霸) 頻(頻)
   2010(平成22)年の「常用漢字表」→ 曽(曾) 痩(瘦) 艶(艷)
  (以上には「新字体として追加・変更されたもの」のほか「従来の通用字に対する旧字体の関係が新たに定義された結果、通用字が新字体となったもの」等も含む。ひとつの旧字体で時期により異なる新字体が作られたものもある。)
  (以上のうち、昭和期以降の漢字表に追加された新字体で、現在の常用漢字表にないもの → 渊(淵) 畄(留) 溌(潑) 蝿(蠅) 輌(輛) 醗(醱) 麹(麴) )

 ●漢字の発音をあらわすには、「韻書」などで使われた古典的な方法として、他の漢字を2つ用いて一方の声母と他方の韻母および声調を組み合わせて表現する「反切」(はんせつ)という方法が一般的であった。
  それ以前には、類似音字で示す[読若]、同音別字で示す[直音]もあったが、近代になり、漢字的アプローチの「注音符号」や、西洋のラテン文字を用いたローマ字表記「拼音」(ピンイン) などが登場し、現在の主流となっている。
 ○注音符号(注音符號)は、中国語の発音をあらわすために漢字の古代の字形から採られた通常37文字からなる表音文字で、先頭の4文字 [ㄅ][ㄆ][ㄇ][ㄈ] の読み方(b,p,m,f)から [ボポモフォ] とも呼ばれる。
  中華民国期の中国で制定されており、現在も中華民国(台湾)の初等教育においては必ず習得するものである。ルビとして漢字の読み方を示したり(特に子供向けの本などで使用。日本でいう[振り仮名]にあたる)、
  台湾仕様のパソコン等では、一般的な入力方式となっている「注音輸入法」用に、キーボードの表面(キートップ)に刻印あるいは印刷されたものが使われている。
  (注音符号がルビとして用いられる際には文章の縦書き横書きに関わらず漢字の[右側]に小書きされる。また注音符号は台湾以外の地域ではほとんど使われない。)
  (台湾で話される閩南語や客家語のために注音符号を拡張した「方音符号」(臺灣方音符號)というものもある。Unicodeでは「注音字母拡張」(Bopomofo Extended:U+31A0~)として定義されており、注音符号とともに使われる。)
 ○漢字の読みを、ラテン文字を使った[ローマ字]として表記する方法は、中華民国期の「國語羅馬字」(国語ローマ字:1925)などが嚆矢であるが、漢字以外の文字で漢字音を表記する方法には
  台湾では前述の[注音符号]があり、国語ローマ字はダイアクリティカルマークを用いない方式であり[注音符号第二式]となったことからも、台湾(中華民国)においてはそれほど活用されなかった模様である。
  中華人民共和国ではダイアクリティカルマークを視覚的な要素も併せ持つ声調記号として採り入れた[拼音](ピンイン)となっており、近年になり台湾も中国式の漢語拼音に移行している。
 ○ピンイン(漢語拼音)は、漢語(中国語)の発音を音素に分けてローマ字で表記するもので、ラテン文字26文字のうち中国語の発音にはない[v]を除く25文字を用いる。中国政府により制定されており、他の地域でも使われる。
  標準中国語(普通話)の四声の抑揚については、母音(a,e,o,i,u)のラテン文字に 1:[¯](陰平),2:[ˊ](陽平),3:[ˇ](上聲),4:[ˋ](去聲) のダイアクリティカルマーク(声調記号、分音符)を付けて、視覚的にあらわす。
  右に四声の例を挙げる。→  1:[¯](陰平):[mā]:[媽/妈](おかあさん) 2:[ˊ](陽平):[má]:[蟆](カエル) 3:[ˇ](上聲):[mǎ]:[馬/马](うま) 4:[ˋ](去聲):[mà]:[罵/骂](ののしる)
  (これに似た方法は現代ベトナム語のローマ字表記[クォック・グー]でも用いられる。なおベトナム語は8声調のため7種の声調記号があり、一度に複数用いることでベトナム語特有の複雑な発音表記を可能にしている。)
  また声調はダイアクリティカルマークではなくローマ字の音節末にアラビア数字を付けて示す場合もあり、声調の数が異なる場合、たとえば広東語(9声調,イェール式)などでは一般に1~6のアラビア数字が用いられる。
 ○ラテン文字によるローマ字のピンイン(拼音)を用いて漢字を「読み」から入力する「拼音输入法」は、多くの場合、中国の簡体字には対応していることになる。一般的なラテン文字での入力が基本だが、たとえば
  「搜狗拼音输入法」は、ひとつのキーにラテン文字1文字ではなく、中国語の発音でよく使われる [iong][uang][iao][eng][ang][ian] などの定型的な部分をまとめたキーを持つことにより、入力効率を上げるものである。

 ●漢字の読みをローマ字(ラテン文字表記法)であらわす「拼音」(ピンイン)は、標準中国語の「普通話」以外の各方言でも使われる。(拼音にはラテン文字以外の文字が使われることもある。)
 ○標準中国語の[普通話][台湾國語]を含む「北方官話」での拼音には、前述の「漢語拼音」、「國語羅馬字」(注音第二式)のほか、ウェード式ローマ字「威妥瑪拼音」(ウェード・ジャイルズ式:1892)、
  ウェード式をもとに郵便や電報などの事業用に中国の地名についてのローマ字表記を定めた「郵政式拼音」(1906)、アメリカのYale大学で考案されたイェール式ローマ字「耶魯拼音」、
  インドシナ(現ベトナム)・ハノイの[フランス極東学院]式ローマ字「法國遠東學院拼音」(1902)、ドイツ式ローマ字「德國式拼音」、チェコ式ローマ字「捷克式拼音」、
  ラテン文字だが第二次大戦後はあまり使われない方式となった「北方話拉丁化新文字」(ラテン化新文字:1931)、台湾で考案され中国でも使われる「通用拼音」(1999)、などがある。
  (「注音符號」や、アラビア文字を使うため右横書きで表記する「小儿经」(小児経)、ロシア語などで使われるキリル文字を用いて表記した「汉语西里尔字母转写系统」なども、拼音の一種(漢語拼讀系統)といえる。)
 ○香港などで使われる広東語(粵語)には、前述のように9つの声調があり、ラテンローマ字のピンイン(拼音)を用いる方式にも多くの種類がある(総称して「廣東話拼音方案」と呼ばれる)。
  代表的なものに、[粤拼](エツピン/ユエピン)と略称される「香港語言學學會粵語拼音方案」(1993)があり、この粤拼を用いておこなう入力方式は「粤拼輸入法」と呼ばれる。
  粤拼はローマ字の方式のひとつであるイェール式粵語ローマ字「耶魯粵語拼音」が元になっている。(ちなみに日本で現在主流のローマ字はヘボン式または訓令式)
  このほか、バプティスト系キリスト教宣教師による「粵語標準羅馬拼音」(1888)、カトリック系キリスト教宣教師による「Meyer-Wempe」(1920s/30s)、
  中華民国期の標準中国語向けの「國語羅馬字」(1925)に基づいた[趙元任]氏による「趙元任粵語羅馬字」、その「趙元任粵語羅馬字」をもとに「Meyer-Wempe」も取り入れた「粵語羅馬字」、
  粵語向けの簡易形式による国際音声記号「粵語寬式國際音標」(黃錫凌式音標:1938)をまとめた[黃錫凌]氏による「黃錫凌羅馬拼音」、[劉錫祥]氏による「劉錫祥拼音」(1972)、
  中国政府による「廣州話拼音方案」(1960~)、旧マカオ政府による「澳門政府粵語拼音」、旧[香港政府]による「香港政府粵語拼音」(港府方案)、香港教育學院による「教育學院拼音方案」(教院拼音:1990~)、
  カナダのサイモンフレーザー大学で広東系の学生が考案したフランス式ローマ字「新法蘭西粵語拼音方案」(2009~)、などがある。
  (「Meyer-Wempe」は、Unicode の漢字データベース(Unihan)における参考資料の一部となっている。)
 ○台湾(中華民国)の台湾國語および閩南語(中国本土のほか台湾でも話される)の繁体字にラテンローマ字のピンイン(拼音)を用いる方式は「臺灣閩南語羅馬字拼音方案」と呼ばれる。
  このうち、台湾國語の拼音は[台羅拼音]もしくは[台羅]と略称され、これを用いておこなう入力方式は「臺羅拼音(輸入法)」と呼ばれる。(閩南語の拼音については[閩南拼音]と略称される。)
 ○中国国内の閩南語や客家語でも、漢字のほかにローマ字表記もおこなわれるが、これは「白話字」(または「教会ローマ字」)といい、語中の音節間をハイフンで繋ぐなどの特徴がある。(閩南語:Bân-lâm-gú、客家語:Hak-kâ-ngî)
  閩東語や莆仙語でも、白話字に似たローマ字表記がおこなわれるが、これらで使われるのは、閩東語は「平話字」、莆仙語は「興化ローマ字」(興化平話字)である。(閩東語:Mìng-dĕ̤ng-ngṳ̄、莆仙語:Pô-sing-gṳ̂ / Pô-sing-uā)

 ●漢字を探す方法(検字法)には、伝統的に「部首」および「画数(総画)」もしくは「音韻」(発音。日本では[音訓]→後述) による方法がある。
  また、歴史が浅いため日本ではあまり知られていないが中国語圏においては、画数を数える最小単位(筆画)の代表的な形である「筆形」に基づく方法も用いられる。
 ○[部首]による漢字の分類は、現在では清の「康熙字典」が用いた214の部首が基本となっている。部首の数を214としたのは康熙字典の100年前、明朝末期の字典「字彙」が最初だが、それまでは次のようであった。
  (「説文解字」(西暦100年:540部首)、「玉篇」(543年:542部首)、「類篇」(1067年:540部首)、「龍龕手鑑」(997年:242部首)、「五音篇海」(1208年:444部首)、など。)
  なお部首の数は、現在も辞書の編集方針や漢字の収録状況等により、214以外の場合も多々ある。(初等中等教育向けの辞書などでは画数の多い部首の漢字は省かれる。日本の[常用漢字表](2010~現行;2136字)の部首数は202。)
 ○中華民国期には、漢字の四隅の形状に0~9の番号を付け、更に同一番号となる漢字の区別に1桁の[附角]番号を付与して、最大5桁までの[アラビア数字]だけで漢字を探せる「四角号碼」検字法も編み出されている。
  この方式は利用者側の習熟が必要なため一部の字典などで使われるにとどまるが、研究者などには現在も重用される。四角号碼の開発には、中国文電報の送信に用いる文字コード[電碼]からの影響があったとされ
  パソコン黎明期には四角号碼を応用した入力方法「三角編号法(三角輸入法)」が実用化されたが、現在は使われていない模様である。一般に広まらなかったのは[漢字]を[数字]であらわすことへの違和感のためと考えられる。
 ○[筆形]による漢字の分類は、近代以降に考案された(日本ではあまり馴染みがなく使われない)方法である。中華人民共和国では1999年に正式に定義されたが、それまでは清朝以降に4/5/7種類の筆形を用いた分類があった。
  5種類の筆形を用いるものは一般に「五筆」と呼び、中華民国期の1934年が初出と思われるが、現在は中国政府による国家規格(GB)の五筆(横[一]・竖(堅)[丨]・撇[丿]・点[丶]・折[乛])が、事実上の世界標準となっている。
  近年ではスマートフォンなどのテンキーの1~5に五筆を配置して、五筆の連打や組み合わせだけで漢字の書き順のように入力して漢字の候補を表示し、候補から選択することで漢字文の入力に用いるようにした
  「五笔画输入法(簡:五筆画輸入法,略称[五笔画(五筆画)])」もしくは「筆劃輸入法/筆畫輸入法(繁:筆画輸入法)」があり、打鍵数は多くなるものの覚えやすい簡便な方法・補助的手段として、広く利用されている。

 ●漢字を部首のようないくつかの構成要素[字根]に分解して捉え、字根ごとに分類できるようにしておき、字根を組み合わせて入力して漢字の候補を絞り込み、探していた文字を選択して中国語の入力をおこなう方式もある。
  字根には連想しやすく[手][田][水][口]などの部首に近い漢字が用いられており、この字根により漢字文の入力をおこなう方式を一般に「字形輸入法」あるいは「形码输入法(形碼輸入法)」などという。
 ○[字根]を用いる入力方式「字形輸入法」の代表格は「倉頡輸入法」という方法である。台湾において1976年に編み出されており、現在は同じ繁体字圏の香港における主流な入力方法となっている。
  倉頡輸入法の字根に使われる26種の漢字は5種類に大別でき、組み合わせも少ないキーで直感的にできるため、漢字入力の中では特に効率が良い方法とされる。
  (この方法にも一定の慣れが必要だが、職業的な漢字入力スピードを競う大会などでの優勝者が多く使う方式とされる。なお「倉頡」の名称は漢字を創製したといわれる伝説上の人物「蒼頡」の名に因むものである。)
  ちなみに倉頡輸入法には各種の派生方式が存在する。[速成輸入法]、[快速倉頡輸入法]、[新倉頡輸入法]、[大新倉頡輸入法]、[乱倉打鳥輸入法]、[自由倉頡輸入法]、などである。
  このうち [速成輸入法](簡易輸入法とも)は、倉頡と同じ字根を用いるが打鍵回数が少なく済み、そのため変換候補は多くなるものの、慣れれば手早い入力が可能であり、香港において広く普及した方式として名高い。
 ○倉頡のような[字根]を用いる入力方式に「大易輸入法」がある。こちらは台湾で1988年に開発されており、QWERTY配列の標準キーボードに合わせた46個の字根を用いるが、日本語の[かな入力]と同様に
  キーボード上部の数字キー部分も使うため、倉頡輸入法などと比べると覚えるキーの数も位置も多いことなどから、初心者には抵抗感があり、利用者は減少傾向にあるとされる。
 ○台湾にて1990年に考案された「嘸蝦米輸入法」(ボシャミーゆにゅうほう)も[字根]を使う方式である。基本字根は341個、簡速字根も156個と数が多いが、その大部分は [形](形状)・[音](発音)・[義](意味) の3種に分類され
  ラテン文字のアルファベットを連想しやすく工夫されており、キーボードのラテン文字部分の26文字のキーに重複して割り当てられているため覚えやすく、打鍵回数も少なくて済むため使いやすいとされる。
  ([嘸蝦米](Boshiamy/ボシャミー)とは閩南語で「何でもない」の意の[無啥物](白話字:bô-siáⁿ-mi̍h、広東語でいう[無問題/モウマンタイ]か?)からの音訳(あるいは当て字)とされる。)
 ○簡体字で[字根]を用いる方式としては「五笔字型输入法(五筆字型輸入法)」がある。こちらは125種類の字根を用いるため、字根は各キーに重複して割り当てられる形をとるが、字根キーの配置は[五筆](前項参照)で区分けされ
  打鍵回数が2~3打の場合は探している文字の構造である[字型]を示す[識別碼]を追加して候補を絞り込める。このように[字根]に[五筆]と[字型]の概念を加える方式で、五筆で共通する[五筆画]入力法とともに普及している。
  1983年の発表以降、86版・98版・新世紀版の3つのバージョンがあるが、最も普及しているのは86版である。Windows 8.1 以降の中国語版 Windows OSには標準搭載されている方式でもある。(macOSでは[五筆型]と呼ばれる。)

 ●中国語の入力方法としては、経済発展を果たした中国の「搜狗」「百度」「腾讯」といった有力企業や、Google などの世界的企業が提供する各種の入力方法も、ダウンロードなどを通じて利用でき、人気を集めている。
  中国企業のものは簡体字が基本だが、これらの中には近年のスマートフォン、タブレットなどの普及・隆盛に伴い、[簡体字][繁体字]ごとに両対応できるようになっているものもある。
  「搜狗」(Sogou) … 拼音方式「搜狗拼音输入法」、五筆字型方式「搜狗五笔输入法」、拼音モバイル用「搜狗手机输入法」、クラウド型「搜狗云输入法」
  「百度」(Baidu) … 拼音方式「百度拼音输入法」、五筆字型方式「百度五笔输入法」、拼音モバイル用「百度手机输入法」(百度は日本語入力の[Baidu IME]も提供しているが、ログ情報の送信問題から日本では敬遠傾向にある)
  「腾讯」(Tencent) … 拼音方式「QQ拼音」、五筆字型方式「QQ五笔」、モバイル用「QQ输入法・手机版」、クラウド型「QQ云输入法」([QQ]は腾讯が提供するインスタントメッセージソフトの愛称。クラウド版はサービス停止中)
  「Google」(中国語表記で[谷歌]。これを日本では[穀歌]と表記する模様)… 拼音方式「Google拼音输入法」(谷歌拼音輸入法) (Googleは中国での検索サービスは停止しているが中国語入力方法の開発や提供は継続している)

 ●日本における漢字 - 読み方(音・訓・熟語)、国字
 ※中国語での漢字1文字は基本的にひとつの読み方をするが、日本語では当時の中国語由来の発音が【呉音】【漢音】【唐音】のように残された。これが現在の【音読み】(字音)となっている。(辞書等では片仮名で表記される)
  ([呉音][漢音][唐音]の呼称は日本での象徴的な呼び方に過ぎず、中国における[呉][漢][唐]などの時代を指しているのではない点に注意。応神天皇期の倭国に漢字が伝来したのは中国では[漢]滅亡後の[南北朝]期である。)
  [呉音]とは日本に漢字が伝来(百済から阿直岐や博士王仁が来朝)した古墳期から残る発音で、後に漢音が伝わった奈良末期には混乱を避けるため禁止されたが、仏教の経典などの読み方に残り、今日も用いられるものである。
  [漢音]とは遣隋使や遣唐使が大陸から持ち帰って追加された発音(当時の中国の北方音)のことをいう。日本では飛鳥・奈良・平安時代、中国では隋唐期にあたる。呉音が一時禁止されたことから日本ではやや優勢な読み方である。
  [唐音]とはその後の[宋][元][明][清]時代の中国音の総称である。日本の平安末期から江戸時代にあたり、またその前半の鎌倉・室町期に入ってきた音を[宋音]、後半の江戸期に入った明・清の近代音を[華音]とすることもある。
  比較的新しい[唐音]は制度的なものを経ずに交易などで徐々に伝わったもので、数は多くないが現代の中国音に近いものもある。発音的に変わらなかった漢字も多いが、[呉音][漢音][唐音]ごとで異なる発音が残ったものもある。
  →例: [外]…(呉:ゲ)(漢:ガイ)(唐:ウイ) [請]…(呉:ジョウ)(漢:セイ)(唐:シン) [京]…(呉:キョウ)(漢:ケイ)(唐:キン) [頭]…(呉:ズ)(漢:トウ)(唐:ジュウ) [明]…(呉:ミョウ)(漢:メイ)(唐:ミン)
  (日本において保存された[呉音][漢音][唐音]といった中国語の中古音は、西洋などの学者が中国を研究する学問「中国学」(Sinology)や、中国語についての音韻学などで、活用されることがある。)
  また「音読み」には【慣用音】と呼ばれる読み方もある。これは[呉音][漢音][唐音]のほかに日本で古くから読みならわした音のことで、[呉音]や[漢音]の混同や誤用から生じたと考えられるが、日本では一般化した読み方である。
  →例: [乙]…(呉:オチ)(漢:イツ)(慣:オツ) [伐]…(呉:ボチ)(漢:ハツ)(慣:バツ) [偶]…(呉:グ)(漢:ゴウ)(慣:グウ) [冊]…(呉:シャク)(漢:サク)(慣:サツ) [勇]…(呉:ユ)(漢:ヨウ)(慣:ユウ)  
  (これらの中では、日本語として一般化した[慣用音]が、まず優先的であるといえる。ちなみに慣用音のないものについては[漢音]がより一般的であり、次に古くからの[呉音]や、歴史の浅い[唐音]が続くことが多い。)
 ※漢字に対し適当する日本語をあてて読む読み方は【訓読み】(字訓)と呼ばれる。(辞書等では平仮名で表記される)
  これには、(a)単一の漢字で完結するもの、(b)日本語の一部として[送り仮名]をつけて書くもの、(c)漢字2文字以上で[熟語]としての読み方でのみ用いるもの、などがある。
  →例(a): [山]…(音:サン,セン)(訓:やま) [川](音:セン)(訓:かわ) [草](音:ソウ)(訓:くさ) [木](音:ボク,モク)(訓:き,こ) [法](音:ホウ)(訓:のり) [姫](音:キ)(訓:ひめ)
  →例(b): [送る](おく-る) [習う](なら-う) [書く](か-く) [食べる](た-べる) [貫く](つらぬ-く) [美しい](うつく-しい)
  →例(c): [海士](あま) [海苔](のり) [七夕](たなばた) [団扇](うちわ) [老舗](しにせ) [東風](こち) [徒然](つれづれ) [閑話休題](それはさておき)
 ※漢字文化圏での【熟語】とは、2文字以上の漢字が結合して一定の意味をなした言葉のことをいう。(比較的古い中国語の「漢文」に見られる熟語は「漢語」のように呼ぶこともある。)
  前述のように、日本語での漢字の読み方には、多くの場合「音読み」と「訓読み」とがあるため、漢字を組み合わせて「熟語」にするとき、音と訓との混在も、おこなわれることがある。
  その場合、[音-訓]の順で続く熟語は「重箱読み」といい、[訓-音]の順では「湯桶読み」という。これらの名称はそれぞれの代表的な読み方から採られたものである。
  →例(重箱読み): [重箱](ジュウ-ばこ) [仕立](シ-たて) [台所](ダイ-どころ) [座敷](ザ-しき) [額縁](ガク-ぶち)
  →例(湯桶読み): [湯桶](ゆ-トウ) [見本](み-ホン) [場所](ば-ショ) [掛算](かけ-ザン) [夕刊](ゆう-カン)
  また「訓のみ」の熟語は前項の例(c)にて示したが、最も数が多いのは「音のみ」の熟語である。これは中国語由来の「漢語」の語彙が多く含まれるためでもある。
  このため、字音の種類は[漢音-漢音]や[呉音-呉音]のように一致する場合が多いが、日本語では前述の訓読みで見た[重箱読み][湯桶読み]のように、音読みだけでも自由な組み合わせを持つものもある。
  →例(一致するもの): [兄弟](ケイ-テイ:漢音-漢音)(キョウ-ダイ:呉音-呉音) [外国](ガイ-コク:漢音-漢音) [外科](ゲ-カ:呉音-呉音) [上下](ジョウ-ゲ:呉音-呉音) [外郎](ウイ-ロウ:唐音-唐音)
  →例(異なるもの):  [言語](ゲン-ゴ:漢音-呉音) [出題](シュツ-ダイ:漢音-呉音) [頭巾](ズ-キン:呉音-漢音) [明朝](ミン-チョウ:唐音-呉音)
 ※中国から伝わった漢字ではなく、その国で独自に創られた漢字を【国字】という。日本の国字は「和字」(和製漢字)ともいい、外来語を含めて「訓のみ」のものが多いが、まれに「音のみ」の文字や「音・訓とも」の文字もある。
  →例(訓のみ): [畑](はた,はたけ) [畠](はた) [辻](つじ) [峠](とうげ) [梺](ふもと) [笹](ささ) [糀](こうじ) [栃](とち) [杣](そま) [榊](さかき) [樫](かし) [梻](しきみ) [栬](もみじ) [桝](ます)
          [躾](しつけ) [俤](おもかげ) [襷](たすき) [叺](かます) [鞆](とも) [凩](こがらし) [颪](おろし) [鰯](いわし) [鱈](たら) [鰆](さわら) [鴫](しぎ) [鳰](にお) [靏](つる)
          [毟る](むし-る) [怺える](こら-える) [辷る](すべ-る) [軈て](やが-て) [迚も](とて-も) [聢と](しか-と) [遖れ](あっぱ-れ)
  →例(訓のみ外来語): [粁](キロメートル) [粨](ヘクトメートル) [籵](デカメートル) ※[粉](デシメートル) [糎](センチメートル) [粍](ミリメートル) / (※[粉](フン・こな・こ・デシメートル) )
             [竏](キロリットル) [竡](ヘクトリットル) [竍](デカリットル)  [竕](デシリットル) [竰](センチリットル) [竓](ミリリットル)     《1000:kilo, 100:hecto, 10:deca》
             [瓩](キログラム)  [瓸](ヘクトグラム)  [瓧](デカグラム)   [瓰](デシグラム)  [甅](センチグラム)  [瓱](ミリグラム)     《1/10:deci, 1/100:centi, 1/1000:mili》
  →例(音のみ): [鋲](ビョウ) [麿](マロ) [杢](モク) [粂](クメ)
  →例(音訓とも):[働](ドウ・はたら-く)

 ●日本において漢字から派生した文字 - 【仮名】
 ※[漢]の時代よりも前、「漢字」という呼び方がまだ無かった時代、[周]では甲骨文字や金文に始まる文字のことは「名」といい、春秋・戦国期には「文」や「字」へと変化し、[秦]以降になると「文字」の語でも呼んだとされる。
  つまり「漢字」という語は、日本などの他国から[漢]代に固まった中国語の文字を指して呼ぶ際の呼称だったものであり、中国において「漢字」の名称が使われるのは、中世までは蒙古文字などとの区別をする場合だけであった。
  日本でも文字に「名」の語を用いて、漢字のことを「真の(正しい)文字」の意味で「真名」と呼んだ時期がある。【仮名】は「真名」に対する語で「仮の(代わりの)文字」という意味である。
 ※漢字が日本に伝来した当初は、中国語の「漢文」として表記するほかには記録の手段が無かったが、日本語として記録するために、次第に漢字の字義から離れて発音だけを借りる「当て字」の手法が採られるようになった。
  これは[国生み]以来の伝説や神話を記した歴史書の「古事記」をはじめ、特に日本独自の[和歌]を記した「万葉集」では全編に渡って見られることから「万葉仮名」と呼ばれる。
  この「万葉仮名」の呼称における「仮名」の語は「本来とは異なる代用的な使い方をした文字」ということになろう。漢字そのものを仮名として使っていることから「真名仮名」(まながな)のように呼ばれることもある。
 ・「片仮名」は [ア][イ][ウ][エ][オ] などであるが、[阿][伊][宇][江][於]などの漢字から、一部を省略したパーツが発展したものとされる。
 ・「平仮名」は [あ][い][う][え][お] などであるが、[安][以][宇][衣][於]などの漢字から、[𛀂][𛀆][𛀊][𛀑][𛀕]などの字形を経て成立したものである。(これらの字形は現在では使われないことから「変体仮名」と呼ばれる。)
 ※Unicode 10.0 より「変体仮名」も表現できるようになっている。以下は比較的多用される例である。(濁点/半濁点は、環境等により表示位置が異なる場合がある。以下の例には、1行目に結合用、2行目には非結合用を用いた。)
  「生𛁛𛂦゙」(生そば)、「𛁈𛃺𛀸」(しるこ)、「あ𛀙よろし」(あかよろし)、「や𛂱゙そ𛂡゙」(やぶそば)、「天𛂱゚𛃭」(天ぷら/天婦羅)、「草𛁟゙ん𛀸゙」(草だんご)
  「生𛁛𛂦゛」(生そば)、「𛁈𛃺𛀸」(しるこ)、「あ𛀙よろし」(あかよろし)、「や𛂱゛そ𛂡゛」(やぶそば)、「天𛂱゜𛃭」(天ぷら/天婦羅)、「草𛁟゛ん𛀸゛」(草だんご)


数値表現について (ここではベトナム語を中心に書く)
 ●ベトナム語では、中国由来の漢語の書き方も下敷きにしており、数値表現にも[漢数字]による表現があった。([305]を[三百〇五]と書くなど基本は中国式であり、日本語とは多少異なる。)
  現在のベトナム語で使われている[クォック・グー](國語)は、漢語に拠らない本来のベトナム語の発音表記のために漢字をもとに生まれた[チュノム](𡨸喃)の表現が踏襲されている。
   [零]:linh [〇]:linh [一]:nhất [二]:nhị [三]:tam [四]:tứ [五]:ngũ [六]:lục [七]:thất [八]:bát [九]:cửu [十]:thập [百]:bách [千]:thiên [萬(万)]:vạn [億]:ức [兆]:triệu [秭]:tỷ
   [空]:không [𥘶]:linh [𠬠]:một [𠄩]:hai [𠀧]:ba [𦊚]:bốn [𠄼]:năm [𦒹]:sáu [𦉱]:bảy [𠔭]:tám [𠃩]:chín [𨒒]:mười [𤾓]:trăm [𠦳]:nghìn(ngàn) [兆]:triệu [秭]:tỷ
  (命数の名前ではなく実際の用法→)[11:十一/𨒒𠬠]:mười một [12:十二/𨒒𠄩]:mười hai [20:二十/𠄩𨔿]:hai mươi [21:二十一/𠄩𨒒𠬠]:hai mươi mốt [305:三百〇五/𠀧𤾓零𠄼]:ba trăm linh năm  
  (ベトナム語の数値表現では、現在の[クォック・グー]は[チュノム]による表現が近い。[漢数字]による表現、あるいは [萬(万)]:vạn や [億]:ức は、古い言い方となっており、現在は使われない。下記参照。)
 ●現在は使われないが、クォック・グー導入よりさらに以前の、古来からの漢字による数値表現には、4桁区切りの「万進法」ではなく、古代中国から伝わった「下數」という十進法式の命数法が、伝統的に用いられていたようである。
  万進法とは、おもに日中韓の3カ国などで使われる命数法で、[万][億][兆][京][垓][秭] といった繰り上がり命数の間を [一][十][百][千] の4桁ずつで埋めることにより、[万]倍ごとに命数が繰り上がる方法であるが
  下數とは、古代中国でおこなわれた最も初期の命数法で、単純に10倍ごとで命数を繰り上げる方式(シンプルな十進法)である。これを比較のため並べて書くと、次のようになる。
   万進法は [一][十][百][千][萬][十萬][百萬][千萬][一億][十億]...と、[万]以降の命数は[億][兆][京][垓][秭][穰][溝][澗][正][載][極][恆河沙][阿僧祇][那由他][不可思議][無量數(無量大數)] と万倍ごとで繰り上がるが
   下數では [一][十][百][千][萬][億][兆][京][垓][秭] と、命数が1桁ずつ(10倍ずつ)で順送りに繰り上がる。また下數の命数は[載]までであり、表現可能な数値の範囲が狭い(少ない桁数しか表現できない)という欠点がある。
 ●その後ベトナムがフランスによる植民地支配を受けた影響から、欧米などと同じ3桁区切りの「千進法」が使われるようになり、現在のベトナム語クォック・グーは、このチュノムの読み方が、ローマ字で書かれたものになっている。
  欧米式の千進法とは、英語の場合 [Thousand][Million][Billion][Trillion] といった命数の間を [one][ten][hundred] の3桁ずつで埋める方法である。(日本でも使われるアラビア数字の3桁区切りはこの千進法に由来する。)
  ベトナム語の場合は、下數の [一][十][百] [千](萬)(億) [兆](京)(垓) [秭] のうち、丸括弧の箇所では命数を使わずに
  漢数字のまま模式的に書けば [一][十][百] [千](十千)(百千) [兆](十兆)(百兆) [秭] というように、命数の間を [一][十][百] の3桁ずつで埋め、命数は [千]倍ずつで繰り上がることにより、千進法が表現される。
  チュノムでは次のように書く。[𠬠][𨒒][𤾓] [𠦳](𨒒𠦳)(𤾓𠦳) [兆](𨒒兆)(𤾓兆) [秭] (次の < > 内は万進法表記。なおベトナム語の数値表現においては下數の[京][垓]および[穰]以降の命数は一切使われない模様である。)
    [𠬠]:một [𨒒]:mười [𤾓]:trăm [𠦳]:nghìn(ngàn) <万>(萬=𨒒𠦳):mười nghìn <十万>(億=𤾓𠦳):trăm nghìn <百万>[兆]:triệu <千万>(京=𨒒兆):mười triệu <億>(垓=𤾓兆):trăm triệu <十億>[秭]:tỷ 
  (なおベトナム語の数値表現では、下數の [秭](1,000,000,000:万進法で<十億>) を超える数値には [秭](tỷ) を繰り返し用いるため、表現上の上限がない。たとえば万進法の <千京> は mười tỷ tỷ (𨒒秭秭) と表現する。)
 ●ベトナム語での漢字を使っての数値表現には、[一][二][三][四][五][六][七][八][九][十][百][千] といった個々の[漢数字]に該当する[チュノム]の数字も使われた。
  ベトナム語の[チュノム](𡨸喃)による数字は、[𠬠][𠄩][𠀧][𦊚][𠄼][𦒹][𦉱][𠔭][𠃩][𨒒][𤾓][𠦳] や [𥘶][𠄻][𨔿] などの複雑な字形の文字が多く使われる。(数値の改竄防止の[壱][弐][参]などの[大字]の意味があったかは不明)
  (チュノムの数字でも命数の[兆][秭]のみは中国由来の漢字を用いる。これは日本語でも[万(萬)][億][兆][京][垓]などの位では中国由来の漢字を命数に用いるのと共通している。ちなみに[秭][穰]は日本では[𥝱][穣]が一般的。)
 ※なお現在の日本でも証文などで漢数字を使う場合の数値の改竄防止用として[大字]と呼ばれる表現があるが、これは中国の[大寫](簡体字では[大写])という表現に由来している。
   日本の新字体では [〇][壱][弐][参][四][五][六][七][八][九][拾][百][千][万] を用いるが([壱][弐][参]が新字体。[〇][一][二][三][四][五]のいわゆる[漢数字]のことは、中国では[小寫][小写]と呼ぶ。]
   戦前の旧字体では [零][壹][貮][參][肆][伍][陸][柒][捌][玖][拾][佰][仟][萬] を用いた。([貮]は日本独特の伝統的な書き方である。中国の伝統字は[貳]。)
   中国の繁体字では [零][壹][貳][參][肆][伍][陸][柒][捌][玖][拾][佰][仟][萬] を使い、[大寫]と呼ぶ。(漢字文化圏ではもっとも伝統的な書き方)
   簡体字の中国では [零][壹][贰][叁][肆][伍][陆][柒][捌][玖][拾][佰][仟][萬] を使い、[大写]と書く。(簡体字の中華人民共和国でも改竄防止の大字表現[大写]は存在する。[贰][叁][陆]が伝統字とは異なる。)
   朝鮮半島やベトナムでの大字表現には、繁体字と同じ伝統的な漢字が用いられたようである。(チュノムも使えるベトナムにおいての漢字を用いた大字表現の必要性は、特に中国との交易などでの数値の改竄防止用と思われる。)
 ※クォック・グーとなった現在のベトナム語における数値表現は [1,234,567,890] のようにアラビア数字で表記するが、読み方については漢語を廃した本来のベトナム語の読み方(một・hai・ba)が使われている。
  この点は、現在の日本語とは異なる部分である。(日本語本来の表現は「ひ・ふ・み」(ひぃ・ふぅ・みぃ)であり、現在主流の「いち・に・さん」は漢語(漢数字)の音読み(呉音:中国語の古い発音)に拠っている。)
 ・ベトナム語では、現在は漢字は使わないため、アラビア数字のまま読まれる。 (おそらく、[1,234,567,890]→[một tỷ - hai trăm ba mười bốn triệu - năm trăm sáu mười bảy nghìn - tám trăm chín chục] のように読む)
  参考のために、3桁ずつの千進法を使った下數の漢数字で書くと、[1,234,567,890]→[(一)秭 二百三十四兆 五百六十七千 八百九十] のようになる。これはチュノムでも書かれた。[𠬠秭 𠄩𤾓𠀧𨒒四兆 𠄼𤾓𦒹𨒒𦉱𠦳 𠔭𤾓𠃩𨔿]
 ・日本語では3桁区切りも脳内で4桁区切りに変換する必要があり、[1,234,567,890]→[十二億 三千四百五十六万 七千八百九十] のように、漢数字の書き方に直して読むことになる。
  この日本における「3桁区切り」は明治期より漢数字のみで書く場合(一、二三四、五六七、八九〇)にも使われるが、読み上げ時にかかる負担は大きなものであり、利便性や合理性を欠いている。
 ・ちなみに欧米化の影響をあまり受けていない簡体字の中国語では、[1,234,567,890]→[十二亿 三千四百五十六万 七千八百九] のように書き、[億]は簡体字[亿]を用い、中国語のルールとして末尾のゼロは書かない(前の桁で判断)。
  (これ以外にも、[305]を[三百零五]と書いたり、場面に応じて[2]を[兩](两)にする場合や、特に現代中国では[兆]は[亿亿]のように[兆]以降の命数は使わず[亿]の個数による倍数表現にして、表現上の上限を撤廃している。)
 ・桁区切りについては、3桁区切りの [1,234,567,890] ではなく、4桁区切りで [12,3456,7890](一二、三四五六、七八九〇)のように書く場合がある。
  この書き方は、日本ではほとんど見かけないが、中国語圏では日本よりも多用されるようである。国際化が必要な場面では推奨できないが、国内向けには「万進法表記」の前提も示したものとして、理に適ったものになっている。
 ・朝鮮語(韓国語)では、ハングルによる数値表現([1,234,567,890]→[십이억 삼천사백오십육만 칠천팔백구십])も可能ではあるが通常はおこなわれず、漢数字も使わないため、普通はアラビア数字のみを使う。
  これは日本語において、普通は大字で「壱拾弐億 参千四百五拾六万 七千八百九拾」などと書かない、もしくは平仮名で「じゅうにおく さんぜんよんひゃく…」などど通常は書かないのと同様である。
  また朝鮮語(韓国語)の数値の読み方でも、4桁区切りの万進法で読むにも関わらず、アラビア数字表記が欧米の千進法に準じた3桁区切りとなっている点は、日本統治期の影響が残っているものと思われる。


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