漢字文化圏・年表

 -漢字文化圏の国や地域において利用される、様々な[文字]および[歴史的背景][相互関係]について-
     (項末の「主な文字集合」は、すべて各国における「《Unicode以前の》代表的な文字集合」ということである。
       なお「主な入力方式」などに見える「输入法(輸入法)」とは「入力方法」(Imput Method, [IM]) という意味の中国語であり
       「《○○語IME》の変換機能」のように捉え直すとわかりやすいと思われる。(IME = Imput Method Editor))


    中国  ( 香港  マカオ )
    台湾  シンガポール  マレーシア
    日本  ( 附録:日米(欧)コンピューター小史 )

    ---以下は漢字を使わなくなった国々---
    朝鮮  ( 韓国  北朝鮮 )
    ベトナム



中国 (大陸・中華・支那・china)(基本的に中国大陸の広範囲に住む[漢民族]の王朝。ただし [遼][金][元][清] の4国は、住民の漢民族が異民族により征服されて成立した「征服王朝」)
 -先史時代(長江文明、黄河文明、遼河文明)
 -神話伝説時代(盤古・女媧・伏羲と三皇五帝)
        ([伝説]皇帝・伏犧氏(庖犠氏)、天地自然の現象を象徴化して[八卦]を作り、八卦から[書契](文字)を創る←「易経」)
        ([伝説]-2500頃?:蒼頡(そうけつ)、黄帝に仕え、結縄に代えて鳥獣の足跡から[書契](文字)を発明)
        (帝・舜、[上庠]という名の教育機関(学校)を設置)
 -2070~-1600頃 
 -1600~-1100頃  (現存する中国最古の文字【亀甲獣骨文字】(甲骨文字、甲骨文、契文)。亀の甲や牛の骨などを使った占い(亀卜:きぼく、卜占:ぼくせん)に併記された[卜辞](ぼくじ)に使われた文字。)
   (-1300頃~ 青銅器時代:鼎(かなえ)や鬲(レキ)などの金属器に残る銘文【金文】。殷の時代の金文は「殷金文」とも。このほか、石に刻まれた文字は「石文」といい、金文とあわせて「金石文」とも。)
 -1046~-256    
   (-1046~-771 「西周」:武王、殷を倒して帝位に就く)(高等教育機関[辟雍](へきよう)を設置。貴族子弟(国子)のための高等教育機関は[国学]と総称され[太学][大学]とも呼ばれた) 【西周金文】
                (西周の宣王(-827~-782)に仕えた籀(ちゅう)が「史籀篇」を著し、書体差の多い金文を整理統一:「籀文」(大篆)←「漢書」芸文志)←実際は東周(戦国)末期の秦とされる
   ( -770~-256 「東周」:諸侯、王子宜臼を擁し、東の洛邑(現:洛陽)へ遷都、平王を立てる→春秋戦国時代)(←老子:[道教]の祖とされる。生没年不詳)              【東周金文】
     -770~-403 春秋時代 (四書五経の一つ「春秋」に記された時代)  (-566~-486頃?(諸説あり):北インドの釈迦、[仏教]の開祖となる)
                (-552~-481(生没年):孔子←-479:「易・書・詞・春秋」を修訂。「論語」を著す。→孔子、[儒教]の祖となる。)
     -403~-221 戦国時代 (晋が[韓][魏][趙]の三国に分裂、さらに[秦][楚][燕][斉][韓][魏][趙]の七雄の抗争となる。諸子百家(政治哲学家・思想家)の活躍)
                (-372?~-289?(生没年):孟軻(孟子):[儒教]の書「孟子」を著す)
                (-369?~-286?(生没年):荘周(荘子):[道教]の書「荘子」を著す)
                (戦国時代の秦で作られたとされる書体【石鼓文】=唐の初期に出土した10基の花崗岩でできた鼓状の石碑(石鼓)に刻まれた文字。→「大篆」)
 -221~-207  (-221:秦王政[始皇帝]による初の中華統一。秦自体は[周]の時代(-771年)から続いた王朝であるが、春秋戦国の混乱期を平定し統一を果たした。中国史では一般に中華統一期を指す)
         (万里の長城、兵馬俑、度量衡や各種器具器物の規格を統一、字書[蒼頡篇][爰歴篇][博学篇]を作り天下通行の一定した文字を広める)
         (秦における書の八体:【大篆】【小篆】【刻符】【虫書】【摹印】【署書】【殳書】【隷書】←後漢期「説文解字」序文)(小篆と隷書以外を【古文】とも。)
         (始皇帝、李斯に【小篆】を作らせ、秦の統一書体として採用。大篆(籀文,石鼓文)を基礎に省略改変して均整のとれた荘重美麗な字形→(篆書、秦篆))
         (獄吏の程邈(ていばく)、読みにくい小篆の筆画をできるだけ直線化し簡略化した能率的な事務用文字を作り、官獄の下級役人(隷人)に使わせた(俗説)→【隷書】)
 -206~+220  (-210:秦の始皇帝が病没→-206~-202:楚漢戦争:楚の項羽と漢の劉邦の戦い→漢王劉邦の勝利)
    -206~  +8 前漢 (前漢の統一書体:隷書)(首都・長安(現:西安市)に高等教育機関[太学]を設置)
         (-136:初めて五経博士をおき、[儒教]を国教とする)(-97:司馬遷「史記」を完成、以後の正史の模範となる。)
         (【八分】:隷書の一種で八の字のように線が波形で筆端をはねる[波磔](はたく)をもつ格調高い書体。現在見られる隷書の典型。[漢隷]とも。)
         (【草書】:隷書を崩して字画を省略したもの。[章草]とも。)
      +8~ +23 新 (新の統一書体:小篆)(新における書の六体:【古文】【奇字】【篆書】【佐書】【繆篆】【鳥虫書】)
         (+18:揚雄、[易経]を参考に「太玄経」を作る)                (→第一次北属期のベトナムに[儒教]が伝わる)
     +25~+220 後漢 (後漢の統一書体:隷書)(首都・洛陽(現:洛陽市)に[太学]を設置)  (←インドから後漢期の中国に[仏教]が伝わる)[サンスクリット/パーリ語などの仏典の漢訳作業]
         (+57:漢の倭(委)の奴の国王、後漢に朝貢し、光武帝から印綬を授けられる。←「後漢書」東夷伝)
         (+100(121):字書【説文解字】成立。後漢の許慎により【小篆】を基本に【隷書】で字義と構造を説明した最古の部首別漢字字典。全15篇、小篆9353字+重文1163字、540部首)
         (→説文解字における漢字構造解明の原則「六書」:【象形】【指事】【会意】【形声】【転注】【仮借】)
         (+105:蔡倫、紙の製法を大成。世界の紙の初め)
         (【行書】:隷書の走り書き)
         (【楷書】:隷書を字画厳正にし、一点一画すべて規矩にかなう書き方)←※この[漢]の時代までに現在も使われる【漢字】の概要が固まる。
  220~ 280 三国時代 ([魏]・[呉]・[蜀(蜀漢)]) (←208:[蜀漢]劉備(玄徳),関羽ら、諸葛亮(孔明)の天下三分の計に基づき、[魏]曹操の水軍を赤壁に破る→三国志(演義),京劇)
   ( 222~589:「六朝時代」:[呉],[東晋],南朝の[宋],[斉],[梁],[陳]の総称。)(←「六朝文化」:[儒教][玄学(老荘思想)][仏教][道教]といった宗教の時代の文化。)
   ( 239: 倭の女王卑弥呼、使いを帯方郡に派遣し、魏の明帝への奉献を願う。明帝、卑弥呼を親魏倭王とし、金印紫綬を授ける。←「魏志」倭人伝)
  265~ 420 
     265~316 西晋 (司馬炎(武帝)、首都・洛陽(現:洛陽市)に[太学]を設置)(276:公卿・大夫の子弟(国子)の教育機関[国子学]を設置)(300頃:部首別漢字字典【字林】12824字、540部首)(←現存せず)
     317~420 東晋 (司馬睿(元帝)、首都・建康(現:南京市)に[太学]を設置)(王羲之:書家[書聖]-行書「蘭亭序」) (→372~528:三国時代の朝鮮半島に[仏教]が伝わる)
     304~439 五胡十六国時代(東晋十六国時代):漢民族に加えて5つの異民族(胡)が華北に国家を建てて入り乱れた時代。(五胡:[匈奴],[鮮卑],[羯],[氐],[羌])
             (漢族→[前涼][西涼][冉魏][北燕])(匈奴→[前趙][夏][北涼])(鮮卑→[前燕][後燕][南燕][南涼][西秦])(羯→[後趙])(氐→[前秦][後涼][成漢])(羌→[後秦])
  439~ 589 南北朝時代
       (南朝:[宋]~[斉]~[梁]~[陳])
         (413~478:倭の五王、南朝に遣使(朝貢外交)。←「宋書」夷蛮伝。9回以上)    (5~6世紀:日本に【漢字】伝来→【万葉仮名】)
         (513頃:[宋][斉][梁]に仕えた沈約「宋書」を著す)(→沈約、中国語に声調があることに気づき、平・上・去・入と名づける→【四声】)
         (520頃:[梁]の武帝、周興嗣に書の手本となる漢文の長詩[千字文]を作らせる。)  (←「古事記」和邇吉師の[千字文]記述は年代が前後する)
         (543:[梁]:部首別漢字字典【玉篇】。部分的に現存、親字を楷書とする。16917字、542部首)
       (北朝:[北魏]~[東魏・西魏]~[北斉・北周])
         ([北斉]:国子(貴族・官僚の子弟)の教育機関[国子寺]を設置)
         ([北周]:[儒教][仏教][道教]→中国の[三教])
  581~ 618  (593:首都・大興城(長安,現:西安市)に国子(貴族・官僚の子弟)の教育機関[国子学]を設置→607:[国子監]に改称)
         (601:韻書【切韻】:漢字音を体系的に伝える最古の書。12158字)       (600~618:推古朝の倭国から【遣隋使】。5回以上)
  618~ 907  (首都・長安(現:西安市)に[国子学][太学]などの教育機関を設置)      (630~894:飛鳥-奈良-平安期の日本から【遣唐使】。諸説あるが全20回説のうち実質15回)
    (629~645:玄奘三蔵、インドへ赴く。「大唐西域記」→「西遊記」)           (729~749頃:天平年間の日本に〔梵字(悉曇文字)〕伝来)(804~806:遣唐使(18):最澄、空海)
    (690~705:第3代高宗の皇后・武則天(則天武后)、国号を[周]に変更(武周)。中国唯一の女帝。漢字に加える[圀][埊][曌]などの【則天文字】を創る(17字か?)。→死去に伴い国号は[唐]に戻された)
    (751:韻書【唐韻】)(←現存せず)  (漢詩:杜甫、李白、韓愈、白居易)   
    (7~8世紀:顔元孫、字書(字様書)【干禄字書】を著す。漢字の楷書の字体(異体字)を整理し、正,通,俗の3種類に分類して標準字形を提示)
  907~ 960 五代十国時代 (五代:[後梁],[後唐],[後晋],[後漢],[後周])(十国:[呉],[南唐],[閩],[呉越],[荊南],[楚],[南漢],[前蜀],[後蜀],[北漢])
  960~1279  (趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて建国。異民族の侵入を受け、財貨を贈って和睦するも、華北を奪われ(北宋)、華南へ遷都し再興(南宋))
     960~1127 [北宋] (首都:開封) (1008:韻書【広韻】26194字)(1039:韻書【集韻】53525字)(1067:字書【類篇】:集韻の文字を説文解字の部首順で分類。31319字、540部首)
    1127~1279 [南宋] (首都:臨安(現:杭州市)。北宋が女真族の金に華北を奪われた後に南遷して再興)
   ( 916~1125 遼 :契丹人(キタイ人)の耶律氏(ヤリュート氏)による北辺の征服王朝。〔契丹文字〕)(997:字書【龍龕手鑑】26430余字、242部首)
   (1038~1227 西夏:チベット系のタングート族(党項/唐兀)が現在の中国西北部に建国。〔西夏文字〕)
   (1115~1234 金 :遼と北宋を滅ぼし西夏を服属させた満州民族の女真族による征服王朝。〔女真文字〕)(1208:字書【五音篇海】54595字、444部首)
 1271~1368  (大元大蒙古国:チンギス・カンの孫クビライによりモンゴル帝国から改称。蒙古族による征服王朝。〔モンゴル文字〕〔パスパ文字〕〔トド文字〕〔ソヨンボ文字〕〔方形文字〕など)
   (1274 文永の役)(1281:弘安の役)←モンゴル帝国(大元ウルス)と属国の高麗王国による日本侵攻。「蒙古襲来」「元寇」。応戦と台風等により日本側の勝利。
   (1297:韻書【古今韻会挙要】) (首都・大都(現:北京市)に漢民族ための教育機関[国子監]、モンゴル人のために[蒙古国子監]、西域出身者のために[回回国子監]を設置)
 1368~1644  (明朝・大明・大明帝国:漢民族の朱元璋が蒙古族の[元]を北伐して南京に建国、漢民族による王朝の再興。江南から誕生した王朝は中国唯一)
    1421 首都を南京から北京へ遷都。 (教育機関[国子監]、遷都に応じ南京および北京に設置)
   (1375:韻書【洪武正韻】)
   (1615:字典【字彙】:初めて画数順に214部首を並べ部首に属する漢字の配列順をすべて画数順とした画期的な字書。33179字、214部首)(1627?:字典【正字通】33671字、214部首)
 1616~1912  (清朝・大清国:愛新覚羅(アイシンギョロ)氏のヌルハチ(努爾哈赤)が建てた満洲族による征服王朝。〔満州文字〕〔シベ(錫伯)文字〕など)(清の言語学で語の意味を研究する「訓詁学」が盛んになる)
   (1666:字典【字彙補】:[字彙]に対する追補訂正)  (教育機関[国子監]、首都・北京に存続、[南京国子監]→[江寧府学]に改称)
   (1716:字典【康熙字典】成立:第4代康熙帝の命により編纂、現代にも通ずる字典の祖。Unicodeにも影響。49030字、214部首)
   (1815:注釈書【説文解字注】:[説文解字]に対する注釈の最高峰)
    1839~1842 アヘン戦争:茶葉の大量輸入で貿易不均衡を負ったイギリスがインドから中国にアヘンを密輸入して巨利を得たことから勃発→イギリスが勝利、南京条約で香港を割譲
   (1851~1864 太平天国:洪秀全のキリスト教組織・太平天国の乱)
   (1883~1885 清仏戦争:ベトナム(越南)領有を巡るフランスと清との間の戦争→講和条約である天津条約(李・パトノール条約)でフランスが北ベトナムを獲得、通商路を確保)(→1887:仏領インドシナ)
    1894~1895 日清戦争:おもに朝鮮半島の覇権を巡る大日本帝国と清朝との戦争→日本が勝利、下関条約で台湾を日本へ割譲
   (1904~1905 日露戦争:朝鮮半島(大韓帝国)や満州(満洲,関東州)を巡る大日本帝国とロシア帝国との戦争→日本が勝利、南樺太を日本領とし、満州の租借権がロシアから日本へ移る→1919:関東軍を設置)
   (1872:威基謁「電報新書」:中国文の電報を送るために、漢字と4桁の数字とを対応づけた文字コード「電碼」のためのコードブック。←漢字を符号化した文字コードとして世界初)(→1881:「電報新編」)
   (1906:章炳麟「駁中國用萬國新語說」を著し、古代の篆書・古文などから字形の簡単なものを中国語の音韻字として使う方法を発案。→1913:[記音字母]→[注音字母]→1918:[國音字母]→1930:【注音符号】)
   (1909:陸費逵「教育雑誌」創刊号において「普通教育当採用俗体字(普通教育に俗字を採用すべき)」との論文を発表→漢字簡略化運動のきっかけ)
 1912~1949 中華民国(中華民國) (日清戦争敗戦後に起こった辛亥革命により清の宣統帝(愛新覚羅溥儀)が退位し成立。初代臨時大統領:孫文)
    1912~1928 《北京政府》(国民党(袁世凱):後段の中国国民党(孫文,蒋介石)とは別組織。清朝の首相だった袁世凱が強権政治を発動して孫文らを日本へ亡命させ大統領に就任。首都:北京)
   (1915~1916 《中華帝国》:袁世凱が専制を復活させ皇帝に即位して成立した短命政権。学生デモや多数の軍閥による反発、日本からの非難などにより退位、死去)
   (1916~1928 統一政府が存在していない時期。軍閥の割拠と列強諸国による中国の半植民地化も進行)(1928:張作霖爆殺事件:日本の関東軍が北京政府最後の大統領だった奉天軍閥の張作霖を暗殺。)
    1928~1949 《南京国民政府(蒋介石政権)》(中国国民党と中国共産党との国共合作(第一次)後の北伐により北京の国民党を倒して成立。首都:南京)
    1931~1932 満州事変:柳条湖事件(奉天(現:瀋陽)郊外の柳条湖で日本陸軍の関東軍が南満洲鉄道の線路を爆破した事件)→関東軍、満州(中国東北部)を制圧
   (1932~1945 《満州国》:大日本帝国が清朝最後の宣統帝(愛新覚羅溥儀)を擁立して傀儡政権を樹立)
    1937~1945 日中戦争(支那事変、大東亜戦争):大日本帝国と中華民国との戦争。盧溝橋事件~上海事変~南京事件(南京大虐殺)~重慶爆撃。首都:南京→武漢→重慶
    1940~1945 《中華民国南京国民政府(汪兆銘政権)》(知日派の汪兆銘を日本政府が支援・擁立して成立。→1943:米英に宣戦布告し日本による治外法権の撤廃などを獲得)
    1941~1945 第二次世界大戦(太平洋戦争、大東亜戦争)→1945:日本の敗戦
    1945~1950 国共内戦(第二次):中国国民党と中国共産党との内戦。→1949:南京国民政府(蒋介石政権)が台湾島(台北)へ敗走し遷都。
   (1915:辞典【辭源】)(1915:字典【中華大字典】)(1930:異体字字典【宋元以来俗字譜】)
   (1920:銭玄同「新青年」誌上にて「減省漢字筆画的提議(漢字の筆画を減少させる提案)」を発表)
   (1922:銭玄同、陸費逵ら、8項目の「簡化原則」提出:国語統一籌備会に常用の漢字すべての筆画を減少させる提案)
   (1925:王雲五「號碼檢字法」出版。)(→1926:「四角號碼檢字法」:改善版)(→高夢旦により「附角」を追加。漢字の検索(検字)方法【四角号碼】(しかくごうま)が完成。)
   (1928:ラテン文字による漢字のローマ字表記「國語羅馬字」(国語ローマ字)を「國音字母第二式」として正式認定)(→1930:「注音符号第二式」へ改称)
   (1929:中華民国交通部「明密電碼新編」刊行。→1933:補遺。)
   (1930:陳徳芸「徳芸字典」出版。←7種類の筆形により漢字を検索可能)(→1937:「古今人物別名索引」でも使用)
   (1934:陳立夫「五筆検字 学生字典」出版。←筆画の種類を筆順に従って分類する方式「五筆検字法」を考案。5種類の筆形[五筆]を用い、漢字の初画から第3画までの筆形により漢字を検索可能)
   (1935:銭玄同「簡体字譜」草案:2400字余)(→1935:国民政府教育部「第一批簡体字表」(324字) 公布)(→1936:「暫不推行」命令で普及中止)(1937:字体研究会「簡体字表第一表」(1700字) 発表)
   (1936:辞書【辭海】初版:中華書局、上下2冊)(1936:【教育部國語辭典】)
 1949~ 中華人民共和国(中华人民共和国) (中国共産党による一党独裁政権。初代国家主席:毛沢東)
  1949~1976 《毛沢東》政権 (中国国民党と中国共産党との国共内戦での勝利による成立。毛沢東主席、首相:周恩来)
    1949 南京を制圧、毛沢東が北京の天安門にて建国を宣言。(中華民国(南京国民政府:蒋介石政権)が台湾島(台北)へ敗走し遷都。)
    1950 中ソ友好同盟相互援助条約 (ソ連が租借していた大連、旅順が返還、ソ連の経済援助の下で復興を目指す)
    1950 人民解放軍、チベットへ侵攻 (→1951:チベット全域が中国の実効統治下→1956~:チベット動乱。人民解放軍による虐殺→1959:ダライ・ラマ14世、インド北部ダラムサラにチベット亡命政府を樹立)
    1950 朝鮮戦争 (ソ連に派兵を拒否された金日成が中国に派兵要請、100万人規模の大部隊「中国人民志願軍」(抗美援朝義勇軍)を派兵、米軍主体の国連軍を朝鮮半島南部にまで追い詰める)
   (1952:漢字研究機関「中国文字改革研究委員会」設立)(→1954:「中国文字改革委員会」へ改称)(→1955:「漢字簡化方案草案」発表)
   (1952:中央人民政府郵電部「標準電碼本」発行。)(→1981:中華人民共和国郵電部電信総局「標準電碼本」改訂。)
    1953 全国人民代表大会(全人代)が成立
   (1953:字典【新華字典】:初版では[五筆]により部首画数索引で同一画数の字を並べる方式)(1955:「第一批異体字整理表」(第一批异体字整理表))
   (1956:国務院「漢字簡化方案」(汉字简化方案):漢字の簡略字形【簡体字】(简化字)の創製)(1965:「印刷通用漢字字形表」(印刷通用汉字字形表))
    1958~1961 大躍進政策 (毛沢東が推進した農業・工業の大増産政策→過大なノルマにより経済の大混乱と多量の餓死者を出す→毛沢東、国家主席を辞任。劉少奇-鄧小平ラインに実権が移る)
   (1958:「漢語拼音方案」(汉语拼音方案):漢語(普通話などの漢字で書かれる中国語)の発音のローマ字(ラテン文字)による表記法の制定)
    1960年代~: 中ソ対立  (中国とソビエト連邦との対立。→1966:中国がソ連を「社会帝国主義」と批判→1969:中ソ国境紛争)
   (1964:漢字査字法整理工作組 [拼音][部首][四角号碼][筆形] 4種類の査字法の草案を公表。)
    1966~1976 文化大革命 (復権を画策した毛沢東らが紅衛兵と称する学生運動を煽動→紅衛兵による大量殺戮や内乱、[四人組]に権力が集中→1976:毛沢東の死去により終結)
   (1971:国連代表権:国際連合での代表権が中華民国(台湾)から中華人民共和国へ移り、国連常任理事国となる。)
    1972 アメリカのニクソン大統領が中国を突然訪問し、毛沢東主席や周恩来総理と会談。米中関係が対立から和解へ。
    1972 日中国交正常化  (ニクソン米大統領に続き日本の田中角栄首相が訪中し毛沢東主席との首脳会談により実現。日本、中華人民共和国の「ひとつの中国」方針を受容、中華民国との国交を断絶。)
  1976~1978 《華国鋒》政権 (毛沢東路線を踏襲するも脆弱な権力基盤により鄧小平に実権を奪われ失脚。)
   (1977:中国文字改革委員会「第二次漢字簡化方案草案」を発表(二簡字)→過度な簡略化が猛烈に批判され8年間の試行で廃止)
  1978~1989 《鄧小平》政権 (政治体制は共産党一党独裁を堅持しつつ、資本主義経済導入などの改革開放政策を取り、近代化を進める画期となった。鄧小平主席、総書記:胡耀邦・趙紫陽)
   (1978:辞典【现代汉语词典】:初版では[五筆]により部首画数索引で同一画数の字を並べる方式)
    1979 中越戦争  (ベトナムの侵攻によって崩壊したポル・ポト政権のカンボジアを支援していた中国がベトナムへ侵攻。ベトナム戦争における勝利を経たベトナム軍には勝てず撤退。)
   (1979:辞書【辞海】第一次修正版:上海辞書出版社、3冊)
   (1981:国家規格【GB 2312】)
   (1986:辞典【汉语大词典】)(1986:字典【汉语大字典】)
   (1986:「簡化字総表」(简化字总表))(1988:「現代漢語通用字表」(现代汉语通用字表))(1988:「現代漢語常用字表」(现代汉语常用字表))
    1989 天安門事件 (六四-、第二次-とも。1980年代に改革開放政策を進めて失脚した胡耀邦の追悼と民主化を求めた学生や市民が北京の天安門広場で百万人規模のデモ。→政府による武力鎮圧、趙紫陽も失脚)
  1989~2002 《江沢民》政権 (天安門事件直後に鄧小平の指名により就任。改革開放路線の継承、国家資本主義、世界の工場、貧富格差の拡大。江沢民国家主席、副主席:栄毅仁・胡錦濤、首相:李鵬・朱鎔基)
    1990年代~ 経済成長期
   (1994:字典【中华字海】)
    1997:イギリスから香港が返還→香港特別行政区  1999:ポルトガルからマカオが返還→澳門特別行政区  →「一国二制度」
   (1999:国家規格「GB13000.1 字符集汉字字序(笔画序)规范」←GBKの20902字について総画数と筆形を定義。現行)(GB=国家標準)
  2002~2012 《胡錦濤》政権 (改革開放路線の堅持、外交関係の改善に注力、官僚腐敗への対処。胡錦濤国家主席、副主席:曽慶紅・習近平、首相:温家宝)
    2008 北京オリンピック
    2010 GDP値で中国が日本を追い抜き、世界第2位の経済大国となる
   (2010:辞書【辞海】第六版普及本:上海辞書出版社、3冊)
  2012~現在 《習近平》政権 ([一帯一路]経済圏構想、軍備力の増強、[習近平思想]、国家主席と副主席の任期制限を撤廃、米中貿易戦争。習近平国家主席、副主席:李源潮・王岐山、首相:李克強)
   (2013:「通用規範漢字表」(通用规范汉字表):一級字3500字、二級字3000字、三級字1605字。計8105の簡体字)
   (2013:「通用規範漢字字典」(通用规范汉字字典):「通用規範漢字表」の正確な理解と使用を図り出版。簡化字と繁体字、正字と異体字の対応関係、相当の繁体字と異体字を掲載。
   (2013:「規範字と繁体字、異体字対照表」(规范字与繁体字、异体字对照表):「通用規範漢字表」の正確な使用、古書の閲覧や台湾、香港、マカオとの交流の便を図るための参考用。)
       (→「通用規範漢字表」に記載の3120字に対し、繁体字2574字(2546組)、異体字1023字(794組)の字体を示す)
    2020 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的大流行(パンデミック)が発生。発生源と見られる湖北省東部の武漢市を都市封鎖(ロックダウン)。
    2022 北京オリンピック(冬季) (開催予定)

 ●主要な言語……標準中国語([普通話]≒[(台湾)国語]←官話≒北方方言・北京語)
   (七大方言)…1.粤語(エツ語。>広東語)、2.北方語(官話方言)、3.呉語(ゴ語。>上海語・蘇州語)、4.贛語(カン語。>南昌語)、
         5.湘語(ショウ語。>長沙語)、6.閩語(ビン語。>閩北語・閩東語・閩南語(>福建語・台湾語)・閩中語・莆仙語(ホセン語))、7.客家語(ハッカ語)
   (十大方言)…(七大方言に加えて) 8.晋語(シン語)、9.徽語(キ語)、10.平話(広西平話)
 ●その他の言語…満州語、回輝語、海南語、タタール語、ウズベク語、チベット語、ウイグル語、キルギス語、オロチョン語、エイヌ語、ダウール語、ベトナム語、
         ワハーン語/ワヒー語、カザフ語、モンゴル語、康家語、トゥバ語、富裕キルギス語、トカラ語、ナナイ語、拉珈語、オイラト語、エヴェンキ語、ギャロン語、サリコル語、
         イ語(彝語)、リス語(傈僳語)、シベ語(錫伯語)、チワン語(壮語)、ハニ語(哈尼語)、ヤオ語(瑶語)、リー語(黎語)、シェ語(畲語)、ミャオ語(苗語)、ペー語(白語)、トン語(侗語)、バオアン語(保安語)、
         サンタ語(東郷語/东乡语)、モングォル語(土族語)、プイ語(布依語)、チンポー語(景頗語)、サラール語/サラ語(撒拉語)、東部ユグル語(東部裕固語)、オンベ語(臨高語)、アヌン語/アノン語(阿儂語/阿侬语)、など
 ●主要な文字……漢字(汉字)【簡体字=简化字】、ラテン文字(漢語拼音(ピンイン)=ローマ字)
 ●その他の文字…ラテン文字(閩語や客家語などの表記に用いる[白話字]や[平話字](漢語拼音とは異なる方式のローマ字表記)、およびミャオ語などを表記する場合)、
         アラビア文字(回族=イスラーム、ウズベク語など)、イ文字(彝文字=規範彝文)、リス文字(傈僳文字=フレイザー文字(ラテン文字系統))、シベ文字(錫伯文字=モンゴル・満州文字系統の縦書き文字)、
         古壮字(方塊壮字とも。漢字と共通点の多いチワン語の文字)、女書(中国南部のヤオ族(瑶族)の女性が用いた文字)、ほか
         (過去にはキリル文字も、モンゴル語など多くの言語表記に用いられたが、現在は中国とロシアとの関係悪化により、ドンガン語(东干语:東干語)など一部の少数言語でしか用いられない。)
 ※中国語における漢字の読み方は、例外として複数の読み方を持つ100字ほどの漢字を除けば、基本的には「ひとつだけ」である。
  七大方言などの言語ごとの発音には多少の違いがあるため言語的には通じない場合があるが、漢字を使うことでは共通するため「筆談」であれば、大まかな意思疎通は可能とされる(一部の例外的な用字を除く)。
 ※現在の中国国内での[漢字]の表記は、基本的にすべて[簡体字]でおこなわれ、繁体字については教育現場や歴史的表現や書道の揮毫など限られた場面でしか使われない。
  たとえば、香港に隣接する[深圳市]や、マカオに隣接する[珠海市]などでは、話し言葉としては香港・マカオと同じ「広東語」が話されているのであるが
  伝統的な表記(いわゆる繁体字)を用いている香港・マカオでは、ほぼすべての場面で繁体字を用いるのに対し、中国・広東省側の深圳市や珠海市では、基本的に簡体字を用いている。
  一方、中国共産党による簡化の影響を受けていない台湾(中華民国)では、ほぼすべての場面で伝統字(繁体字)のみが用いられ、簡体字はまったくと言っていいほど使われない。
  中国語には各種の言語(方言)があるが、使う言語(方言)さえ同じなら、繁体字圏と簡体字圏との用字の違いは、基本的には表記する文字の繁体字と簡体字とを入れ替えれば済む。
 ※中国国内のモンゴル語や、ウズベク語・キルギス語などでは、以前は本来の民族(話者)が多い地域で標準的に用いられる「キリル文字」が使われていたが、
  1980年代以降は旧ソ連(現ロシア)との関係悪化によりキリル文字の使用は避けられており、伝統的なモンゴル文字や改良アラビア文字などで表記することになっている。
 ○主な文字集合…【GB 2312】(1981~):中華人民共和国の国家規格として定められた簡体字中国語の符号化文字集合(文字コード)。(GB=国家標準)
 ○主な入力方式…【拼音輸入法】(拼音输入法):漢語拼音(ローマ字)を英文タイプの要領で入力してラテン文字の文字列を作り、漢字に変換する。(日本語での[ローマ字入力]を用いての[かな漢字変換]に近い)
                       搜狗、百度、腾讯、Google などの IT系企業が提供しているが、中でも[搜狗拼音输入法]のシェアが高いとされる。
         【五筆画輸入法】(五笔画输入法):スマートフォンなどのテンキーの1~5に中国政府による国家規格(GB)の五筆(横[一]・竖(堅)[丨]・撇[丿]・点[丶]・折[乛])を配置して
                         五筆の連打や組み合わせだけで漢字の書き順のように入力して漢字の候補を表示し、候補から選択することで漢字文の入力に用いる。



香港 (中国広東省・珠江河口の東側南端部。広東省南岸中央部の深圳市に隣接)
   ~1368(元朝までは中国の一部としての歴史)
 1368~1644 明朝統治期
   (1517:大航海時代のポルトガル人が明朝時代の香港へ来航、屯門島を占拠)
 1644~1842 清朝統治期
   (1699~:広州の開港に伴いイギリス東インド会社などが来航、1839:アヘン戦争勃発)
 1842~1997 イギリス統治下(阿片戦争後の南京条約により植民地として割譲)
   (1941~1945 大日本帝国による占領→1945:日本の敗戦)
   (1985:「常用字字形表」:4762字)
 1997~ 中華人民共和国香港特別行政区:イギリスから中国への返還に伴う「一国二制度」による統治)
   (2005:辞書【辭海】合訂本:中華書局(香港)有限公司)
   (2007:対米ドル通貨レートで中国の人民元が香港ドルを上回る)
   (2014:反政府デモ(雨傘運動/雨傘革命)、反中国デモ)
   (2019:香港政府による「逃亡犯条例改正案」への撤回要求関連デモ、暴動)
   (2020:中国政府・全人代による「香港特別行政区国家安全維持法」が成立・施行。返還後50年間は自治を認めた「一国二制度」を事実上ないがしろにするものとして内外の自由主義陣営から批判が上がる。)

 ●主要な言語……広東語(粤語の一種)
 ●その他の言語…英語、標準中国語(普通話)、客家語、潮州語、上海語、閩南語、タガログ語、インドネシア語、ヒンディー語、韓国語、日本語、タイ語など
 ●主要な文字……漢字【繁体字=繁體】、ラテン文字(外国語および漢語拼音)
 ●その他の文字…簡体字(政府系文書など)、ほか
 ◎有名人(抜粋)…アグネス・チャン(陳美齢:歌手)、レスリー・チャン(張國榮:歌手・俳優)、ジャッキー・チュン(張学友:歌手・俳優)、アンディ・ラウ(劉徳華:歌手・俳優・映画プロデューサー)、王 菲(フェイ・ウォン:歌手)、
          ブルース・リー(李小龍:俳優)、ジャッキー・チェン(成龍:俳優)、サモ・ハン・キンポー(洪金寶:俳優)、マイケル・ホイ(許冠文:俳優)、サミュエル・ホイ(許冠傑:歌手)、チョウ・ユンファ(周潤發:俳優)、
          ジョン・ウー(呉宇森:映画監督)、レイモンド・チョウ(鄒文懷:映画プロデューサー)
 ○主な文字集合…【HKSCS(香港増補字符集)】(1999~):先行した台湾の繁体字セット[Big5](≒普通話)を参考に、香港で使う広東語の方言字などを追加。
 ○主な入力方式…【倉頡輸入法】:漢字は2~5種のパーツ(字根)で分類されており、キーボードの各キーに対応した字根を組み合わせて漢字に変換する。
                (漢字入力の中では比較的高速な方式で、さらに効率性を高めた派生方式も各種存在する。中でも[速成輸入法]はシェアが高いとされる。)
         【筆画輸入法】(筆劃輸入法/筆畫輸入法):スマートフォンなどのテンキーの1~5に中国本土由来の五筆(横[一]・堅[丨]・撇[丿]・点[丶]・折[乛])を配置して
                             五筆の連打や組み合わせだけで漢字の書き順のように入力して漢字の候補を表示し、候補から選択することで漢字文の入力に用いる。



マカオ (漢字表記:澳門)(中国広東省・珠江河口の西側南端部。広東省南岸中央部の珠海市に隣接)
   ~1368(元朝までは中国の一部としての歴史)
 1368~1644 明朝統治期
   (1517:大航海時代のポルトガル人が明朝時代の広東(香港)へ来航)(1541~1543:ポルトガル船が日本へも来航)
   (1557:ポルトガルがマカオでの永久居留権を明朝から獲得)(1639:日本、ポルトガル船(南蛮船)の来航を禁止→鎖国)
 1644~1845 清朝統治期
 1845~1999 ポルトガル統治下(阿片戦争後の香港情勢に刺激されたポルトガルによる占領と植民地化)
   (1943~1945 大日本帝国による保護領化→1945:日本の敗戦)
   (1974:ポルトガル本国「カーネーション革命」により海外植民地の放棄を宣言)
 1999~ 中華人民共和国澳門特別行政区:ポルトガルから中国への返還に伴う「一国二制度」による統治)

 ●主要な言語……広東語(粤語の一種)
 ●その他の言語…標準中国語(普通話)、客家語、その他の中国語、英語、タガログ語、ポルトガル語(話者減少)など
 ●主要な文字……漢字【繁体字=繁體】
 ●その他の文字…簡体字(政府系文書など)、ラテン文字(外国語および漢語拼音)




台湾 (台湾島、臺灣/台灣)
   ~1624 台湾原住民時代 (南洋系オーストロネシア語族の台湾原住民のほか、漢民族や、倭寇の活発化により日本人も居住)
 1624~1662 オランダ統治期 (台湾の別称「フォルモサ」誕生。1624:オランダ東インド会社が要塞を築く。1642:スペイン勢力を排除)
 1662~1683 明鄭統治期 (明朝の滅亡(1644)から漢民族の復権を目指した鄭成功が、満州族の清朝への抵抗拠点とするため、台湾島のオランダ東インド会社を駆逐)
 1683~1895 清朝統治期 (満州族の清朝が、抵抗を続ける漢民族の鄭氏政権を滅ぼして台湾を制圧。大陸との距離から積極的な統治はおこなわれず。)
   (1871 宮古島島民遭難事件:台湾近海で遭難した宮古島の島民54名が台湾原住民に殺害される。→1874:日本による[台湾出兵])
   (1883~1885 清仏戦争。主戦場はベトナム(越南)であったが台湾島もフランス軍からの攻撃を受ける→清は台湾島の軍を増強しフランス軍は撤退)
   (1885~1895 清朝「台湾省」を設置。積極的な統治へ移行するも日本への台湾割譲により清朝撤退)
 1895~1945 日本統治下 (大日本帝国と清朝との日清戦争後の下関条約により割譲、大日本帝国「台湾総督府」を設置)
   (1895 台湾総督府「第一次台湾教育令」を公布)(→1922:「第二次台湾教育令」)
   (1915:辞典【辭源】)(1915:字典【中華大字典】)(1930:異体字字典【宋元以来俗字譜】)
   (1936:辞書【辭海】初版:中華書局、上下2冊)(1936:【教育部國語辭典】)
    1941~1945 第二次世界大戦(太平洋戦争、大東亜戦争)(1941:台湾教育令を一部改正、台湾でも皇民化教育を開始し、台湾人を日本人化させた。)
    1945 日本の敗戦 (台湾の統治権が当時の中国を代表する中華民国(中国国民党)へ移行)
 1945~ 中華民国(中華民國)
    1945~1949 南京国民政府(蒋介石政権) (1945:日本の敗戦を受け中華民国軍が台湾に進駐)
      (1947:蒋介石、戒厳令を敷き台湾人(本省人)を弾圧。南京国民政府[中華民国憲法]施行。蒋介石、[主席]改め初代[総統]に就任:1948)
    1945~1950 国共内戦(第二次):中国国民党と中国共産党との内戦→国民党の敗北に伴い南京から台北へ遷都、政府系の漢民族が大量に移住。
      (1949:蒋介石、国共内戦の敗北を受け総統を辞任、首都南京を脱出。南京→重慶→成都→台湾島。首都:南京→広州→臨時首都:台北)
    1949~1996 台湾国民政府 (1950:蒋介石が総統に復帰→1975:死去) 台湾島と周辺島嶼群だけの実効支配となる。首都:台北
      (大陸から移住して来た[外省人]と[本省人](台湾人)との対立→国民党による圧力→普通語教育、中華文化の推奨→台湾の中華化)
      (1956:辞書【辭海】:台湾中華書局、上下2冊)
      (1971:国連代表権問題:国際連合での代表権が中華人民共和国へ移り、中華民国は議席を失う。国家非承認問題)
      (1972:日本:「日中国交正常化」に伴い、中華人民共和国の「ひとつの中国」方針を受容、中華民国との国交を断絶。)
      (1977:漢字の入力方式「倉頡輸入法」が台湾で発表される→現在では香港で主流の入力方式となっている)
      (1979:辞書【辭海】最新增訂本:台湾中華書局辞海編集委員会編、上中下3冊)(→1985:辞書【辭海】續編1冊を追加、全4冊)
      (1982:「常用国字標準字体表(常用國字標準字體表)」(甲表):4808字)
      (1982:「次常用国字標準字体表(次常用國字標準字體表)」(乙表):6341字)
      (1982:「国字標準字体(國字標準字體)」:甲表4808字と乙表6341字の標準字体を示す)(→1998:改訂→現行)
      (1983:「罕用字体表(罕用字體表)(罕用=かんよう)」(丙表):18388字)
      (1986:「注音符号第二式」(国語ローマ字)を「国語注音符号第二式」へ改訂)(→2002:「通用拼音」へ改訂)
      (1980~1990年代 工業化と急速な経済発展。)
    1996~ 民主化 (中国国民党による一党独裁体制の終結、国民による総統選挙。李登輝総裁を選出。)
      (1988-第4代[李登輝]、2000-第5代[陳水扁]、2008-第6代[馬英九]、2016-[蔡英文])
      (2000:辞書【辭海】十版:台湾中華書局辞海編集委員会編、全4冊)
      (2009:「漢語拼音」(中華人民共和国にて定められた漢字のローマ字表記法)を公式に採用。[国語ローマ字]由来の「通用拼音」は事実上の廃止)
      (2020:新型コロナウイルス感染症(COVID-19)には早期より対応して流行拡大を食い止める。中国との関係が悪化したアメリカの高官が1972年の国交断絶以来はじめて訪問。)

 ●主要な言語……台湾国語(國語←官話≒北方方言・北京語)≒普通話
 ●その他の言語…台湾語(閩南語の一種)、客家語、台湾諸語(台湾原住民の諸言語。南洋系のオーストロネシア語族)、閩東語など
 ●主要な文字……漢字【繁体字=正體】、注音符号(漢字の古代の字形から採られた発音記号(表音文字)。初等教育に用いられる)
 ●補助的な文字…ラテン文字(外国語および漢語拼音)
 ◎有名人(抜粋)…王 貞治(おう さだはる:元プロ野球選手)、関口清治(せきぐち せいじ:元プロ野球選手)、呂 明賜(ろ めいし:元プロ野球選手)、郭 源治(かく げんじ:元プロ野球選手)、郭 泰源(かく たいげん:元プロ野球選手)、
          范 文雀(はん ぶんじゃく:女優)、余 貴美子(よ きみこ:女優)、李 香蘭(り こうらん:山口淑子:歌手・女優)、欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー:歌手)、ジュディ・オング(歌手)、テレサ・テン(鄧 麗君:歌手)、
          邱 永漢(きゅう えいかん:実業家・作家)、陳 舜臣(ちん しゅんしん:小説家)、東山彰良(ひがしやま あきら:小説家)、羅生門 綱五郎(らしょうもん つなごろう:元力士・プロレスラー・俳優)、
          安藤百福(あんどう ももふく:実業家)、金城 武(かねしろ たけし:俳優)、蓮舫(れんほう:ジャーナリスト・タレント・政治家)、金 美齢(きん びれい:評論家)、林 志玲(リン・チーリン:モデル)、
          涂 阿玉(と あぎょく:プロゴルファー)、ビビアン・スー(タレント)、インリン(インリン・オブ・ジョイトイ:タレント)
 ○主な文字集合…【Big5(五大碼)】(1984~):民間5社による繁体字中国語の事実上の標準。(1986:【CNS 11643】…公的規格で普及せず)
 ○主な入力方式…【注音輸入法】:キーボードの各キーに対応した注音符号であらわされる漢字の読みを入力して漢字に変換する。(日本語での[かな入力]を用いての[かな漢字変換]に近い)
                 (注音符号は漢字の古代の字形から採られた通常37文字からなる表音文字で、現在も中華民国(台湾)の初等教育においては必ず習得するものである。)
         【筆画輸入法】(筆劃輸入法/筆畫輸入法):スマートフォンなどのテンキーの1~5に中国本土由来の五筆(横[一]・堅[丨]・撇[丿]・点[丶]・折[乛])を配置して
                             五筆の連打や組み合わせだけで漢字の書き順のように入力して漢字の候補を表示し、候補から選択することで漢字文の入力に用いる。



シンガポール (漢字表記:新加坡)(マレー半島南端の島国、国名はサンスクリットで「獅子」を示す「シンハ」に由来)
  ~14世紀 マジャパヒト王国テマセック (14世紀末にはサンスクリットで「ライオンの町」を示すシンガプーラの名称が定着)
 1402~1511 マラッカ王国シンガプーラ
 1511~1641 ポルトガル領マラッカ (以下、占領期を除き1965の独立までは[~の一部シンガプーラ])
 1641~1819 オランダ領マラッカ
 1819~1957 イギリス統治下(イギリス東インド会社の商館建設後、1824より植民地化。1826:英「海峡植民地」として再編)
   (1824頃:シンガポール島では華人(中国系)が最大の民族集団となる。当時は伝統的な漢字(現在でいう繁体字)を使用)
   (1942~1945 大日本帝国による占領、「昭南島」(昭和に手に入れた南の島)と改称→1945:日本の敗戦)
 1957~1959 マラヤ連邦
 1959~1963 イギリスの自治領
 1963~1965 マレーシア連邦
 1965~ シンガポール共和国 (63年の選挙や64年の暴動に伴いマレーシア連邦から追放される形で都市国家として分離独立。英連邦の一員となる)
   (1969:シンガポール独自の「簡体字表」、1976~:独自簡化を廃止し中国と同一の簡体字を採用)

 ●主要な言語……(公用語4言語):英語、標準中国語(華語/マンダリン)、マレー語(憲法上の国語)、タミル語(南インド系)
 ●その他の言語…シングリッシュ(シンガポール式英語)、シンダリン(シンガポール式華語)、閩南語、広東語、潮州語、客家語、日本語など
 ●主要な文字……ラテン文字(英語/マレー語)、漢字(汉字)【簡体字=简化字】、タミル文字
 ●補助的な文字…漢字(繁体字)、片仮名
 ※シンガポールでの[漢字]は、1969年より独自に字形の簡略化を進めていたが、より簡単にするため1976年より中国大陸の「簡体字」に倣うこととしている。
  ただし中国国内の状況とは異なり、伝統的な漢字(いわゆる繁体字)が原則禁止されたわけではなく、両方の表記が混在する状況が続いている。



マレーシア (漢字表記:马来西亚(簡)/馬來西亞(繁)/馬来西亜(日))(マレー半島南部およびボルネオ島北部からなる連邦制の立憲民主制国家、イギリス連邦の加盟国)
 初期王国期: (各王国は多くの勃興があるため抜粋)
  7世紀~13世紀 シュリーヴィジャヤ王国 (大乗仏教による繁栄)
   630~1136 クダ王国 (ヒンドゥー教の王朝。1136年に9人目の王がイスラームに改宗してクダ・スルタン国となる)
 イスラム系王国の台頭期: (13世紀にイスラム教が伝来、仏教とヒンドゥー教の時代の終焉)
  1136~1946 クダ・スルタン国:世界最初のスルターン国(イスラム君主国)とされる
  1402~1511 マラッカ王国:マレー半島南岸に栄えたマレー系イスラム港市国家 (1408:明朝による独立承認)
  1405~1915 スールー王国:ボルネオ島北東部からスールー諸島に存在したイスラム教国家
  1528~現在 ジョホール王国:マレー半島南部地域(→現在のジョホール州)
 ヨーロッパ植民地期:
  1511~1641 ポルトガル領マラッカ (ポルトガルによるマラッカ占領)
    (1542 日本「鉄砲伝来」:ポルトガル式の火縄銃型の鉄砲がマラッカから種子島へ伝わる)
    (1549 日本「キリスト教の伝来」:インド西海岸のゴアからマラッカ経由で日本へ、イエズス会のバスク人宣教師フランシスコ・ザビエルが来朝、九州・山口で布教活動)
  1641~1824 オランダ領マラッカ (オランダによるマラッカ占領)
  1826~1946 海峡植民地 (イギリスによる植民地支配)
    (1874-1946:英領マラヤ)(1895-1946:マレー連合州)(1909-1946:マレー非連合州)(1841-1946:サラワク王国)(1882-1963:北ボルネオ)
 第二次大戦期:
  1941~1945 大日本帝国による占領 (日本軍がマレー半島北端に奇襲上陸「マレー作戦」「マレー沖海戦」「粛清(残虐行為)」→1945:日本の敗戦)
 第二次大戦後のマレーシア: (イギリス主導によりイスラム教徒のムラユ人(マレー人)君主スルターンと中国系華人との地位闘争が表面化)
  1946~1948 マラヤ連合 (英領マラヤと海峡植民地(シンガポールは除く)による連合。マレー半島内の華人にも市民権を付与、スルターンの反発)
  1948~1963 マラヤ連邦 (マレー半島9州とペナン、マラッカによって結成。華人の市民権を制限、スルターンの地位を回復)(1957:英連邦の一員として独立)
  1963~ マレーシア (マレーシア連邦とも)
    (1965 華人の多いシンガポールがマレーシアより分離独立)
    (1981 残った華人向けに「簡化漢字総表」を発表し中国と同一の簡体字を採用)

 ●主要な言語……マレー語(公用語。マレーシア語とも)、英語(準公用語)、標準中国語(普通話≒北京語)、タミル語(南インド系)
 ●その他の言語…(マレー系先住民:イバン語、ビダユ語、カダザン語、アスル語)、(中国系華人:広東語、福建語(閩南語)、潮州語、客家語、上海語など)
 ●主要な文字……ラテン文字(マレー語,英語)、ジャウィ文字(マレー語用のアラビア文字)、漢字(汉字)【簡体字=简化字】、タミル文字
 ●補助的な文字…漢字(繁体字)
 ※マレーシアの人口比は、マレー系(約65%:少数民族を含む)、中国系(華人:約24%)、インド系(多くはタミール人:約8%) などである。
  このうち華人が使う[漢字]は、学校教育においてはシンガポールより遅れて1981年から「簡体字」が採用されているが
  現在も伝統的に「繁体字」も使われているのは、シンガポールでの状況と同様である。




日本
 《原始》-----
 -14000頃~-4世紀頃 縄文時代
 -4世紀(-10世紀)~+3世紀中頃 弥生時代
   ( 57 漢の倭(委)の奴の国王、後漢に朝貢し、光武帝から印綬を授けられる。←「後漢書」東夷伝)
   ( 239 倭の女王卑弥呼、使いを帯方郡に派遣し、魏の明帝への奉献を願う。明帝、卑弥呼を親魏倭王とし、金印紫綬を授ける。←「魏志」倭人伝)
 3世紀中頃~7世紀頃 古墳時代
   ( 265:百済と結んで新羅と戦い、任那の支配に成功。←「日本書紀」)(←[任那日本府]:?~562)
   ( 391~480:倭・高句麗戦争。高句麗の好太王が百済を攻め服従させるも百済は倭と結んだため百済を再び攻略、任那加羅にて倭軍を打ち破る。←「日本書紀」「三国史記」「好太王碑」など)
   ( 404(284)(応神天皇15年):百済から阿直岐が来朝)(405(285):博士王仁(和邇吉師)、百済を経由し日本に[論語][千字文]を伝える。【漢字】伝来→【万葉仮名】:日本語に漢字音を当てて書く)
   ( 413~478:倭の五王、南朝に遣使(朝貢外交)。9回以上)
   ( 513,516:五経博士が来朝)
   ( 538(552) [仏教]公伝(伝来):百済の聖明王(聖王)の使者により仏像や経典が伝わる)(翌年:易博士、暦博士、医博士などが来朝)
   (この頃までに伝来した漢字音→【呉音】:文化の中心地であった揚子江下流域の[呉]と呼ばれる地域の発音。後に禁止されたが仏典の読み方として残された)
 《古代》----- 天皇を頂点とする朝廷政治~武士の台頭
  592~ 710 飛鳥時代 (現在の奈良県高市郡明日香村付近の「飛鳥」地域に都が置かれた時期)(593:聖徳太子、摂政になる)
   ( 600~618:【遣隋使】:推古朝の倭国から5回以上)(遣隋使(2):聖徳太子の「日出處天子…」の国書を小野妹子らが持参、隋煬帝が立腹。「隋書」)
   ( 604 聖徳太子による国政改革「冠位十二階」「十七条憲法」など) (611~615:「三経義疏」)
   ( 630~702:【遣唐使】:諸説あるが全20回説中 (1)~(8) の8回(不明の(6)を除くと実質7回))
     645 大化の改新:中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を滅ぼして日本の国家体制の確立。日本最初の元号「大化」の制定。
     663 白村江の戦い:倭国・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との戦争→倭国水軍の大敗→九州北部に大宰府防衛網を構築
     694 飛鳥浄御原宮から藤原京へ遷都 (←689:日本最初の律令「飛鳥浄御原令」)
     701 日本初の律と令が揃った本格的律令「大宝律令」成立。国号の変更:[倭]→[日本]
   ( 702 遣唐使(8):白村江の戦い以来の国交回復を目的とし、また日本の国号変更を唐に通告したとされる。)
  710~ 794 奈良時代 (文武天皇期に藤原京から平城京(現在の奈良)へ遷都を建議、元明天皇期(710:和銅3)に第一次遷都、聖武天皇期の745(天平17)年に再遷都。)
   ( 717~779:【遣唐使】:諸説あるが全20回説中 (9)~(17) の9回(中止等の(11)(14)(15)を除くと実質6回))
   ( 729~749頃:天平年間の日本に〔梵字(悉曇文字)〕伝来→五十音図の原型)
   ( 712 歴史書「古事記」)(713:地誌「風土記」)(720:歴史書「日本書紀」)(751:漢詩集「懐風藻」)(759:和歌集「万葉集」)
     784 桓武天皇により平城京から長岡京へ遷都。
  794~1185 平安時代 (桓武天皇により長岡京から平安京(現在の京都)へ遷都。京都は明治2年(1869)に政府が東京に移転するまで日本の首都。)(797:歴史書「続日本記」)
   ( 804~894:【遣唐使】:諸説あるが全20回説中 (18)~(20) の3回(停止の(20)を除くと実質2回))(804~806:遣唐使(18):最澄、空海)(894:遣唐使(20):菅原道真の建議により停止)
   (9世紀前半:【篆隷万象名義】:空海によって書かれた現存最古の日本製字書。16000字弱、542部首)(←中国の南北朝期・梁の【玉篇】より)
   (9世紀初め頃:【片仮名】:漢文を和読するために、万葉仮名(借字)として使われてきた漢字の一部の字画を省略し、本文の漢字に付記したものに始まると考えられている。)
   (9世紀後半頃:【平仮名】:万葉仮名(借字)として使われてきた漢字を極度に草体化したもの。)→(905:勅撰和歌集「古今和歌集」)(935:日記「土佐日記」紀貫之)
   ( 910以前:物語「竹取物語」)( 940以後:軍記物語「将門記」)(974以後:日記「蜻蛉日記」藤原道綱母)(985:仏教書「往生要集」源信)
   (1000頃:随筆「枕草子」清少納言)(1008頃:物語「源氏物語」紫式部)(1059以後:日記「更級日記」菅原孝標女)(1120頃:歴史物語「大鏡」)(1120頃:説話集「今昔物語集」)(1170:歴史物語「今鏡」)
   (この頃までに伝来した漢字音→【漢音】:隋/唐の標準語となった都[長安]付近の北方音)
 《中世》----- 武家政権の始まり~群雄割拠の混乱期
 1185~1333 鎌倉時代 (1192:源頼朝、征夷大将軍に任ぜられる。→鎌倉殿。→北条氏の執権政治)
   (1195:歴史物語「水鏡」)(1212:随筆「方丈記」鴨長明)(1220:史論書「愚管抄」慈円)(1279頃:日記「十六夜日記」阿仏尼)
   (1274:文永の役)(1281:弘安の役)←モンゴル帝国(大元ウルス)と属国の高麗王国による日本侵攻。「蒙古襲来」「元寇」。応戦と台風等により日本側の勝利。
 1333~1336 建武の新政:鎌倉幕府の終焉に伴い後醍醐天皇が親政をおこなう。朝廷が実権を握り武家政権が中断。→足利尊氏が離反、北朝を擁立し朝廷が南北に分裂(1336:建武の乱)。
 1336~1573 室町時代 (京都の室町に幕府を置いた足利将軍家(室町幕府)による政権期)
    1336~1392 南北朝時代 (足利尊氏が新たに光明天皇を擁立(北朝)、後醍醐天皇が吉野に定めた行宮(南朝)と対立した時代)
      (1336:随筆「徒然草」吉田兼好)(1376以前:歴史物語「増鏡」)
      (1401~1549 日明貿易:多くは室町幕府や大内氏が明朝とおこなった朝貢貿易。倭寇などと区別し正式な遣明使船であることを示す[勘合符]を用いたため「勘合貿易」とも。全19回。)
      (1428~1811 朝鮮通信使(朝鮮聘礼使):李氏朝鮮から日本へ派遣された外交使節団。文禄・慶長の役に伴う国交断絶期を除き、江戸時代後半まで継続。全17回(以上))
    1467(1493)~1590 戦国時代 (室町幕府の権力が完全に失墜し、守護大名に代わり戦国大名が現れ全国各地に争いが拡がった群雄割拠の時代)
       1467~1477 応仁の乱:京都を主戦場に約10年続いた内乱。(室町幕府管領家の畠山氏、斯波氏の家督争い→細川勝元と山名宗全の勢力争い→室町幕府8代将軍足利義政の継嗣争い)
 《近世》----- 西洋文化の流入~天下統一・鎖国・安定期~黒船来航・武家政権の終焉
      (1542 鉄砲伝来:ポルトガル式の火縄銃型の鉄砲がマラッカ(現在のマレーシア)から種子島へ伝わる)
      (1549 キリスト教の伝来:イエズス会のバスク人宣教師フランシスコ・ザビエルがインド西海岸のゴアからマラッカ経由で来朝、九州・山口で布教活動)
 1573~1603 安土桃山時代 (織田信長から豊臣秀吉にかけての時代区分。信長の居城[安土]城、および秀吉の伏見城の場所(現在の京都市伏見区[桃山]町)から。)
   (1573:信長、将軍足利義昭を京より追放→室町幕府の滅亡)(1575:長篠の戦い→信長、鉄砲隊により武田軍を破る)(1576:信長、安土城を築城)
    1582 本能寺の変:織田信長の重臣であった明智光秀の下克上により本能寺にて信長を急襲し自害に追い込む→信長の家臣・羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が中国大返しにより光秀を討つ(山崎の戦い、三日天下)。
   (1583:秀吉、大坂城を築城)(1585:秀吉、関白に就任)(1586:秀吉、太政大臣に就任、豊臣姓を賜る)(1590:秀吉の小田原征伐により北条氏が降伏、「天下統一」成る)
   (1592~1593:文禄の役(壬辰倭乱))(1597~1598:慶長の役(丁酉倭乱))←大明帝国の征服を目指した豊臣秀吉による朝鮮出兵(加藤清正ら)。秀吉の死去(1598)により日本が撤退。
    1600 関が原の戦い:毛利輝元・石田三成らの豊臣方[西軍]と、徳川家康らの徳川方[東軍]とによる「天下分け目の戦い」。→東軍の勝利
 1603~1868 江戸時代 (徳川家康が征夷大将軍に就任、以降350年以上15代に渡り江戸城における徳川将軍家の治世期(江戸幕府))
   (1639 ポルトガル船(南蛮船)の来航を禁止→鎖国)
   (1682:浮世草子「好色一代男」井原西鶴)(1702:俳諧紀行「奥の細道」松尾芭蕉)(1703:浄瑠璃「曾根崎心中」近松門左衛門)(1746:浄瑠璃「菅原伝授手習鑑」竹田出雲)
   (1784頃:金印「漢委奴國王」筑前国那珂郡志賀島で発見)
   (1802:滑稽本「東海道中膝栗毛」十返舎一九)(1807:読本「椿説弓張月」曲亭馬琴)(1814:読本「南総里見八犬伝」曲亭馬琴)(1825:歌舞伎狂言「東海道四谷怪談」鶴屋南北)
    1853~1868 幕末
      (1853:黒船来航:アメリカのペリー率いる黒船4隻が浦賀へ来航し、幕府に開国を要求)
      (1854:米ペリー再来航「日米和親条約」(不平等条約:日<米))(1858:米ハリス来航「日米修好通商条約」(不平等条約:日<米)→鎖国の完全終結)
      (1858~1859:安政の大獄:幕府の大老・井伊直弼らによる、吉田松陰ら尊王攘夷勢力や一橋派に対する弾圧。→1859:「桜田門外の変」日米条約を無勅許で結んだ井伊直弼が暗殺される→一橋家の徳川慶喜が将軍職に就く(1866))
      (1867:大政奉還:徳川15代将軍慶喜が朝廷へ政権を返上、朝廷側「王政復古の大号令」を宣言)(1868:西郷隆盛(新政府側)と勝海舟(幕府側)の会談による「江戸城無血開城」)(1868:天皇による「五箇条の御誓文」)
   (この頃までに伝来した漢字音→【唐音】:宋・元・明・清の時代に輸入された中国音。このうち鎌倉室町期を【宋音】、江戸期を【華音】ともいう)
 《近代》----- 大日本帝国(大日本帝國) ----- 明治維新(天皇による政治の復活)~文明開化・殖産興業~帝国主義の台頭と終焉
 1868~1912 明治時代 (元号[明治]:天皇睦仁の在位期)(1868:[江戸]を[東京]と改称、天皇が東京に入る)(1869:政府が京都から東京へ移転(東京奠都))
   (1869:電信事業の開始)(1870:日本初の日刊紙「横浜毎日新聞」創刊)(1871:郵便事業の開始)(1871:通貨の統一[円][銭][厘])
   (1871:宮古島島民遭難事件:台湾近海で遭難した宮古島の島民54名が台湾原住民に殺害される。→1874:[台湾出兵])
   (1872:廃藩置県:旧来の独立した諸国[藩]を廃して地方行政組織[県]を置くことにより日本を中央集権的統一国家とした)(1872:新橋-横浜間「鉄道」の開業)(1872:日本最初の近代的学校制度を定めた教育法令「学制」公布)
   (1873:征韓論:日本人が清国広州の新聞に寄稿した征韓論(1866)に端を発した日清・日朝関係の悪化に対し、武力を以て李氏朝鮮を開国させようとする主張→使節派遣の上奏否決により西郷隆盛らが下野(明治六年政変))
   (1873:徴兵令)(1874~:自由民権運動)(1874:台湾出兵:日本軍による最初の海外派兵)
   (1875:江華島事件:朝鮮の首都漢城(現ソウル)付近を航行中の日本の軍艦に江華島から砲撃(日本の挑発行為の疑いあり)→1876:「日朝修好条規」(不平等条約:日>朝)→李氏朝鮮開国の契機)(1876:地租改正)
    1877 西南戦争:西郷隆盛を盟主に九州南部(現在の熊本・宮崎・大分・鹿児島の各県)にて起こった士族による武力反乱。日本国内最後の内戦。
   (1879:学制に代わり「教育令」を公布。1880:第二次教育令、1885:第三次教育令)(→1886:教育令に代わり、学校種別ごとの「学校令」を公布)
   (1883:政府により「官報」の刊行を開始=明治16年7月2日)(1885:内閣制度の発足)(1889:「大日本帝国憲法」公布、翌1890年施行)
    1894~1895 日清戦争:おもに朝鮮半島の覇権を巡る大日本帝国と清朝との戦争→日本が勝利、下関条約で台湾を日本へ割譲
    1895 日清講和条約(下関条約、馬関条約):日清戦争で勝利した日本が清国に対し朝鮮の独立を認めさせる。(→1897:清の冊封体制から脱した李氏朝鮮第26代国王[高宗]が[大韓帝国]初代皇帝として即位)
   (1900 学校教育の指針【小學校令施行規則】にて平仮名・片仮名・漢字の具体例が示される。仮名は五十音図様式、漢字は1200字。→五十音図に載らない字形の仮名文字は廃れて【変体仮名】と呼ばれるようになる。)
    1904~1905 日露戦争:朝鮮半島および満洲南部の覇権を巡る大日本帝国とロシア帝国との戦争→日本が勝利、ポーツマス条約で南樺太が日本領、関東州(満州)の租借権を得る。「二百三高地」「日本海海戦」
    1905 ポーツマス条約:日露戦争で勝利した日本の韓国に対する排他的な指導権が列強によって承認され、第二次日韓協約で韓国統監府が設けられ、大韓帝国は大日本帝国の保護国となる。
   (1908 文部省国語調査委員会【漢字要覧】:漢字についての一般常識・基礎的な情報をまとめたもの。「漢字に関する大体のことを知らしむるを以って目的として編纂せり。」「現今の中等教育程度に於いて必要なる範囲」)
   (1872:福澤諭吉「学問のすゝめ」)(1885:坪内逍遥「小説神髄」)(1897:尾崎紅葉「金色夜叉」)(1898:正岡子規「歌よみに与ふる書」)(1900:与謝野鉄幹「明星」創刊)(1901:与謝野晶子「みだれ髪」)
   (1905:夏目漱石「吾輩は猫である」)(1906:島崎藤村「破戒」)(1909:森鷗外「ヰタ・セクスアリス」)(1909:永井荷風「ふらんす物語」)(1910:石川啄木「一握の砂」)(1910:谷崎潤一郎「刺青」)
   (1909:伊藤博文暗殺事件:韓国統監を退任後、枢密院議長となっていた伊藤博文が、満州(現中国黒竜江省)のハルビン駅で朝鮮の民族運動家・安重根(アン・ジュンゴン)により拳銃で狙撃され殺害される。)
    1910 日韓併合:「日韓併合条約(韓国併合ニ関スル条約)」により朝鮮半島は大日本帝国の一部となる。大韓帝国は第2代皇帝[純宗]で滅亡。
 1912~1926 大正時代 (元号[大正]:天皇嘉仁の在位期)
    1914~1918 第一次世界大戦
   (1919 文部省国語調査室【漢字整理案】:「字形の整理を行い其の標準を定めたるものなり」「簡便を主とし、慣用を重んじ活字体と手書体との一致を図る」「今先ず之を公にして普く(あまねく)世の批評を求むることとせり」)
    1923 関東大震災
   (1923 社会生活上の指針として初の【常用漢字表】(1960字)を制定。154字の「略字改正」で世界初の簡易字体を正式採用。施行当日の9月1日に「関東大震災」が発生、火災等により資料および「国語調査室」も消失、実施不能となる。)
   (1925 ラジオ放送開始)
   (1925 臨時国語調査会【字体整理案】:常用漢字表の1962字中の1020字についてあらためて字体を決めたもの)
   (1915:芥川龍之介「羅生門」)(1917:菊池寛「父帰る」)(1917:志賀直哉「和解」)(1917:萩原朔太郎「月に吠える」)(1919:武者小路実篤「友情」)(1923:江戸川乱歩「二銭銅貨」)(1924:宮沢賢治「注文の多い料理店」)
 1926~1989 昭和時代 (元号[昭和]:天皇裕仁の在位期)
   (1931 戦前版【常用漢字表】を発表、1858字。震災復興後に改訂を経て初の実施)
   (1935 辞典【辞苑】発行:博文館)(1938:国語審議会【漢字字体整理案】:1032字。)
   (1929:小林多喜二「蟹工船」)(1929:井伏鱒二「山椒魚」)(1934:中原中也「山羊の歌」)(1935:島崎藤村「夜明け前」)(1936:江戸川乱歩「怪人二十面相」)
    1937~1945 日中戦争(支那事変):大日本帝国と中華民国との戦争
    1941~1945 第二次世界大戦(太平洋戦争、大東亜戦争):大日本帝国によりアメリカ・ハワイ真珠湾およびイギリス統治下のマレー半島へ奇襲攻撃
   (1942 戦中版【標準漢字表】を発表、2669字。国家神道に関係する文字などで字数が大幅に増加)
   (1937:川端康成「雪国」)(1937:志賀直哉「暗夜行路」)(1939:太宰治「富嶽百景」)(1939:吉川英治「宮本武蔵」)(1941:高村光太郎「智恵子抄」)
       1945 敗戦
    1945~1952 連合国軍占領下 (この時期の輸出品には Made in Occupied Japan と明記。国語政策では「漢字廃止論」も検討された。)
 《現代》----- 日本国 ----- 平和主義に基づく国家再建~高度経済成長と欧米化~バブル経済の終焉と経済の低迷
    1946~1948 極東国際軍事裁判(東京裁判)
    1946 「日本国憲法」公布、翌1947年施行。象徴天皇制、国民主権、平和主義。
   (1946 戦後版【当用漢字表】を発表、1850字。当用とは(漢字廃止の可能性も視野に入れた)「当座の用のもの」の意。一部の漢字は簡略化がおこなわれた、いわゆる[新字体]。)
   (1947 「当用漢字音訓表」:当用漢字表の各字について、字音と字訓との整理を行い、今後使用する音訓を示したもの。)(1947:「活字字体整理案」:当用漢字の字体整理→当用漢字字体表の原案)
   (1948 【当用漢字別表】:881字。通称「教育漢字」。当用漢字表の中から特に学校教育で履修すべき漢字として選抜した漢字表。)
   (1949 【当用漢字字体表】:1850字。当用漢字表の漢字について印刷用活字向けに字体の標準を単純な書体(手書き)で示したもの。)
   (1946:横溝正史「本陣殺人事件」)(1946:坂口安吾「堕落論」)(1947:太宰治「斜陽」)(1948:谷崎潤一郎「細雪」)
    1950~1953 朝鮮戦争:1948に成立した韓国と北朝鮮が朝鮮半島の主権を巡って争った国際紛争(1953~:休戦中)。→「朝鮮特需」:米軍などが日本に軍需資材を調達→戦後日本の高度成長期の礎
    1951 サンフランシスコ講和条約:アメリカなど連合国と日本との間の戦争状態を終結させるために締結された平和条約。→沖縄はアメリカの施政権下に置かれた
   (1951 「人名用漢字別表」:92字。当用漢字表に載らなかった人名用の漢字を一般に使用できるよう追加した。)
   (1953 テレビ放送開始(白黒)→1959:皇太子ご成婚→テレビの普及→1960:カラー本放送の開始)
   (1952:壺井栄「二十四の瞳」)(1956:三島由紀夫「金閣寺」)(1956:石原慎太郎「太陽の季節」)
   (1955 辞典【広辞苑】初版:岩波書店、新村出・新村猛。)
   (1960 字典【大漢和辞典】初版:大修館書店、諸橋轍次。親字総数50311字、熟語53万余、12巻+索引巻の全13巻)
    1964 東京オリンピック  1970 日本万国博覧会(大阪万博、EXPO'70。大阪府吹田市の千里丘陵で開催)  1972 札幌オリンピック(冬季)
    1965 日韓基本条約 (日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約。日韓の国交樹立、経済協力と請求権協定)
   (1962:安部公房「砂の女」)(1966:井伏鱒二「黒い雨」)(1967:大江健三郎「万延元年のフットボール」)(1968:井上靖「おろしや国酔夢譚」)
    1972 沖縄返還 (1970年に沖縄のコザ市で発生した米軍に対する暴動を契機に「核抜き・本土並み」の返還。核兵器を持ち込ませず、施政権を日本国に戻す。米軍基地を残したままの本土復帰。)
    1972 日中国交正常化  (ニクソン米大統領に続き日本の田中角栄首相が訪中し毛沢東主席との首脳会談により実現。日本、中華人民共和国の「ひとつの中国」方針に沿い、中華民国との国交を断絶。)
    1973 金大中事件 (日本国内に滞在していた韓国の民主化運動家(後の韓国大統領)金大中氏を、大韓民国中央情報部(KCIA)が拉致)
    1973 第一次オイルショック  1979 第二次オイルショック
   (1973 「当用漢字改訂音訓表」:既存の音訓表に357の音訓を追加し、新たに当て字や熟字訓のうち日常生活で高頻度に使用される106語を「付表」としてまとめたもの。)
   (1976 「人名用漢字追加表」:+28字。当用漢字表と人名用漢字別表でも足りなかった人名用の漢字を追加した。)
   (1981 昭和版【常用漢字表】を発表、1945字。新字体の漢字には旧字体357字を併記)(1981:「人名用漢字別表」:+54字-8字)
    1987 大韓航空機爆破事件 (北朝鮮工作員の男女が偽造パスポートで日本人になりすまし、インド洋上を飛行中の大韓航空の旅客機をプラスチック爆弾により爆破した事件。実行犯の日本語教育係は日本人の拉致被害者)
   (1988 辞典【大辞林】初版:三省堂)
 1989~2019 平成時代 (元号[平成]:天皇明仁の在位期)
    1989 第二次大戦後のドイツを東西に隔ててきたベルリンの壁が崩壊。冷戦の終結。1990:東西ドイツの統一。1991:ソビエト連邦が崩壊、ロシア連邦が成立。
   (1990 字典【大漢和辞典】修訂第二版:語彙索引を追加。50305字、全14巻) (1990~:「人名用漢字別表」:1990:+118字、1997:+1字、2004:+5字)
    1995 阪神・淡路大震災(1月)、オウム真理教による地下鉄サリン事件(3月)
    1998 長野オリンピック(冬季)
   (2000 「表外漢字字体表」:1022字)(2004:「戸籍法施行規則」別表第二 漢字の表:983字)
   (2000 字典【大漢和辞典】補巻刊行。全15巻)(2006:辞典【大辞林】第3版:23万8千語)(2008:辞典【広辞苑】第六版:約24万語)(2015:辞典【大辞林】Web版:26万5千語)
    2002 第1回日朝首脳会談(日本:小泉純一郎内閣総理大臣/北朝鮮:金正日国防委員長)、拉致被害者5名帰国、日朝平壌宣言
    2004 第2回日朝首脳会談(日本:小泉純一郎内閣総理大臣/北朝鮮:金正日総書記)、拉致被害者5名帰国
    2008 リーマン・ショック(アメリカのサブプライムローンを引き金とする世界同時不況)
    2010 GDP値で中国が日本を追い抜き、世界第2位の経済大国となる。日本の小惑星探査機「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」のサンプルを採取してオーストラリアの砂漠地帯に帰還。
   (2010 平成版【常用漢字表】を発表、2136字。新字体の漢字には旧字体364字を併記)
    2011 東日本大震災 (東北地方の太平洋沖で発生した地震と津波による大災害。福島第一原子力発電所の爆発と炉心溶融(メルトダウン)を伴う事故)
    2016 熊本地震(4-5月)、天皇明仁が生前退位の意向を国民向けビデオメッセージで発表(8月)、日本の研究チームが発見した新元素(#113)の名称が IUPAC評議会にて「ニホニウム」(元素記号:Nh)に正式決定(11月)
    2018 大阪府北部地震(6月)、西日本豪雨(6-7月)
 2019~現在 令和時代 (元号[令和]:天皇徳仁の在位期)
    2019 消費税率10%、東日本豪雨災害、ラグビーワールドカップ開催(伝統国以外で初)
    2020 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的大流行(パンデミック)が発生。東京オリンピック(TOKYO2020)開催予定を延期
    2021 東京オリンピック(TOKYO2020) (開催予定)

 ●主要な言語……日本語
 ●その他の言語…英語(←義務教育に含まれる)、その他…中国語・韓国語・ロシア語・ヒンディー語・アラビア語ほか(おもに来日観光客向け。対応状況は地域等により異なる)
 ●主要な文字……漢字、平仮名、片仮名、ラテン文字、和製漢字(中国由来の伝統的な漢字にはない、日本語において作られた[枡][峠][栃]などの固有の漢字。国字とも。)
 ●補助的な文字…変体仮名、および来日観光客向け(おもに標識やパンフレット類。漢字(簡体字・繁体字)、ハングル、キリル文字、デーヴァナーガリー、アラビア文字、など)

 ○主な文字集合…【JISコード】(1969~):日本工業規格(JIS)による文字コード。当初は(現在でいう半角文字の)ラテン文字とカタカナのみ[JIS C 6220](JIS X 0201)。
          (1978年より「JIS漢字コード」となって全角の漢字や平仮名、キリル文字なども含むようになった([JIS C 6226](JIS X 0208)以降)。)(その後(業界主導で)[Shift_JIS]が追加された。)

  * 1969 日本産業規格 JISコード [JIS C 6220] を制定(ANKコード)。ラテン文字95字([英数字]≒ASCII文字),片仮名95字(いわゆる[半角カナ]64字,残り31字は未定義),漢字なし,の実質159字。(ANK=Alpha-Numeric-Kana=英数カナ)
  * 1978 日本産業規格 JIS漢字コード [JIS C 6226] を制定(JIS78/78JIS)。漢字6349字(第1水準2965字,第2水準3384字),非漢字453字の計6803字。(→日本IBM:IBM拡張漢字、日本電気:JIPS、富士通:JEF、日立製作所:KEIS)
  * 1982 国内外のコンピューター・メーカー系5社、[JIS C 6220],[JIS C 6226],[ISO 2022](JIS C 6228)の3種を勘案し、漢字の符号位置を複雑に移動(シフト)させて格納する [Shift_JIS] を考案。(→1993年:CP932)
  * 1983 日本産業規格 JIS漢字コード [JIS C 6226] を改訂(JIS83/83JIS)。漢字6353字(第1水準2965字,第2水準3388字),非漢字524字の計6877字。
  * 1987 日本産業規格 JISコードネーム [JIS C 6220](ANKコード)を[JIS X 0201]に改称、[JIS C 6226](JIS78)を[JIS X 0208]に改称、[JIS C 6228](ISO 2022)を[JIS X 0202]に改称。
  * 1990 日本産業規格 JIS漢字コード [JIS X 0208] を改訂(JIS90/90JIS)。漢字6355字(第1水準2965字,第2水準3390字),非漢字524字の計6879字。
  * 1990 日本産業規格 JIS漢字コード [JIS X 0212] を制定(JIS補助漢字)。特殊文字21字,アルファベット245字,漢字5801字の計6067字。([JIS83]と重ならず[JIS90]と併用)
  * 1995 日本産業規格 国際符号化文字集合(UCS) として [JIS X 0221] を制定。(国際規格[ISO/IEC 10646](=Unicode)に準拠することを定めたもの。)
  * 2000 日本産業規格 JIS漢字コード [JIS X 0213] を制定(JIS2000/JIS拡張漢字)。漢字10040字(第1・第2水準(6335字=JIS90)+第3水準1249字,第4水準2436字),非漢字1183字の計11223字。([JIS X 0208] を包含する上位集合)
  * 2004 日本産業規格 JIS漢字コード [JIS X 0213] を改訂(JIS2004/JIS拡張漢字)。漢字10050字(第1・第2水準(6335字=JIS90)+第3水準1259字,第4水準2436字),非漢字1183字の計11233字。(Unicode の普及に伴い 事実上の最終改訂)

 ○主な入力方式…【かな漢字変換】:まず入力操作により仮名文字だけの文字列を作り、続いて変換操作により[漢字][かな][英字]などの変換候補から選択して、読みやすい日本語の文字列に直していく方式。
          (一般的な日本語の文中では、使われる文字の種類がひとつではない(漢字かな混じり文)という点は、他の言語と大きく異なるものである。)
          (パソコン黎明期には[単漢字]や[熟語]単位での変換しかできなかったが、近年は[文節]や[連文節]もしくは[文章一括]などの変換もおこなわれる。)
          (変換前の仮名文字列を入力する方式には、キーボードの[英字(ラテン文字)キー]を使って英文タイプの要領でローマ字として入力することにより仮名文字列を生成する「ローマ字入力」と
           キーボードの各キーとほぼ1対1に対応した[かな(仮名文字)キー]を使って仮名文字列を直接入力する「かな(文字)入力」の2通りがある。
           前者は後者に比べて使うキーが少ないため初心者にも覚えやすく、英文タイプと共通することから汎用性も高いため利用者も多いが、ローマ字であるため打鍵回数が多くなる側面がある。)
 
 (←附録:日米(欧)コンピューター小史)
 附録:日米(欧)コンピューター小史
  (文字コードにおける漢字化の流れ および Windows系パソコンを中心としたハード・ソフトの変遷について。)(*は前段と重複。同年内の記事の順序は実際と前後する場合があります。)

  前史:パソコン以前 (黎明期の電子/電気式計算機と文字のコード化についての概観。)

   (1939 米 最初期の電子式デジタル計算装置のひとつ アタナソフ&ベリー・コンピュータ(Atanasoff-Berry Computer;略称 ABC) 完成。二進法の採用、並列コンピューティング、再生式メモリ、メモリと演算機能の分離など)
   (1941 独 土木技術者で発明家のコンラート・ツーゼ、2200個の電話機用のリレー(継電器)から構成される 世界初のプログラム制御式計算機械(コンピュータ) [Zuse Z3] を完成。1943年、連合国側のベルリン爆撃により破壊。)
   (1943 英 政府暗号学校[ブレッチリー・パーク]、ドイツの暗号通信を読むための 暗号解読専用計算機 [Colossus](コロッサス) 完成。電子管(真空管とサイラトロン)を使用。)
   (1945 米 数学者フォン・ノイマン、EDVACの設計に関与し「EDVACに関する報告書の第一草稿」にてプログラム内臓方式によるコンピュータの論理設計について記述。ストアードプログラム方式(ノイマン型コンピュータ)と呼ばれる)
   (1946 米 ペンシルベニア大学、17468本の真空管を用いた電子式コンピュータ [ENIAC](エニアック) 完成。独特な[十進法]方式、幅30m、高さ2.4m、総重量27トン。米陸軍が資金拠出、弾道研究所、水素爆弾の計算に使用。)
   (1949 英 モーリス・ウィルクスとケンブリッジ大学、世界初の実用的なノイマン型(プログラム内蔵方式)の電子計算機 [EDSAC](エドサック) 完成。真空管3000本、主記憶装置には水銀遅延管を採用。)
   (1950 米 EMCC、最初期の商用コンピュータ [UNIVAC I] 完成。真空管5200本、重量7.2トン。入出力装置に初の磁気テープ搭載。翌年、レミントンランド(後の[Unisys])が販売)
   (1951 米 ペンシルベニア大学、陸軍弾道研究所のためのノイマン型コンピュータ [EDVAC](エドバック) 完成。[二進数]採用。真空管6000本、ダイオード12000個。磁気テープ装置、主記憶は水銀遅延管。)

   (1952 米 IBM、初の商用コンピュータ(最初のメインフレーム) [IBM 701] を発表。→1954年[IBM 704]にて磁気コアメモリ(磁心記憶装置)を主記憶に採用。)
    1954 後藤英一(東京大学理学部大学院生)、フェライトコア(磁性体)使用の論理素子 [パラメトロン] 発明。真空管やトランジスタの使用量を大幅に削減。接合型トランジスタの登場で衰退、近年[量子コンピュータ]分野で再注目。
    1954 富士通信機製造(後の富士通)、電話交換機の製造部品[リレー]を用いた 日本最初期のリレー式計算機のひとつ [FACOM 100] を完成。
    1956 岡崎文次(富士写真フイルム)、日本初の電子式コンピュータ [FUJIC] を独力で開発し完成。真空管1700本、メインメモリには低信頼の真空管を避けて水銀遅延管を使用。
   (1957 米 IBM、世界初の高級汎用プログラミング言語 [FORTRAN] 実用化。科学技術計算に向いた手続き型プログラミング言語で、[IBM 704]にて FORTRANコンパイラを稼動。)
    1957 日立製作所、パラメトロンを使用した初のデジタルコンピュータ(試作機) [HIPAC MK-1] を開発。(→トランジスタ使用 [HITAC 301]:1959年)(→メインフレーム [HITAC 3010]:1962年)
    1958 日本電気、パラメトロン3600個を使用した日本電気初のデジタルコンピュータ(試作機) [NEAC-1101] を稼動。(→トランジスタ600個使用 [NEAC-2201]:1959年)(→ [NEAC-シリーズ2200]:1964年)(→ [ACOS]:1974年~)
    1958 富士通信機製造(後の富士通)、パラメトロン使用の試作機 [FACOM 200] を完成。(→トランジスタ使用 [FACOM 222]:1960年)(→メインフレーム [FACOM 230 シリーズ]:1964年)
   (1959 米 国防総省の提案により設立された CODASYL (データシステムズ言語協議会)、共通事務処理用言語 [COBOL] を開発。)
    1959 東京大学、東芝との共同開発により [TAC](Tokyo Automatic Computer) を完成。真空管7000本、ダイオード3000個。開発の原型は 1948年頃に東芝で始まり 1954年に東大に納入も 1956年に東芝が撤退などで難航。
    1959 東芝、真空管やパラメトロンは避けて半導体を使用した 初のビジネス用途のコンピュータ [TOSBAC-2100] を発売。(→科学技術計算用途 [TOSBAC-3100]:1961年)(→オフィスコンピュータ [TOSBAC-1100]:1963年)

   (1963 米 American Standards Association (ASA,後のANSI)、7桁の2進数(7ビット)で表現可能な整数値(0~127の128地点)に 制御符号,ラテン文字,数字,約物などを割り当てた 文字コード [ASCII](アスキー) を制定。)
   (1963 米 IBM、二進化十進数(Binary-coded decimal;BCD) を基にした 拡張二進化十進コード [EBCDIC](エビシディック) を定義。1964年 IBM System/360 にて実用化され、BCDからの変換の容易さからも業界標準となる。)
   (1964 米 ダートマス大学、手続き型プログラミング言語 [BASIC] を開発。当初は構造化記述も可能なコンパイラ型であったが、後にインタプリタ型の平易なプログラミング言語として初心者向けに普及した。)
   (1964 米 IBM、汎用プログラミング言語 [PL/I](ピーエルワン) を開発。科学技術、工業、商業などの用途にデザインされており、再帰および構造化プログラミングに対応。)
   (1964 米 Control Data Corporation(CDC)、汎用コンピュータ [CDC 6600] をを発表。IBM 7030 から世界最高速の地位を奪い、最初の商用スーパーコンピュータとされる。)
   (1969 米 AT&T[ベル研究所]、後にマルチタスク・マルチユーザーとなったオペレーティングシステム [UNIX] の開発を開始。1973年、ほぼ全体をC言語で書き直し、初めて高水準言語で書かれたOSとも言われる。)
   (1969 米 高等研究計画局(ARPA、現DARPA)、世界初のパケット通信コンピュータネットワーク [ARPANET] の運用を開始。後の「インターネット」の起源とされる。)
  * 1969 日本産業規格 JISコード [JIS C 6220] を制定(ANKコード)。ラテン文字95字([英数字]≒ASCII文字),片仮名95字(いわゆる[半角カナ]64字,残り31字は未定義),漢字なし,の実質159字。(ANK=Alpha-Numeric-Kana=英数カナ)
   (1970 米 複写機大手 Xerox社、[パロアルト研究所](PARC) を設立。理想のパーソナルコンピュータ [ダイナブック](ダイナミックな本) や 見たままが得られる [WYSIWYG](What You See Is What You Get) などの構想を提唱。)
   (1971 米 IBM、磁性体を塗布した小円盤を樹脂製の保護ケースに入れ手軽に扱えるようにした記録媒体 [フレキシブル・ディスケット](flexible diskette) を開発。後に[フロッピー・ディスク](floppy disk) 等と呼ばれる。)
    1971 日本アイ・ビー・エム、IBMメインフレーム機上で動作し コンピュータとして初めて「漢字・平仮名」を扱う [IBM漢字情報処理システム] を発表。文字コードには独自定義の [IBM漢字コード](IBM日本語文字セット) を使用。
   (1971 米 Intel、初の 4ビットマイクロプロセッサ [4004] を発表。プログラム制御の[電卓]用に 日本のビジコン社と1969年より共同開発。1チップに2300個のトランジスタを集積した IC(集積回路)または LSI(大規模集積回路)。)
   (1972 米 Intel、初の 8ビットマイクロプロセッサ [8008] を発表。)(←1976年[CP/M])
   (1972 米 AT&Tベル研究所、汎用プログラミング言語 [C言語](C programming language) を開発。高水準言語の特徴を持ちながら 低水準言語の特徴も併せ持つ。後発の[C++],[Java],[C#]など派生言語の始祖。)
   (1972 米 スーパーコンピュータ設計者シーモア・クレイ、CDCを退職し 自身の最初の会社[クレイ・リサーチ社]を設立。代表的なスーパーコンピュータ製造企業となり、後に「スーパーコンピュータの父」と呼ばれる。)

  パソコン誕生、黎明期からWindows登場まで (8ビットから16ビット、単色表示からカラーへ、キャラクタ(テキスト)ベース(CUI)からグラフィカル化(GUI)、日本語化への道のり)

   (1973 米 パロアルト研究所、マウスによるウインドウ操作(GUI)を導入した最初の試作コンピューター[Alto]、ソフトウェア[Smalltalk]を開発。暫定ダイナブック。)(→1979年、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツらが見学)
   (1974 米 Intel、8ビットマイクロプロセッサ [8080] を発表。命令セットは後に拡張され 米ザイログ社製[Z80]などに継承。)
   (1974 米 MITS社、一般消費者向けに販売された最初期の個人用コンピュータ [Altair 8800] を開発・販売。CPUは8ビットIntel 8080 を採用、メモリは256バイト。後に後発の [CP/M] が標準プラットフォームとなる。)
   (1975 米 Microsoft (ビル・ゲイツら)、MITS Altair 8800 向け [BASICインタプリタ] の開発を始める。後に[CP/M]向け。1981年に法人化。)
   (1976 米 ゲイリー・キルドール(後の Digital Research 創業者)、[i8008]用の高級言語を受注し[PL/I]風の[PL/M]を開発(1974)、不採用となったフロッピーベースのDOSを [CP/M] として販売。後に [i8086]向けに[CP/M-86]を追加。)
   (1976 米 Apple Computer Company、スティーブ・ジョブズら3名で創業、初のパーソナルコンピュータ [APPLE I] を開発・販売。購入者は自分で組み立てる必要があった。翌年法人化して Apple Computer, Inc. となる。)
   (1977 米 Apple Computer、完成品として出荷された初のパーソナルコンピュータ [APPLE II] を発売。サードパーティー(第三者企業)製のアプリケーションソフトウェアも開発されるようになり、ホームユーザの支持が拡がる。)
   (1977 米 カリフォルニア大学バークレー校、ソフトウェア群 および UNIX系オペレーティングシステム Berkeley Software Distribution(略称[BSD]) の開発を開始。)
    1977 シャープ OA機器の展示会[ビジネスシヨウ]にて日本語ワードプロセッサ(ワープロ専用機)の試作品を参考出品。(後の「書院」シリーズ(1979-2003)の先駆け。)
    1978 東芝 初の日本語ワードプロセッサ(ワープロ専用機) JW-10 を発表。日本語入力システムに キーボード入力による [かな漢字変換] を実装。(後の [TOSWORD],[Rupo](1985-1999)シリーズの先駆け。)
  * 1978 日本産業規格 JIS漢字コード [JIS C 6226] を制定(JIS78/78JIS)。漢字6349字(第1水準2965字,第2水準3384字),非漢字453字の計6803字。(→日本IBM:IBM拡張漢字、日本電気:JIPS、富士通:JEF、日立製作所:KEIS)
   (1978 米 Intel、初の 16ビットマイクロプロセッサ [8086] を発表。後に[x86系]と呼ばれるCPUの元祖。PC98系など16ビットパソコンの多くに使われた。翌年、外部データバスを16ビットから8ビットに変更した低価格版の[8088]を追加。)
    1978 日立製作所 国内初の8ビットパーソナルコンピュータ ベーシックマスター MB-6880 を発売。CPUにはモトローラMC6800互換を採用。専用モニタ別売(テレビ出力可)、カセットMT、BASICインタプリタをROMで搭載。[複改][後退]キー。
    1978 シャープ 初の8ビットパーソナルコンピュータ MZ-80K を発売。CPUは米ザイログ社製Z80。先行品に4ビットマイコンキットMZ-40Kがあり、当初はセミキットとして発売された。キーボード配列はタイプライタ風ではなく碁盤の目状。
   (1979 米 Personal Software社(後の VisiCorp社)、世界初のパーソナルコンピュータ向け表計算ソフト [VisiCalc](ビジカルク) を発売。当初は [APPLE II] 向け。ホビーユースだったパソコンにビジネスツールの可能性を示した。)
    1979 日本電気 初の8ビットパーソナルコンピュータ NEC PC-8001 を発売。キーボードと本体が一体化したデザイン、CRTモニタ(モノクロ/カラー)、プリンタ、カセットテープ式データレコーダ、[N-BASIC](インタプリタ)をROMで搭載。
    1980 富士通 初の日本語ワードプロセッサ(ワープロ専用機) OASYS100 を発表。親指シフトキーボード、堅実な漢字変換機能などにより後発ながらもプロユースを獲得。(専用機[OASYS]シリーズ(-2001)の先駆け。後にパソコンソフト化)
    1980 日本電気 初の日本語ワードプロセッサ(ワープロ専用機) NWP-20 を発表。(後の「文豪」「文豪ミニ」シリーズ(1981-2000)の先駆け。)

   (1981 米 IBM、 オペレーティングシステムに Microsoft 製 [IBM PC DOS] (後の[MS-DOS]) を搭載した 初のパーソナルコンピュータ [IBM PC] を発売。CPU は16ビット Intel 8088。DOS は Disk Operating System。日本未発売。)
    1981 日本電気 8ビットパソコン NEC PC-8801 を発売。(CPUは自社生産のザイログZ80相当品。[N-BASIC]または[N88-BASIC] をROMで搭載。漢字ROMオプション。)
    1981 富士通 8ビットパソコン FM-8 を発売。(CPUにはモトローラMC6809系をメインとサブ(グラフィック)で2基使用。[F-BASIC] を搭載。漢字ROMオプション。)
    1981 三菱電機、国産初の 16ビットパソコン MULTI-16 を発表(CPU は [IBM PC] と同じ Intel 8088)。
    1981 孫正義のユニソン・ワールドと明賀義輝の経営総合研究所の共同出資により「日本ソフトバンク株式会社」を設立。翌年よりパソコン雑誌「Oh! PC」「Oh! MZ」を創刊。(1990年ソフトバンク株式会社に社名変更。)
   (1982 米 Intel、16ビットマイクロプロセッサ [80286] を発表。134000個のトランジスタを集積、DOS時代の代表的なパソコン用CPUとなる。)
   (1982 米 Microsoft、オペレーティングシステム [MS-DOS] を発売。[IBM PC]で採用された自社開発の [IBM PC DOS] を基に商品化。以降[IBM主導]/[Microsoft主導]の開発による[MS-DOS]および[PC DOS]が登場することになる。)
   (1982 米 Microsoft、表計算ソフト [Microsoft Multiplan] を発売。[Apple II] および [CP/M] 向け、テキストベース。)
   (1982 米 Compaq、IBMの権利を侵害せずに 世界初の[IBM PC互換機]を低価格で製造する企業として設立、可搬型とした [Compaq Portable] を発表。互換機メーカーとしては二番手だが、後に[PC/AT互換機]市場を形成。)
    1982 日本電気 16ビットパソコン NEC PC-9801 を発売。(CPUは自社生産の Intel 8086 互換。自社開発の [N88-BASIC(86)] をROMで搭載。テキストVRAM搭載で日本語表示を高速化、ただしシリーズ当初は漢字ROM別売。)
    1982 富士通 8ビットパソコン FM-7(FM-8の廉価版後継機種。[F-BASIC] を搭載)、FM-11(FM-8のビジネス向け上位機種。CPUは2種類から選択)を発売。
  * 1982 国内外のコンピューター・メーカー系5社、[JIS C 6220],[JIS C 6226],[ISO 2022](JIS C 6228)の3種を勘案し、漢字の符号位置を複雑に移動(シフト)させて格納する [Shift_JIS] を考案。(→1993年:[CP932])
  * 1983 日本産業規格 JIS漢字コード [JIS C 6226] を改訂(JIS83/83JIS)。漢字6353字(第1水準2965字,第2水準3388字),非漢字524字の計6877字。
    1983 日本アイ・ビー・エム、企業向けPC [IBM 5550](マルチステーション5550) 発売。(CPU[i8086]採用。OSは[日本語DOS]、初めて日本語表示をソフトウェアのみで実現。日本語ワープロソフトは EBCDICとIBM漢字コードを使用)
   (1983 米 Microsoft、ワープロソフト [Multi-Tool Word] を発売、ほどなく [Microsoft Word] に改名。MS-DOS版。)
    1983 マイクロソフト MS-DOS 2.01 日本語版([日本語MS-DOS 2.0])を発売。東芝製パソコン[PASOPIA](パソピア16)など限定的な採用にとどまる。
   (1983 米 Apple Computer、マウスによって操作される先進的なグラフィカルユーザインタフェース(GUI)を持つ 16ビットパーソナルコンピュータ [Lisa] を発売。価格の高さから商業的には失敗した。)
   (1984 米 Apple Computer、一般向けPCとしては初めてマウス操作によるGUIを搭載した パーソナルコンピュータ [Macintosh](128K) を発売。CPUはモトローラ社製 MC68000系、ワンボタンマウス、完全な[WYSIWYG]を目指した設計。)
   (1984 米 Apple Computer、社内で内紛が起こる。ジョブズら創業者メンバーなどが翌年離脱。スティーブ・ジョブズ、Apple株を売却した資金で 新会社 NeXT, Inc.を 離脱者数名とともに創業。)

   (1984 米 IBM、 16ビットパソコン [IBM PC AT](PC/AT) を発売。Intel製[80286]CPU、[PC DOS 3.0]。日本で[PC/AT互換機]と呼ばれる機種の嚆矢、日本未発売。)(世界的には[IBM PC互換機]で[IBM PC XT](CPU:i8088,'83)も含む)
    1984 日本アイ・ビー・エム、家庭向けPC [IBM JX](IBM 5511) 発売。(Intel[8088]CPU、OSは[日本語DOS],英語版[PC DOS]も利用可。日本語化を実現するも 国内他社が[86系]に向かう中 [8088]の8ビットバスが敬遠され、販売的に全滅。)
    1984 マイクロソフト MS-DOS 3.1 日本語版を発売。日本国内メーカーの多くのパソコンに採用。
   (1985 米 Microsoft、Windows 1.0 を発売。)([MS-DOS]環境から起動し、WYSIWYGアプリケーションが動作するためのオペレーティング環境を提供した。対応ソフトが少なく、発売後に批判が集まる。)
   (1985 米 Microsoft、[Microsoft Word],[Microsoft Excel] Macintosh版 を発売。)(Microsoft は Multiplan から発展した Excel により、Macintosh版でGUI環境のアプリケーション開発ノウハウを蓄積する。)
    1985 ジャストシステム 日本語ワープロソフト「一太郎」を発売。(日本語入力ソフト[ATOK](エイトック)を搭載)
    1985 国内で「パソコン通信」大手の運用開始。アスキーネット(1985-1997)、PC-VAN(1985-2001)、NIFTY-Serve(1987-2006)、ASAHIネット(1988-2019)など。
    1986 ロータス 表計算ソフト Lotus 1-2-3 日本語版 を発売。
    1986 シャープ、16ビットパソコン X68000 を発売。(CPUにはモトローラMC68000を採用。高度なグラフィック機能で「パーソナルワークステーション」と称した。)
  * 1987 日本産業規格 JISコードネーム [JIS C 6220](ANKコード)を[JIS X 0201]に改称、[JIS C 6226](JIS78)を[JIS X 0208]に改称、[JIS C 6228](ISO 2022)を[JIS X 0202]に改称。
   (1987 米 Microsoft、Windows 2.03 を発売。)([MS-DOS]環境から起動。WYSIWYGアプリケーションが動作するためのオペレーティング環境の提供。1988年:Apple から類似点を突かれて著作権侵害訴訟に発展、後に和解)
   (1987 米 Microsoft、[Microsoft Excel for Windows] を発売。)
   (1987 米 IBM、 主に企業向けのPC [IBM PS/2](Personal System/2) を発売。Intel[86系]CPU、[PC DOS 3.x]またはIBMとマイクロソフトの共同開発[OS/2](Operating System/2)。[PS/2コネクタ]を初採用。日本未発売。)
    1987 日本アイ・ビー・エム、主に企業向けのPC [IBM PS/55](パーソナルシステム/55) を発売。当初は[マルチステーション5550]の後継。後に[PS/2]ベースとなり互換性が犠牲となる。
   (1988 米 IBM、 従来の[PC DOS]を[IBM DOS]に名称変更、[IBM DOS 4.0] を発表。)(Microsoft [MS-DOS 4.0])
   (1989 米 Microsoft、[Microsoft Word for Windows] を発売。)
   (1989 米 Microsoft、[Microsoft Office 1 for Mac] を発売。)(Word, Excel 他を含むオフィススイート)
    1989 アシスト、MS-DOS向け廉価版ソフトウェア(各9700円)を発売。ワープロソフト[アシストワード]、表計算ソフト[アシストカルク]、カード型データベース(データ管理)ソフト[アシストカード] 他。
   (1989 欧州原子核研究機構(CERN)のティム・バーナーズ=リー、インターネット上で提供されるハイパーテキストシステム [World Wide Web] を発明。WWW, Web, ウェブ, W3 とも。翌1990年 HTML で記述された 世界初の Webページ 公開。)

  Windowsの成長期 (日本語表示に漢字ROM等のハードウェアを要した国産標準機[PC98系](国民機)から、ソフトウェアのみで日本語表示(後に多言語対応)を実現する国際標準機[PC/AT互換機]への過渡期)

   (1990 米 Microsoft、Windows 3.0 を発売。)([MS-DOS]環境から起動。別製品のため[MS-DOS]を持たない場合は別途購入する必要があった。)
   (1990 米 Microsoft、[Microsoft Office 1.0 for Windows] を発売。)(Word, Excel 他を含むオフィススイート)
    1990 日本アイ・ビー・エム、[PC/AT互換機]上で動作する パソコン用OS [IBM DOS バージョン J4.0/V](通称[DOS/V]) 発売。(登場時のマイナーバージョンは [J4.05/V]。一般向けPCでは初めて 日本語表示をソフトウェアのみで実現。)
       ([DOS/V]:寡占状態であった[PC98系]の牙城を崩すために日本国内で企画開発されたDOS。翌年にはマイクロソフトの日本法人からも[MS-DOS 4.0]と並行販売された。
             当初は「他社製[PC/AT互換機]でも動作すること」は発表しない方針を採り、パソコンマニアなどが「他社製[PC/AT互換機]でも動作して日本語も表示できた」等の実績報告をパソコン通信などに上げて話題となる。
             PC98系では動作しないため[PC/AT互換機]のことを[DOS/V機]とも呼ぶようになった。)
  * 1990 日本産業規格 JIS漢字コード [JIS X 0208] を改訂(JIS90/90JIS)。漢字6355字(第1水準2965字,第2水準3390字),非漢字524字の計6879字。
  * 1990 日本産業規格 JIS漢字コード [JIS X 0212] を制定(JIS補助漢字)。特殊文字21字,アルファベット245字,漢字5801字の計6067字。([JIS83]と重ならず、[JIS90]と併用される文字集合)
   (1991 リーナス・トーバルズ(フィンランド・ヘルシンキ大学の学生)、PC/AT互換機を使い、Unix互換の機能を持つOS [Linux](カーネル) を開発。フリーかつオープンソースなソフトウェアの共同開発として最も傑出した例のひとつ。)
   (1991 ユニコード・コンソーシアム、世界中すべての文字の共用を目指して米カリフォルニア州に設立。Unicode 1.0 Vol.1 (非漢字部分) を発表)(文字数の多い[漢字]は各国の違いを[統合]、Vol.2 (CJK[統合]漢字部分)は翌1992年)
    1991 マイクロソフト Windows 3.0 日本語版 を発売。(PC-9800シリーズ用を日本電気、PC/AT互換機で動作するDOS/V対応版は日本IBMより販売。)
   (1991 米 Microsoft、Windows 3.1 を発売。[MS-DOS]環境からの起動。)
   (1992 米 Microsoft、[Windows for Workgroups 3.1] を発売。ファイル共有などのネットワーク機能を追加するアドオンパッケージ。後続の [Windows 3.11] 対応版 [Windows for Workgroups 3.11] も含め、日本未発売。)
    1992 コンパック、日本法人を設立(1990)後、[DOS/V]ベースの[PC/AT互換機]を 国内標準価格よりも格安にて販売開始。価格破壊でPC98系の寡占状況に食い込み、[コンパック・ショック]と呼ばれる。
    1993 マイクロソフト Windows 3.1 日本語版 を発売。(PC98版は日本電気、DOS/V版はマイクロソフトより販売。英語版に遅れること2年で [Shift_JIS]を[CP932]として実装、日本語入力システム[MS-IME]を搭載。)
       ([CP932]:[Microsoftコードページ932] の略称。内容は [Shift_JIS] をマイクロソフトが独自に拡張したもの。名称の[コードページ]は各国語向けの文字セットを示しており、[932]は日本語の番号である。
             [Microsoftコードページ932] は [CP932] の他にも [Windows-31J], [MS932], [MS 漢字コード], [OEM コードページ 932] などの別名で呼ばれることがある。)
    1993 マイクロソフト [Microsoft Office for Windows 日本語版] を発売。(Word, Excel 他を含むオフィススイート)
    1993 富士通 [国際標準機]として FMV を発売。PC/AT互換機(DOS/V機)相当。
    1993 航空宇宙技術研究所、富士通 FACOM VPシリーズ を中核としたスーパーコンピュータ「NSシステム」(数値風洞) を開発、世界のスーパーコンピュータランキング「TOP500」で第1位を獲得。(1993,1994,1995)
   (1993 米 オープンソースソフトウェアの開発者ジョーダン・ハバードら、FreeBSDプロジェクトを共同で設立し、UNIX-BSD系のOS [FreeBSD] 1.0 をリリース。権利訴訟を受け一旦停滞するも和解し翌年より開発を再開。)
   (1994 米 Mosaic Communications、最初期のWEBブラウザ(インターネット上のURLアドレスに置かれたWEBページのHTML記述を解釈し閲覧するためのソフト) [Netscape Navigator] を発表。同年、Netscape Communications に社名変更。)
   (1994 米 スタンフォード大学の楊致遠(ジェリー・ヤン)とデビッド・ファイロ、World Wide Web を検索するウェブディレクトリ [Yahoo!] を開始、翌年[Yahoo! Inc.]設立。)
    1994 マイクロソフト Windows NT を発売。(一般向け Windows3.x/9x系 とは別設計、高スペックを要し安定性に優れた業務用途向けOS。後続の Windows 2000, XP,Vista,7, 8(8.1), および現在の Windows 10 に至る[NT系]の始祖。)
    1995 マイクロソフト Windows 95 を発売。(一般家庭にも普及しデスクトップOSの事実上の標準となった画期的なOS。[MS-DOS] 7.x を同梱。PC98版はマイクロソフトと日本電気が販売)(英語版8月、日本語版は11月)
    1995 マイクロソフト [Microsoft Office 95] を発売。 (Word95, Excel95 他を含むオフィススイート)
    1995 マイクロソフト Windows の強化用ソフト [Microsoft Plus! for Windows95] を発売。インターネットの急拡大に対応すべく 初のWEBブラウザ(インターネット閲覧ソフト) [Internet Explorer] を同梱。
  * 1995 日本産業規格 国際符号化文字集合(UCS) として [JIS X 0221] を制定。(国際規格[ISO/IEC 10646](=Unicode)に準拠することを定めたもの。)

  インターネットの進展とIT革命から現在まで

   (1996 米 Apple Computer、完全な 自社開発OS の継続を断念、次期OS 開発のため NeXT 社を買収。)
    1996 ソフトバンク、米 Yahoo! Inc.と提携、ポータルサイト [Yahoo! Japan] の運営を開始、ヤフー株式会社を設立。(米Yahoo!は2000年代後半より規模縮小。)
   (1997 米 Apple Computer、創業者の一人 スティーブ・ジョブズ が復帰。年末には [PowerBook G3] を発表、複雑な曲線を多用した斬新なデザインは従来のPowerBookと一線を画した。)
   (1998 米 スタンフォード大学・博士課程のラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン、インターネット検索サービス [Google] を開始・設立。名称は[10の100乗](10100)を示す数詞(命数)[googol](グーゴル)の綴り間違いから。)
   (1998 米 Netscape Communications、WEBブラウザ Netscape Communicator の開発を中止し、ソースコードをフリーかつオープンソースで公開。名称を「Mozilla」とする。その後 [Mozilla Foundation] を設立(2003年)。)
    1998 アップルコンピュータ、ポリカーボネイト素材をベースに 半透明で 丸みを帯びた筐体を採用した CRT一体型 パーソナルコンピュータ [iMac](アイマック) を発売。USBを全面的に採用。CPUはモトローラ系[PowerPC G3]。
    1998 マイクロソフト Windows 98 を発売。USB,FAT32,大容量HDDなどへの対応。Internet Explorer 4.0 を搭載。
    1999 マイクロソフト Windows 98 Second Edition (Windows 98 SE) を発売。DVD-ROM などへの対応、Internet Explorer 5.0 搭載、西暦2000年問題への対処。

    2000 マイクロソフト Windows Millennium Edition (Windows Me) を発売。(Windows[9x系]の最終バージョン。これ以降 PC-9800シリーズへは非対応となり、[PC/AT互換機](DOS/V機)への移行が加速した。)
    2000 マイクロソフト Windows 2000 を発売。(Windows[NT系]の新バージョン。[NT系]もこれ以降 PC-9800シリーズへは非対応。)
  * 2000 日本産業規格 JIS漢字コード [JIS X 0213] を制定(JIS2000/JIS拡張漢字)。漢字10040字(第1・第2水準(6335字=JIS90)+第3水準1249字,第4水準2436字),非漢字1183字の計11223字。([JIS X 0208] を包含する上位集合)
   (2000 米 Apple Computer、NeXT社の[OPENSTEP]の技術を利用し、安定・堅牢な [UNIX](FreeBSD)ベースのモダンOS [Darwin] に切り替え開発した Mac OS X [Public Beta] を公開。)
    2001 アップルコンピュータ、Mac OS X v10.0 [Cheetah] を発売。(従来版[OS9]までのアプリケーションを抽象化レイヤーで動作可能にした[Classic環境](Carbon/Rosetta)を搭載。音楽ソフト[iTunes]が登場。)
    2001 アップルコンピュータ、Mac OS X v10.1 [Puma] を発売。(日本語環境[JIS X 0213](JIS2000)に対応。)
    2001 マイクロソフト Windows XP を発売。(サーバー向けOS Windows NT の安定性と堅牢性のある NTカーネル を一般家庭向けに採用し、Windows[9x系]のマルチメディア機能や使いやすさを併せ持つ、汎用OS。)
    2001 アップルコンピュータ、携帯型デジタル音楽プレーヤー [iPod](アイポッド) を発売。当初は MacOSX上の[iTunes]でのみ管理、2002年 Windows版[iPod]を追加。(2003年 Windows版[iTunes]も追加。)
   (2002 米 Sun Microsystems 社、Microsoft Office互換、オープンソースのオフィススイート [OpenOffice.org] をリリース。1999年に買収した 独 Star Division 社の [StarOffice] を2000年にオープンソース化して開発。)
    2002 海洋研究開発機構(JAMSTEC)、日本電気 NEC SXシリーズ を中核としたスーパーコンピュータ「地球シミュレータ」を開発、世界のスーパーコンピュータランキング「TOP500」で第1位を獲得。(2002,2003,2004)
    2003 アップルコンピュータ、Mac OS X v10.3 [Panther] を発売。(WEBブラウザに初の自社製ブラウザ [Safari] を標準搭載。)
  * 2004 日本産業規格 JIS漢字コード [JIS X 0213] を改訂(JIS2004/JIS拡張漢字)。漢字10050字(第1・第2水準(6335字=JIS90)+第3水準1259字,第4水準2436字),非漢字1183字の計11233字。(Unicode の普及に伴い 事実上の最終改訂)
   (2004 米 Mozilla Foundation、フリーかつオープンソースの WEBブラウザ [Mozilla Firefox] および 電子メールソフト [Mozilla Thunderbird] をリリース。9か月間で6000万ダウンロード、初めて Internet Explorer の牙城を崩す。)
    2005 アップルコンピュータ、Mac OS X v10.4 [Tiger] を発売。([Intel Mac] の端緒:CPU を従来のモトローラ系(PowerPC等)からインテル社製(PC/AT互換)に切り替え開始。当初は両対応、v10.6 [Snow Leopard]から[Intel Mac]専用)
    2006 マイクロソフト Windows Vista を発売。(日本語環境[JIS X 0213](JIS2004)に対応。新フォント[メイリオ]搭載。[Vista]の語は[眺望]の意。アスペクト比4:3の従来型モニタから16:9など画面のワイド化が進みつつあった時期。)
   (2007 米 Apple Computer、初のスマートフォン [iPhone](アイフォーン) を発売。オペレーティングシステムは [OS X iPhone](2008),[iPhone OS](2009)。日本未発売。)
   (2007 米 Google、買収した Android Inc.が開発していた モバイルオペレーティングシステム [Android] を発表。Linuxカーネルなどの改変版をベースとし、スマートフォンやタブレット端末の低価格路線からシェアを拡大する。)
   (2008 米 Google、WEBブラウザ [Google Chrome] を発表。ソースコードの大部分はGoogleのオープンソースプロジェクト[Chromium]からの流用。当初 Windows 用、その後 Linux、macOS、iOS、Androidに移植。)
    2008 アップルコンピュータ、スマートフォン [iPhone 3G] を発売。(日本を含む世界22カ国。オペレーティングシステムは 当初 [iPhone OS] 2.0、2010年より [iOS](アイオーエス) 4.0 以降。)
    2009 マイクロソフト Windows 7 を発売。(Windows 8 以降よりもシンプルで、愛用者も多い。2020年1月「延長サポート」終了後、個人向け「特別延長サポート」を2021年7月まで無償提供、企業向け[ESU]なども2023年1月まで有償提供)

    2010 アップル、タブレット型コンピュータ [iPad](アイパッド) を発売。(オペレーティングシステムは iPhone と同じ [iOS]。2019年より順次 [iPadOS] へ移行。)
   (2010 米 Oracle 社、米 Sun Microsystems 社を買収。[OpenOffice.org] プロジェクトの一部メンバーが [The Document Foundation] を設立し、派生ソフト [LibreOffice] を開発、提供を開始。)
   (2011 米 オープンソースのソフトウェアプロジェクトを支援する Apacheソフトウェア財団、米 Oracle 社より [OpenOffice.org] プロジェクトの寄贈を受け、名称を [Apache OpenOffice] へ変更、翌年より提供開始。)
    2011 理化学研究所、富士通とスーパーコンピュータ「京」(けい) を共同開発、世界のスーパーコンピュータランキング「TOP500」で第1位を獲得。
   (2011 米 Google、韓国サムスン電子と共同開発したノート型パソコン [Chromebook] を販売開始。オペレーティングシステムは Linuxカーネルがベースの [Google Chrome OS]、WEBブラウザ [Google Chrome] で Webアプリ を利用。)
    2012 日本マイクロソフト Windows 8 を発売。(タブレット端末にも対応し、タッチ操作を意識したユーザーインターフェースの大幅な変更。従来の[スタート]ボタンや立体感のあるリッチデザインを廃し、フラットデザインを採用。)
    2013 日本マイクロソフト Windows 8.1 を発売。(批判を受けた Windows 8 の仕様変更・改良版。[スタート]ボタンや[スタート]メニューの復活、[スタート]画面よりも[デスクトップ]画面を優先可能、など従来版へ回帰。)
    2013 アップル、OS X v10.9 [Mavericks] 発表。(OSの[無償提供]を開始。→現行の最新版は macOS v10.15 [Catalina](2019年)。)
    2015 日本マイクロソフト Windows 10 をリリース。(Windows 7, 8.1 からの[無償アップグレード]による提供、および新規インストール可能なリテール(小売)版の販売。現行の最新版であり「Windows最後のバージョン」とされる。)
    2015 日本マイクロソフト、キーボード部分を外してタブレットとしても使える[2in1]のノート型パソコン [Surface Book] シリーズを発売開始。オペレーティングシステムは Windows 10。
    2020 ユニコード・コンソーシアム、Unicode 13.0 公開。
    2020 理化学研究所、富士通とスーパーコンピュータ「富岳」(ふがく) を共同開発、世界のスーパーコンピュータランキング「TOP500」で第1位を獲得。
    2020 アップル、macOS 11.0 [Big Sur] 発売予定。CPUを Intel 製から自社製 [Apple Silicon] へ変更、従来版 Intel Mac 用アプリケーション向けソフトウェア互換環境 [Rosetta 2] を搭載予定。

 日米(欧)コンピューター小史:おわり
-------以下は漢字を使わなくなった国々------------------------------------------------------------

朝鮮 (朝鮮半島。内外の歴史観は必ずしも一致しない場合があり、ここでは日本からの見方に拠っている。現在の韓国と北朝鮮との分断以降は別項とした。)
 -2333~-1112 檀君朝鮮 (伝説・神話時代。1280年代の高麗で成立した私撰の史書「三国遺事」に載るが、引用元と見られる中国の魏書には記載が無い。)
 -12世紀~-194 箕子朝鮮 (中国の[殷]出身の「箕子」が建国、首都は王険城(現在の平壌)。中国の「魏志」東夷伝(辰韓条),「魏略」逸文,「史記」「後漢書」等に記述あるも、域内の古跡や王統などは後世の創作も多いとされる。)
 -195?~ -108  衛氏朝鮮(衛滿朝鮮) (中国の[燕]出身の亡命者「衛満」が今の朝鮮半島北部に建国)
         辰国(年代不明) ([辰韓]もしくは[三韓]の前身とされる)
 -108~4世紀中頃 原三国時代 (前漢の武帝が紀元前108年に設置した漢四郡のうち楽浪郡から中国の文化を受容し、三韓([馬韓]→百済、[辰韓]→新羅、[弁韓]→伽耶)が国家としての体裁を整えていく過程の時代)
                (→【漢字】文化の流入→漢字語)
  4世紀頃~7世紀頃 三国時代 (朝鮮半島および満州に、[高句麗][百済][新羅]の三国が鼎立した時代。半島最南部の小国[伽耶](加羅→任那)も含む)
                (→372:高句麗に[仏教]伝来。同年:教育機関[太学]を建て、地方の青年たちに[儒教]の経典と弓術を奨励)
                (→384:百済に[仏教]伝来)(405(285):博士王仁、百済を経由し日本に[論語][千字文]を伝える)
                (→528:新羅に[仏教]伝来)
  668~ 892 南北国時代 (676~892:「統一新羅」鶏林州都督府)←「三韓統一」 (684:新羅の教育機関[国学]にて五経を教科とし[論語][孝経]を必須とする)
             (668~756:「唐」安東都護府)(698~926:「渤海」)←日本や中国では朝鮮史ではなく中国史とされる
  892~ 936 後三国時代 (892~935:「新羅」)(892~936:「後百済」)(899~918:「後高句麗」→(904~:[摩震])(911~:[泰封]))
  918~1289 高麗を建国。(→936:後百済を滅ぼし、朝鮮半島統一)
     949~975:第4代高麗王[光宗]、科挙制度を作る
     981~997:第6代高麗王[成宗]、儒教の最高教育機関[国子監]を確立
    1232~ モンゴル帝国(元)による侵略が始まる。(←高麗が仏陀の力を借りて勝利しようと「高麗八萬大蔵経」を刊行)
    1274・1281:第25代高麗王[忠烈王]の要請に応えた[元]とともに日本侵攻(元寇[文永の役][弘安の役]への侵略出兵)→逆に甚大な被害を受ける
    1289 元朝による領土化。(1289~1356:元の属国としての高麗)(→1356:元朝が高麗から撤退)
   (1308:儒教の最高教育機関[国子監]を[成均館]に改称、儒教の発達を促進)
 1356~1392 高麗 (元の撤退により高麗王朝は復活するも国力は低下し国内は動揺)
    1350頃~ 倭寇の活発化(前期倭寇)
 1392~1897 朝鮮王朝(李氏朝鮮) (高麗の武将[李成桂](女真族とも)が高麗の恭譲王から王位を簒奪し、高麗王に即位。翌1393年、国号を[朝鮮]に改める。)
   (1428~1811 朝鮮通信使(朝鮮聘礼使):李氏朝鮮から日本へ派遣された外交使節団。文禄・慶長の役に伴う国交断絶期を除き、江戸時代後半まで継続。全17回(以上))
   (1446:第4代国王[世宗]による〔ハングル〕創製。当初は漢字を補助する「訓民正音」の名称。)(←1447:『竜飛御天歌』『月印千江之曲』:正書法に類する形態主義的な表記法を採用)
   (1592~1593:文禄の役(壬辰倭乱))(1597~1598:慶長の役(丁酉倭乱))←大明帝国の征服を目指した豊臣秀吉による朝鮮出兵(加藤清正ら)。秀吉の死去(1598)により日本が撤退。
    1637 第16代国王[仁祖]、親明・反後金政策の結果、屈辱的な三跪九叩頭の礼で後金(のちの清国)に服属し「三田渡の盟約」を締結。清の冊封体制下(従属国)に入る。
    1776 第22代国王[正祖](李祘=イ・サン)即位(-1800)、王立図書館「奎章閣」設置。(→1796:城塞「水原華城」建設。朝鮮後半の全盛期。→1997:UNESCO世界文化遺産に登録)
    1794 キリスト教(ローマ・カトリック)の宣教団が到来。(→1801:辛酉邪獄(天主教=カトリックに対する弾圧)。)
    1863 第25代[哲宗]崩御、第26代[高宗]11歳で即位。(李氏朝鮮後期、国王の外戚や寵臣(安東金氏、興宣大院君など)が政権を掌握し私物化する「勢道政治」が横行、事大主義で亡国の危機。)
   (1875:江華島事件:朝鮮の首都漢城(現ソウル)付近を航行中の日本の軍艦に江華島から砲撃(日本の挑発行為の疑いあり)→1876:「日朝修好条規」(不平等条約:日>朝)→李氏朝鮮開国の契機)
   (1886:朝鮮初の近代新聞(官報)「漢城周報」創刊。漢文のほか、ハングルのみによる朝鮮文を採用)
    1895 日清講和条約(下関条約、馬関条約):日清戦争(1894-95)で勝利した日本が清国に対し朝鮮の独立を認めさせる。
 1897~1910 大韓帝国 (高宗、清の冊封体制からの離脱(独立)を機に儒者の建言に従い、国号を[朝鮮]から[大韓]へ、[国王]も初代[皇帝]に変更して即位。[李氏朝鮮]の延長、専制政治の強化。)
    1905 ポーツマス条約:日露戦争(1904-05)で勝利した日本の韓国に対する排他的な指導権が列強によって承認され、第二次日韓協約で韓国統監府が設けられ、大韓帝国は大日本帝国の保護国となる。
   (1907:ハーグ密使事件:オランダのハーグで開催の第2回万国平和会議に高宗が密使を送り外交権の回復を訴えようとするも会議出席を拒絶される。高宗、韓国統監の伊藤博文に追及され譲位。)
   (1909:伊藤博文暗殺事件:韓国統監を退任後、枢密院議長となっていた伊藤博文が、満州(現中国黒竜江省)のハルビン駅で朝鮮の民族運動家・安重根により拳銃で狙撃され殺害される。)
    1910 日韓併合:「日韓併合条約(韓国併合ニ関スル条約)」により朝鮮半島は大日本帝国の一部となる。大韓帝国は第2代皇帝[純宗]で滅亡。
 1910~1945 日本統治下 (大日本帝国による統治。現ソウル:[漢城府]→[京城府]へ変更、「朝鮮総督府」の設置、学校建設を推進)
   (1911 朝鮮総督府「第一次朝鮮教育令」を公布)(1922:第二次朝鮮教育令)(1938:第三次朝鮮教育令)→朝鮮語教育は継続
     朝鮮総督府→(1912:【普通学校用諺文綴字法】:近代初の朝鮮語正書法)(1920:【朝鮮語辞典】)(1921:【普通学校用諺文綴字法大要】)(1930:【諺文綴字法】:朝鮮語正書法の改訂)
     朝鮮語学会→(1933:【朝鮮語綴字法統一案】:現在の韓国と北朝鮮における正書法の基礎→1940,1946,1948:一部改訂)(1936:【査定した朝鮮語標準語集】)(1940:【外来語表記法統一案】)
   (1919 中華民国の上海市に抗日独立運動組織「大韓民国臨時政府」を結成。韓国の現行憲法では現[大韓民国]の前身と位置づけられている。)
    1939 「創氏改名」:朝鮮総督府による皇民化政策(内鮮一体)
    1941~1945 第二次世界大戦
    1945 日本の敗戦。→「光復」:日本統治からの離脱が決定。→朝鮮総督府は朝鮮人への統治権の移譲を発表したが、すでに日本には権限がないとして、アメリカとソ連が認めず。
 1945~1948 連合軍軍政期 (北緯38度線以南:アメリカ(在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁)、38度線以北:ソビエト連邦による占領)
    1946 「朝鮮姓名復旧令」(軍政庁法令122号):戸籍に掲載された[創氏改名]を遡及無効とし、戸籍上の日本名を抹消した。(朝鮮半島南部)
    1948 8月に李承晩が朝鮮半島南部に[大韓民国]政府の樹立を宣言。翌9月に金日成が朝鮮半島北部に[朝鮮民主主義人民共和国]の樹立を宣言して独立。南北朝鮮の分断。
 1948~現在 大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の対立期。→別項
    1950~1953 朝鮮戦争:韓国と北朝鮮が朝鮮半島の主権を巡って争った国際紛争(1953~:休戦中)。

 ●主要な言語……朝鮮語
 ●その他の言語…中国語、日本語
 ●主要な文字……漢字、ハングル、朝鮮製漢字(中国由来の伝統的な漢字にはない、朝鮮語において作られた[巭][䎛][旀]などの固有の漢字)
 ●補助的な文字…平仮名、片仮名(←日本統治期)
 ※〔ハングル〕…偉大な文字の意。漢字の偏・旁・脚のような構成を持ち、朝鮮語の発音(頭子音-中母音-末子音の音節)を1文字で表現できるようになっている。
  訓民正音とは、正しい音を民に訓(教)える、の意で、漢字とは異なり朝鮮語の音節に即した文字であるため朝鮮語の話者なら容易に学習できるのが特徴。
 ・世宗自身の認識からも漢字表記が尊重され、ハングルは一般に「諺文」などと卑下して扱われた。そのため[公文書]には使われなかったが
  国家的な出版事業においては[仏典][儒教関連書][実用書]など、また一般の[文学作品]など各種の書籍がハングルで多数出版された。
 ・その後、第10代[燕山君]の治世期にはハングルで書かれた暴政を誹謗する張り紙が出回ったことからハングル使用者の弾圧などがおこなわれ
  さらに第11代[中宗]以降にはハングル使用が国家レベルで禁止されたともされるが、一般の文学作品などでは非公式に使用が続けられた模様。
 ・李氏朝鮮~大韓帝国期には教育制度が不十分で、特に女子のための教育機関は皆無であったが、漢文の学習が困難な一般庶民の識字率向上には役立った。
  守旧派・儒学者らの漢字至上主義によりハングルの使用は阻害されていたが、李朝中後期には漢字ハングル混じり文やハングル専用文で書かれた作品が現れ
  李朝最末期には公文書にもハングルと漢字混じりの文章が採用されるようになっていった。
 ・日本統治下では朝鮮総督府による教育制度の整備と識字率の向上のために、ハングルと漢字の混用による朝鮮語の授業が導入されており
  朝鮮語の時間以外の教授言語としては日本語が使用されたが、朝鮮語は必修科目としてハングルが教えられることとなった。
  識字率の向上に伴い、1920~30年代には文章を縦書きハングルで印刷し多色刷りの表紙で装丁された「タクチ本」と呼ばれる廉価な出版物が人気を博した。
 ※「創氏改名」…儒教文化圏(朝鮮・中国・ベトナムなど)では先祖を遡れる[夫婦別姓]が一般的であるが、朝鮮総督府による皇民化政策(内鮮一体)の一環として
  婚姻により同一の姓を名乗る日本などで一般的な[家族姓]としての[氏]を新たに創り(創氏)、また[名]を改めること(改名)を許可した政策。
 ・この「創氏」のうち「設定創氏」は半年の期間中に[伊藤][井上]などの日本式の氏への変更を届け出るものであった。
  当初は希望者だけが届け出るものであったが、期間の途中から行政による推進がおこなわれ、最終的に朝鮮全戸の約8割が「設定創氏」したとされる。
  一方の「法定創氏」は「設定創氏」しなかった者が婚姻により家族姓となる強制的なものであったが、[朴][金][李]などの朝鮮式のままでも構わなかった。
 ・また「改名」は朝鮮式の名から日本名に改名しやすくするため、期限を設けず届出のみでできるようにしたもので
  任意であったが有料でもあったため、「創氏」と「改名」を同時におこなったのは1割程度にとどまったとされる。
 ・創氏改名による新しい「氏名」は法制度上の「本名」とされて活用されたが、戸籍には従来の朝鮮式「姓名」も残された。
  終戦後には日本名を抹消して旧来の戸籍が復活したが、当時の朝鮮総督府による政策には現在も様々な議論がある。



韓国 (大韓民国(大韓民國)。1948年建国。独裁から民主政権。以下「第○共和国」とは大韓民国憲法改正に伴う政体の相違を示す。南北紛争中に付き概略のみ記す)
 1948~1960 第一共和国時代(李承晩政権:独裁政治体制)
    1948:【ハングル専用法】:専らハングルを用いることを定めた法律。(→2005:廃止)
       (「大韓民国の公文書は、ハングルで書く。ただし、当面の間、漢字を括弧に入れて使用することが出来る。」)
    1950~1953 朝鮮戦争:韓国と北朝鮮が朝鮮半島の主権を巡って争った国際紛争(1953~:休戦中)。
 1960~1961 第二共和国時代(尹潽善政権:議院内閣制)
    1961 5.16軍事クーデター (朴正煕少将らが政権を掌握、第二共和国の実質的な崩壊)
 1961~1963 国家再建最高会議(軍事政権→民政復帰)
 1963~1972 第三共和国時代(朴正煕政権)
    1964~1973 ベトナム戦争に参戦。朴正煕が軍事政権の正統性認定や戦争特需をアメリカに期待してアメリカ軍および南ベトナムを軍事支援
    1965 日韓基本条約 (日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約。日韓の国交樹立、経済協力と請求権協定)
 1972~1981 第四共和国時代(1972~1979:朴正煕政権→1979~1980:崔圭夏政権→1980~1981:全斗煥政権)
    1973 金大中事件 (日本国内に滞在していた韓国の民主化運動家(後の韓国大統領)金大中氏を、大韓民国中央情報部(KCIA)が拉致)
    1979 朴正煕暗殺事件 (KCIA部長の金載圭が、私怨から部下と共謀し、朴正煕大統領らを殺害した事件)
 1981~1988 第五共和国時代(1981~1988:全斗煥政権)
    1987 6・29民主化宣言 (当時大統領候補だった盧泰愚により民主化が宣言される)
    1987 大韓航空機爆破事件 (北朝鮮工作員の男女が偽造パスポートで日本人になりすまし、インド洋上を飛行中の大韓航空の旅客機をプラスチック爆弾により爆破した事件)
 1988~現在 第六共和国時代
   (1988~1993:盧泰愚政権)
       1988:【ハングル正書法】(←1933:朝鮮語学会「朝鮮語綴字法統一案」が下敷き。[朝鮮語学会]→現[ハングル学会])
       1988 ソウルオリンピック
   (1993~1998:金泳三政権)
   (1998~2003:金大中政権)
       2000 第1回南北首脳会談(韓国:金大中大統領/北朝鮮:金正日国防委員長)
   (2003~2008:盧武鉉政権)
       2007 第2回南北首脳会談(韓国:盧武鉉大統領/北朝鮮:金正日総書記)
   (2008~2013:李明博政権)
       2010 延坪島砲撃事件 (北朝鮮の朝鮮人民軍が韓国の大延坪島を突如砲撃し、韓国軍との間で砲撃戦になった事件)
   (2013~2017:朴槿恵政権)
       2014 セウォル号沈没事故 (韓国の高校生らが多数乗船し仁川から済州島へ向かっていた大型旅客船セウォル号が、過積載と操船ミスなどにより転覆沈没した事故)
   (2017~現在:文在寅政権)
       2018 平昌オリンピック(冬季)
       2018 第3,4,5回南北首脳会談(韓国:文在寅大統領/北朝鮮:金正恩国務委員長)

 ●主要な言語……朝鮮語(韓国語) (←国内では「標準語」。規定では「ソウルの教養ある人々が使用する言語」)
 ●その他の言語…英語(←義務教育に含まれる)
 ●主要な文字……ハングル
 ●補助的な文字…漢字、ラテン文字、朝鮮製漢字
 ◎有名人(抜粋)…チョー・ヨンピル(歌手)、キム・ヨンジャ(歌手)、桂銀淑(ケイ・ウンスク:歌手)、BoA(歌手)、ソニン(タレント)、東方神起(歌手グループ)、少女時代(歌手グループ)、ジョニー大倉(ミュージシャン、俳優)
          李 麗仙(り れいせん:女優)、チェ・ジウ(女優)、ペ・ヨンジュン(俳優)、イ・ビョンホン(俳優)、ウォンビン(俳優)、チャン・ドンゴン(俳優)、崔洋一(さい よういち:映画監督)、つかこうへい(劇作家)、
          張本 勲(はりもと いさお:元プロ野球選手)、李大浩(イ・デホ:プロ野球選手)、金妍兒(キム・ヨナ:フィギュアスケート選手)、コウケンテツ(高賢哲:料理研究家)、潘基文(パン・ギムン:元国連事務総長)、
          力道山(元力士・プロレスラー)、星野勘太郎(元プロレスラー)、大木金太郎(金一:キム・イル:元プロレスラー)、タイガー戸口(キム・ドク:元プロレスラー)、チェ・ホンマン(崔洪万、崔洪萬:総合格闘家)
 ○主な文字集合…【KS C 5601】(1974~):韓国で制定された朝鮮語の文字コード。([KS X 1001]や[KSコード]とも呼ばれる。)
 ○主な入力方式…キーボードの各キーに対応したハングル字母であらわされる朝鮮語の音素を入力してハングル音節文字に変換する。(日本語での[かな入力]を用いての[かな漢字変換]に近い)
         (ハングル入力方式の名称は不詳。また漢字の入力方法についてもその有無を含めて不詳。)



北朝鮮 (朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮民主主義人民共和國)。1948年建国。朝鮮労働党による事実上の一党独裁(ヘゲモニー政党制)政権。南北紛争中に付き概略のみ記す)
 1948~1994 金日成政権 (初代最高指導者、兼務:1948~1972:初代首相、1972~1994:初代国家主席)
    1948 初の憲法「朝鮮民主主義人民共和国憲法」を承認。(漢字使用を全廃→ハングルのみの使用)
    1948:金枓奉らによる【朝鮮語新綴字法】(→金枓奉の政治的失脚に伴い破棄)
    1950~1953 朝鮮戦争:韓国と北朝鮮が朝鮮半島の主権を巡って争った国際紛争(1953~:休戦中)。
    1954:【朝鮮語綴字法】(←1933:朝鮮語学会「朝鮮語綴字法統一案」および 1930:朝鮮総督府「諺文綴字法」が下敷き)
    1966:【朝鮮語規範集】(→1987:改訂→現行)
   (1966~1972頃 ベトナム戦争に参戦。北ベトナムを軍事支援)
    1983 ラングーン事件 (当時ビルマの首都だったラングーン(現ミャンマーの旧首都ヤンゴン)でアウンサン廟を訪問中の、韓国の全斗煥大統領一行を狙って北朝鮮工作員が実行した爆破テロ事件)
    1987 大韓航空機爆破事件 (北朝鮮工作員の男女が偽造パスポートで日本人になりすまし、インド洋上を飛行中の大韓航空の旅客機をプラスチック爆弾により爆破した事件)
    1993 初のミサイル発射実験 (準中距離弾道ミサイル(MRBM:ノドン等)。以降、中距離弾道ミサイル(IRBM:テポドン、ムスダン等)、大陸間弾道ミサイル(ICBM:火星14等)、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM:北極星1号)など)
 1994~2011 金正日政権 (第2代最高指導者(金日成の死去に伴う世襲後継)、兼務:1993~2011:第2代国防委員会委員長)
    2000 第1回南北首脳会談(韓国:金大中大統領/北朝鮮:金正日国防委員長)
    2002 第1回日朝首脳会談(日本:小泉純一郎内閣総理大臣/北朝鮮:金正日国防委員長)、日朝平壌宣言
    2004 第2回日朝首脳会談(日本:小泉純一郎内閣総理大臣/北朝鮮:金正日総書記)
    2006 初の核実験 (坑道を使った地下核実験によるものとみられる地震波が観測された。以降数回実施)
    2007 第2回南北首脳会談(韓国:盧武鉉大統領/北朝鮮:金正日総書記)
    2010 延坪島砲撃事件 (北朝鮮の朝鮮人民軍が韓国の大延坪島を突如砲撃し、韓国軍との間で砲撃戦になった事件)
 2011~現在 金正恩政権 (第3代最高指導者(金正日の死去に伴う世襲後継)、兼務:2016~現在:初代国務委員長)
    2017 金正男氏暗殺事件 (金正恩の異母兄・金正男氏がマレーシアのクアラルンプール国際空港で北朝鮮工作員が雇った2人の女性から受けた毒物攻撃により殺害される)
    2018 第3,4,5回南北首脳会談(韓国:文在寅大統領/北朝鮮:金正恩国務委員長)
    2018 第1回米朝首脳会談  (アメリカ:ドナルド・トランプ大統領/北朝鮮:金正恩国務委員長)
    2019 第2,3回米朝首脳会談(アメリカ:ドナルド・トランプ大統領/北朝鮮:金正恩国務委員長)

 ●主要な言語……朝鮮語 (←国内では「文化語」。規定では「平壌の労働者階級が使用する言語」。実際には伝来のソウル方言を基礎としており韓国語との違いは限定的。)
 ●その他の言語…(不詳)
 ●主要な文字……チョソングル(朝鮮文字の意。ハングルのハンが韓国の韓に通じることを避けたもので、ハングルと同じ。)
 ●補助的な文字…古典や文献等を参照する場合(漢字、朝鮮製漢字、ラテン文字など)
 ○主な文字集合…【KPS 9566】(1993~):北朝鮮の国家規格で制定された朝鮮語の文字コード。(93年版はほとんど使われなくなっており97年度版以降(最新は2003年度版)が使われる。)
 ○主な入力方式…(不詳。おそらく韓国と同様もしくは類似の方式。)




ベトナム (越南。インドシナ半島の東部山岳地から南シナ海に面した沿岸地域。国土は南北に細長く、公式には54の民族からなるとされる。最大の民族集団はキン族(ベト族,アンナン族とも)。)
 《北部》-----(おもにトンキン(東京)と呼ばれる地域、およびアンナン(安南)のトンキン湾沿岸地域。ベト族などの国々。)
  古代:
  -2879~-2524 赤鬼国(スィックキ国, Xích Quỷ)(伝説時代)
  -2524~-257 文郎国(ヴァンラン国, Văn Lang)
        (鴻龐氏(ホンバン氏、Hồng Bàng Thị)の雄王による治世→最後の18代雄璿王の頃に[秦]からの侵攻、4年間の戦争後に秦軍を北部に受け入れる)(←雄王の名などはすでに【漢字】で残されている)
  -257~-207 甌雒(アウラク,甌貉,甌駱, Âu Lạc) (←首都:封渓(フォンケー), 現:古螺(コーロア, Cổ Loa))
        (もとは蜀の王子であったといわれる西甌(Tây Âu, 後に[Nam Cương]か)の蜀泮、秦を撤退させ安陽王と号し、西甌を含む甌越(Âu Việt)地域と雒越(Lạc Việt)地域を統合して甌雒を建国。)
  -207~-111 南越国(なんえつこく、南粤、趙朝, 趙氏南越国, 南越國, ナムベト国, Nam Việt quốc)
        (秦の南海郡尉・趙佗が甌雒を併合し中国南部からベトナム北部にかけての地域(嶺南)に建国。首都:番禺(現:中国広州市)→項羽と劉邦の楚漢戦争→漢の攻撃により滅亡)
  北属期:-----(漢から唐が滅亡するまでの中国王朝支配期。ベトナム人にとっては屈辱的な時代と捉えられている)
  -111~+938(第一次北属期より中国文化の普及が進み、中国の[新]王朝期頃には[儒教]がベトナムに伝わったとされる)
    (-111~+39:第一次北属期←[前漢][新][後漢])(←中国の統治下に置かれた北ベトナムに、南海の富貴を求める中国の官吏、商人が移住)
    ( +40~+42:徴氏(チュン氏, Trưng))     (←ハノイ西の土着の首長の娘[徴姉妹]、後漢の統治に反乱を起こす)
    ( +43~544:第二次北属期←[後漢]~[六朝]) (←184:ベトナムの民衆が刺史・周敞を殺害し、朝廷に刺史の暴政を訴え出る事件が起きる)
    ( 544~602:前李朝(リー朝, Lý))      (←541:南朝の梁が任命した刺史の圧政に対して李賁(リ・ビ)が反乱を起こす→544:刺史を広州に追放して建国)
    ( 602~905:第三次北属期←[隋][唐])    (←604:隋、宋平(トンピン, 現:ハノイ)に交州総管府を設置)(→624:交州都督府に改称)(→679:唐、[安南都護府]を設置)
       (722:梅叔鸞(マイ・トゥック・ロアン)がホアンチャウ(現:ゲアン省)で唐に反乱を起こし、都護を殺害、梅黒帝を自称→唐軍の攻撃を受け年内に鎮圧)
       (753:遣唐使・藤原清河、阿倍仲麻呂らが帰国途上に漂流、安南のヴィン付近に漂着。761-767:阿倍仲麻呂、唐の鎮南都護・安南節度使としてハノイの安南都護府に在任)
    ( 906~930:曲氏(クック氏, Khúc))     (←906:在地の土豪である曲承裕(クック・トゥア・ズー)が初めて節度使となる。)(←907:唐が滅亡して混乱期となる)
    ( 931~937:楊氏(ズオン氏, Dương))     (←931:曲氏政権の将軍・楊廷芸、南漢に背いて大羅城を攻略し南漢の刺史を追放)
    ( 937~938:矯氏(キュウ氏, Kiều))     (←937:楊廷芸に仕えた峰州の豪族・矯公羨が楊廷芸を殺害)
       (938:白藤江の戦い(#1):南漢軍との戦い。中国(五代十国時代の[南漢])からの独立を図った呉権のベトナム軍が、南漢軍および矯公羨の水軍との連合軍と戦闘→呉権の勝利。約1000年に渡った中国支配体制の終焉)
  独立王朝時代:
   938~ 966 呉朝(ゴー朝, 家吳 / Nhà Ngô) (←呉権が建国。939:従来の中国支配(北属期)の象徴である大羅から、かつての甌雒国の首都であった古螺を都とした。)
    ( 965~ 966 十二使君時代:呉朝末期の北ベトナムに多数の土豪が独立して混乱期となった群雄割拠の時代。丁部領が勝ち残り、民衆から「万勝王」と呼ばれた)
      966~ 980 丁朝(ディン朝, 家丁 / Nhà Đinh)(←丁部領が建国。国号を[大瞿越](ダイコヴィェト,[偉大な越]の意)とし、華閭(ホアルー)へ遷都。970:ベトナム最初の元号[太平]を制定)
      980~1010 前黎朝(レー朝, 家前黎 / Nhà Tiền Lê) (←黎桓が建国。丁部領の死後に摂政となった黎桓が、宋の侵攻を前にして君主に推された。15世紀の黎利による後黎朝とは区別される。)
      981:白藤江の戦い(#2):北宋軍との戦い。丁部領の死を知った宋(北宋)が侵攻するも黎朝軍が撃退。
  1009~1225 李朝(リー朝, 李氏大越国, 家李 / Nhà Lý) (←前黎朝の将軍・李公蘊、軍権を掌握し前黎朝を打倒して建国。→1010:首都を昇龍(タンロン, Thăng Long 現:ハノイ)に移す)
    (1054:正式な国号を「大越」(ダイベト, Đại Việt)とする(1054~1400、1428~1804)。)(→1174:南宋から「安南国王」に冊封され、冊封体制の中で最高度の独立性を持つ属国となる)
  1225~1400(1428) 陳朝(チャン朝, 陳氏大越国, 家陳 / Nhà Trần)(←李朝7~8代の悪政により8代李恵宗の外戚・陳守度が実権を掌握、甥の陳太宗を皇位につけ陳朝を開く)
    (1232:陳朝、教育機関[太学]を設立し[科挙]をおこなう)(←ベトナム語に固有の発音などを表記する、民族文字としての【チュノム】が作られはじめる)
     1257,1285,1287 元による三度の侵攻。→1288:白藤江の戦い(#3):元軍との戦い。退却する元軍をほぼ全滅に追い込む。
     1272 ベトナム最初の正史「大越史記」成立。編年体通史であり北ベトナム史書のスタイルの先駆けとなった。(14世紀頃:歴代皇帝の信仰:[仏教]→[儒教]へ変化)
    (1361~:南部のチャンパ王国からの侵攻→1371,1377,1378:首都・昇龍がチャンパの襲撃によって破壊)
     1400~1407 胡朝(ホー朝, 胡氏大虞国, 家胡 / Nhà Hồ)(←1400:陳朝の外戚・黎季犛が胡季犛と改名して帝位を簒奪、国号を「大虞(ダイグ)」とする。→明の永楽帝によるベトナム侵攻→胡朝の滅亡)
     1407~1414 後陳朝(家後陳 / Nhà Hậu Trần)(陳朝の遺児が簡定帝と号して即位→明の侵攻が再び強まる→後陳朝は一時滅亡)
    (1407~1428 属明期:中国の[明]朝による支配。[第四次北属期]とも)
     1418~1428 藍山蜂起。黎利(レ・ロイ)による中国明朝からのベトナム独立を目指した闘争。(→1427~1428:明、国内事情によりベトナムから撤退、後陳朝が一時的に復活→黎利により後陳朝は完全に滅亡)
  1428~1527 黎朝(後黎朝、初黎朝)(レー朝, 黎氏大越国, 家黎 / Nhà Lê) (←黎利が建国。10世紀の黎桓による前黎朝とは区別される。後黎朝の初期。対外的な国号は「大越国」。莫登庸による簒奪期を挟んで中興黎朝へと続く)
    (1428:黎朝、儒教の教育機関[国子監](Quốc Tử Giám)を首都・昇龍(タンロン)に設置。[科挙]の制度を確立。)
    (1470:南部のチャンパ王朝からの侵攻を受けるも撃退、チャンパを隷属させる)(→1471:チャンパのヴィジャヤ王朝が滅亡)
    (1520:莫登庸の専横が強まり、黎朝の重臣・[鄭]氏と[阮]氏、まだ若い皇帝を首都・東京(Đông Kinh ドンキン、仏:Le Tonkin トンキン:現ハノイ)からタインホア(清化)に保護)
  1527~1592(1677) 莫朝(マク朝, 家莫 / Nhà Mạc)   (←1527:莫登庸、黎朝の帝位を簒奪して莫朝を開く(北朝)。初黎朝の滅亡。→1592:鄭氏が東京を攻略、莫朝支配の終焉→莫朝は地方政権として1677まで続く)
  1532~1789 中興黎朝(中興レー朝, 後期黎朝, 家黎 / Nhà Lê) (←阮淦、初黎朝の後胤を奉じて黎朝を再興(南朝)。首都タインホア(清化)。)
 (1533~1592 南北朝時代:莫朝(北朝)と黎朝(中興黎朝:南朝)との鼎立時代。黎朝内部では阮氏が主導権をとる鄭阮同盟→鄭氏が主導権をとり鄭阮対立の構図(鄭阮戦争)となる)
    (1592:南朝が北朝を破り首都東京(ドンキン)を奪還→1600:阮氏を追放した鄭氏が黎朝の実権を握る)
     1545~1787 鄭氏政権(チン氏政権, 東京鄭氏, 北河, Trịnh, Đàng Ngoài)  (←鄭主。黎朝の名目上の皇帝を奉じて黎朝の実権を握る。北河国(交趾国/東京国)と呼ばれる)
     1558~1777 阮氏政権(グエン氏政権, 広南阮氏, 南河, Nguyễn, Đàng Trong)(1558:阮氏、南部の行政官となる→富春(現:フエ)を拠点に南へ領土を拡張。広南阮氏、広南国と呼ばれる)
       (1771:西山党の乱。カンボジアでの戦争敗北と重税により、西山(タイソン)出身の阮三兄弟(阮姓だが広南阮氏とは無関係)が起こした農民の反乱。)
       (1777:広南阮氏は西山党と鄭氏の両方を相手にして敗北、12歳の阮福暎は敗走し生き延びる)
  1778~1802 西山朝(タイソン朝, 西山阮氏, 阮氏大越国, 家西山 / Nhà Tây Sơn)(西山党の西山三兄弟による統治)
    (1788 ドンダーの戦い。黎朝の昭統帝は清に逃れ、清が黎朝の復興を名目に大軍を送るが西山軍の奇襲で清軍は大敗北を喫した。黎朝の滅亡。奇襲をきっかけに西山三兄弟は対立。)
    (1802 広南阮氏の生き残り阮福暎、シャム(現:タイ王国)やフランス人宣教師などの支援を受け、10年がかりで阮朝を建国→西山朝の滅亡、統一期へ)
 《中南部》-----(おもにアンナン(安南)と呼ばれる地域の中部から南部。)(チャンパ王国を構成する各国は並立している時期が大半だが年代はチャンパ正統皇帝となった国王の在位期に拠った。)
   192~1832 チャンパ王国(占婆 / Chăm Pa) (←古チャム人の王国。サンスクリットによる正式名称はチャンパープラ / チャンパーナガラ。)
        (チャンパ王国←[崑崙国]:遣唐使・平群広成が帰国途上に漂流して到着(734)、唐の長安と渤海経由で帰朝←「続日本紀」)
      192~ 757:林邑国 (Lâm Ấp)(←192:漢の最南端、日南郡象林県(現:フエ付近)の官吏・区連、叛乱を起こし、林邑国を建てる。←中国史料)
          (当初は中国文化の影響、その後、南部の扶南国との交易の影響でヒンドゥー文明を受容。)
          (林邑僧・仏哲、中国経由で日本へ来朝、チャンパの舞踊[林邑楽]を伝え、東大寺大仏開眼供養会(702)で舞楽を奉納。→現在も日本の雅楽に伝承)
      757~ 859:環王国 (Hoàn Vương)
      860~1693:占城国 (Chiêm Thành)
       (1000:首都を南中部北端のアマラーヴァティー州から南中部南端のヴィジャヤ州に移す)(→占城ヴィジャヤ王朝)
        1190~1192:ヴィジャヤ王朝 (仏逝国, Vijaya)(南中部)
        1190~1203:パーンドゥランガ王朝 (賓童龍国, Panduranga)(中部南端、檳榔族の国)
        1203~1220:カンボジアの真臘 (Chân Lạp) による支配期
        1281~1289:モンゴルの元朝による支配期 (←1288:白藤江の戦い(#3):チャンパ王ジャヤ・シンハヴァルマン3世(制旻)、大越陳朝の軍勢と連携して元軍と戦い、退却する元軍をほぼ全滅に追い込む。)
        1289~1307:大越・チャンパの蜜月時代 (←1306:制旻が花嫁代償として北中部ウリク州を大越に割譲→1307:制旻が死去、大越・チャンパの抗争が再燃し混乱期となる)
        1361~:チャンパ王ビナスオール(制蓬峩, 阿答阿者)、陳朝へ侵攻→1371,1377,1378:陳朝の首都・昇龍を襲撃して破壊
        1402:胡朝によりチャンパの都が占領される。チャンパ王ジャヤ・シンハヴァルマン6世(巴的吏)、明に救援を求め、大虞胡朝とチャンパ占城国との抗争は明の干渉戦争に発展
        1407~1428 属明期:中国の[明]朝による支配。([第四次北属期]とも) 
        1418~1428 藍山蜂起。大越黎朝(黎初朝)の黎利による明軍撃退後、チャンパは南中部のヴィジャヤ王朝と中部南端のパーンドゥランガ王朝に分裂する形で再興された。
        1471~1696:パーンドゥランガ・チャンパ (Panduranga-Chăm Pa) (←ヴィジャヤ王朝の滅亡に伴い、チャンパの正統が中部南端のパーンドゥランガに移った時代)
          (1471:黎朝大越国5代・黎聖宗による侵攻。アマラーヴァティー州とヴィジャヤ州が大越国に併合される。)(→ヴィジャヤ王朝が滅亡、ヴィジャヤ王の息子→アチェ王国(スマトラ島)の祖となる)
     1696~1832:順城鎮 (Thuận Thành trấn) (←1693:パーンドゥランガは広南阮氏により征服され順城鎮と改称)
       (19世紀初頭:阮朝・嘉隆帝からの厚遇により最盛期、中部高原南方の山岳民族を支配下に置く)
       (1832:阮朝・明命帝の中央集権化方針により阮朝ベトナムに統合、順城鎮が断絶→チャンパ王国の終焉)
 《最南部》-----(おもにコーチシナと呼ばれる地域。メコン川下流域、メコン=デルタ地帯。現ベトナム南端部およびカンボジア。主として現カンボジアの一部としての歴史。1世紀頃からインド文化とヒンドゥー教が伝わる)
   68~ 628 扶南国 (Phù Nam) (東南アジア最古の王朝。インド人バラモンの王子が、南方より海路やってきて建国。4~5世紀にヒンドゥー教・シヴァ神信仰・サンスクリットなどを取り入れ、インド化が進行)
   628~ 802 真臘 (チェンラ王国, Chân Lạp) (クメール人の王国。→713:北部[陸真臘]と南部[水真臘]に分裂→774~802:ジャワ王国シャイレーンドラ朝の支配下)
   802~1431 クメール王朝 (クメール人の王国の最盛期。アンコール王朝とも。アンコール・トム(仏教寺院)、アンコール・ワット(ヒンドゥー教寺院建築)などを建立)
  1431~1863 カンボジア王国(~1863:暗黒時代。残っている記録が少ない時期であるためこう呼ばれるが周辺状況と歴史家の研究によりいくつかの見解が形成されつつある。)
    (1644 中国の[明]が滅亡。→ベトナムに流入した中国人難民が南部に入植、ベトナム人官吏の支配下で勢力を拡大してクメール系住民を駆逐し、カンボジア領のコーチシナ地域を侵食して中国系ベトナム人が居住)
    (1831 第一次泰越戦争。タイがカンボジアの支配を狙いカンボジア北部に侵攻後、南転してベトナム南部へも侵攻。→阮朝ベトナムが反撃に転じてタイは撤退、ベトナムがカンボジア全土を掌握。)
    (1841 第二次泰越戦争。→タイ・ベトナム両国でカンボジアを共有する平和条約が締結された。コーチシナは阮朝の施政下となる)
    (1858~1862 コーチシナ戦争。フランス、コーチシナ東部3省を占領。フエの阮朝宮廷に対し東部3省を割譲させ、コーチシナ総督府を設置。)
  1863~1867 フランス保護領カンボジア (フランス、タイからの保護を名目に、カンボジア王国を保護国とする。カンボジア王国は存続するが主権は失われる。)
  1867~1887 コーチシナ植民地 (フランス、コーチシナ東部3省の警備上の不安を解消するためとして西部3省を攻略、植民地として一方的に宣言。コーチシナ6省がフランスの植民地となる。)
  1887~1945 フランス領インドシナ (現在のベトナムとカンボジアを合わせた地域がフランスの植民地となる。)
   (((1941 カンボジア国王の崩御に伴い、ノロドム・シハヌーク、18歳で国王に即位→[シアヌーク国王])))
   (((1945 →3月:日本軍「明号作戦」を発動。仏印に駐留するフランス軍を日本軍が攻撃・武装解除し、名目上は共同統治であったインドシナを完全な支配下に収めた。日本の仏印処理でインドシナ3国に独立付与がおこなわれたとされる。)))
         (((シアヌーク国王、カンボジア王国の独立を宣言。←阮朝の保大帝によるベトナム独立宣言の2日後。)))
  近代:
 《統一期》-----(北部の阮朝の主導によりベトナム統一なるも、インドシナ半島の東側がフランスおよび大日本帝国から占領された苦難の時代)
  1802~1945 阮朝(グエン朝, 阮氏越南国, 阮氏大南, 家阮 / Nhà Nguyễn)(←広南阮氏の生き残り阮福暎、10年がかりで西山朝を打倒して建国)
    (1803 首都・富春(フースアン Phú Xuân、現:フエ市キンタイン)に[国子監](Quốc Tử Giám)を設置)(→1919:[科挙][国子監]を廃止)
    (1804 初代皇帝・嘉隆帝(阮福暎)、清の嘉慶帝から越南国王に封ぜられ「越南」(ヴィエット・ナム)を正式の国号とする。←清には「南越」の国号を求めたが「越南」を与えられた→現「ベトナム」のはじめ)
    (1815 嘉隆帝「嘉隆律例」を発布:中国的な制度を導入し、[儒教]的な統治を理想とする。)(→1830年代:清の制度に倣った中央集権化と[科挙]制度の導入)
    (1820 明命帝、キリスト教を弾圧。越仏関係が悪化。)(→1847:ダナンの戦い。フランス軍艦がダナンを砲撃、フランスの侵略が始まる。)
    (1831 第一次泰越戦争。タイがカンボジアの支配を狙いカンボジア北部に侵攻後、南転してベトナム南部へも侵攻。阮朝ベトナムが反撃に転じてタイは撤退、ベトナムがカンボジア全土を掌握。)
    (1832 明命帝、順城鎮(チャンパ王国)を併合。←現在のベトナム地域の統一)
    (1858~1862 コーチシナ戦争。フランス・スペイン連合艦隊、ダナン、サイゴンを占拠。フランス、コーチシナ東部三省を占領、フエの阮朝宮廷に対し三省を割譲させ、コーチシナ総督府を設置。)
    (1882 トンキン戦争。フランス軍がハノイを含むトンキン地方を占領。→フランスがトンキンとアンナンを保護領化。現在のベトナム全域がフランスの施政下となる)
    (1883~1885 清仏戦争:ベトナム(越南)領有を巡るフランスと清との間の戦争→講和条約の「天津条約(李・パトノール条約)」でフランスが北ベトナムを獲得、通商路を確保)(→1887:仏領インドシナ)
  1887~1945 フランス領インドシナ ([仏領インドシナ][仏印]とも。トンキン保護領、アンナン保護領、コーチシナ直轄植民地に分割統治、カンボジア保護国と併合)
    (1889 フランス領インドシナにラオス保護国を追加併合、インドシナ半島の東側地域(現ベトナム、ラオス、カンボジア)をフランスの保護下(植民地)とする)
    (1904 ファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)ら、反仏独立運動のため維新会を結成)(→1905:潘佩珠、反仏独立の支援を求めて、大日本帝国に来日(東遊運動)。)
    (1913 初の【クオック・グー】新聞、Đông Dương tạp chí (東洋雑誌、1913-1919) がハノイで発行される。)(←フランス総督府によるクオック・グー教育の推進、[科挙]の廃止)
    (1919 ホー・チ・ミン(胡志明)が安南愛国者協会(Association des Patriotes Annamites)を組織、[阮愛國]の名で請願書「安南人民の要求」をパリ講和会議に提出)
    (1930 ホー・チ・ミンが香港でベトナム共産党(インドシナ共産党)を設立)(←1939:フランス植民地政府がインドシナ共産党を禁止)
  1939~1945 第二次世界大戦 (1940:ヨーロッパ戦線でナチス・ドイツの侵攻によりフランスが降伏。フランスの弱体化→1940:フランス、ヴィシー政権へ移行。大日本帝国による「仏印進駐」→フランスと日本による二重支配体制)
     1941 反仏抗日民族統一戦線を樹立するためコミンテルンに学んだホー・チ・ミンらによりベトミン(越盟/越南獨立同盟會/Việt Nam Ðộc Lập Ðồng Minh Hội)結成。
    (1943:ハノイ、ハイフォン、サイゴン(現ホーチミン市)において日本語教育が開始される。)
     1945 ベトナム飢饉 (1944~1945:凶作による飢饉とコメの供出(食糧徴発)や日仏二重支配の弊害で対策が取られなかった等により40万~200万人ともされる餓死者を出す)
      →3月:日本軍「明号作戦」を発動。仏印に駐留するフランス軍を日本軍が攻撃・武装解除し、名目上は共同統治であったインドシナを完全な支配下に収めた。日本の仏印処理でインドシナ3国に独立付与がおこなわれたとされる。
         阮朝のバオ・ダイ帝(保大帝)、日本の援助下で反仏クーデターを決行、ベトナム独立を宣言。(→「ベトナム帝国」成立。:フランスからの独立、阮朝による王政復古。大戦終結まで半年間の短命政権)
      →8月:日本の敗戦→[ベトナム八月革命]:ベトミンが総蜂起、ホー・チ・ミンが[阮愛國]であったと知った保大帝が退位し阮朝(ベトナム帝国)滅亡。ホー・チ・ミン首班による「ベトナム民主共和国」成立。真のベトナム独立。
      →9月:日本軍の武装解除に入った連合国側の進駐軍に続いて旧植民地の再支配を狙うフランス軍が南部から復帰(7月のポツダム会議における米英ソ3ヵ国の合意に基づく戦後処理)
 《北部》-----(北緯17度線以北の地域、いわゆる「北ベトナム」(独立当初は全土を掌握していた)。ベトナム民族の共産主義による統治。フランス植民地の開放闘争。)
  1945~1976 ベトナム民主共和国 ホー・チ・ミンが初代国家主席兼首相に就任。トンキン、アンナン、コーチシナで構成される現在の形でのベトナムが独立した。
    (1945:ベトナム語の正書法として漢字に代わり【クオック・グー】を正式に採択。識字率の向上を意図して、クォック・グーがベトナム語の公式な表記文字であることを定めた。)
     1946:南部からの旧宗主国フランス軍の復帰に伴い、コーチシナを奪還される。
    (1950:暫定教育改革により、中等教育における漢文教育を廃止。北ベトナムにおける漢文教育の歴史に終止符。)
     1954:フランス軍の侵攻に伴い、[北緯17度線]以北へ撤退。(北ベトナム)
    (1954:公式な漢字の廃止。ベトナム民主共和国紙幣などにおける漢字使用を全廃。)
     1975:ベトナム戦争に勝利。→1976:ベトナム民主共和国を「ベトナム社会主義共和国」に改名。
 《南部》-----(北緯17度線以南の地域、いわゆる「南ベトナム」。当初は旧宗主国フランスによる植民地奪還闘争。反共産主義的な立場、西側諸国から援助・国交。ベトナム戦争でアメリカが支援するも敗北。1975年の崩壊まで漢文教育が存続)
  1946~1948 コーチシナ共和国 (フランス政府が最南部コーチシナにてベトナム人協力者を擁立してコーチシナ協商委員会を組織し、ベトナムとの統一反対を決議して建国した、フランスの傀儡国家。)
  1948~1949 ベトナム臨時中央政府 (フランスが中部や北部の主要都市を攻撃して占領、ベトナム全土の植民地としての再支配を管轄する政府として組織。コーチシナ共和国は消滅。)
  1949~1955 ベトナム国 (阮朝最後の皇帝(保大帝)を擁立しベトナムの正統国家として再度ベトナムを植民地化した、旧宗主国フランスの傀儡国家。首都:サイゴン(柴棍/西貢)。ベトナム全土の支配は形式のみで、北部は実効支配していない。)
  1955~1975 ベトナム共和国 (共産主義の相次ぐ拡大(ドミノ理論)を恐れたアメリカの支援で、ベトナム国の首相ゴ・ディン・ジエム(吳廷琰)が実施した国民投票によりバオ・ダイ(保大帝)を廃位させ、共和制へ移行して樹立。)
        (初代大統領:反共主義者、ゴ・ディン・ジエム元首相が就任。→カトリック教徒のジエム大統領による、仏教徒への弾圧がはじまる。)
    (1960:南部残留の元ベトミンらを中心に、NLF (南ベトナム解放民族戦線、略称[解放戦線]、通称[越南共産](ベトナムコンサン)より[越共](ベトコン)を結成。)(ベトコン←もとはジエム大統領が発した蔑称から)
  1975~1976 南ベトナム共和国 (ベトナム戦争終結後の南ベトナムに作られた、北ベトナムによる傀儡国家。政府主体は NLF(南ベトナム解放民族戦線)による「南ベトナム共和国臨時革命政府」(1969~)。)
     1976:南ベトナムは北ベトナムに吸収されて消滅。
 《南北分断・内戦期》1946~1975-----
  1946~1954 インドシナ戦争(第一次インドシナ戦争とも。ベトナム民主共和国(北ベトナム)の独立を巡り、ベトミン軍とフランスとの間で戦われた戦争。)(←残留日本兵の一部が仏越両軍に参加(計700名超とも)。ベトミン士官養成など)
        (フランス軍からの砲撃により開戦。→1954:ディエンビエンフー(奠邊府)の戦い。フランス空挺大隊が降下、同地を占領。→ベトミンはフランスに辛勝するが、ジュネーヴ協定によりベトナムの南北分断が固定化。)
    (1955:第一次インドシナ戦争が終結。フランスが敗北、同時期にアフリカ植民地の独立闘争が激化したフランスは、アメリカにインドシナを託して完全撤退。北ベトナムの独立が承認された。[北緯17度線]を軍事境界線とし南北を分割)
  1955~1975 ベトナム戦争 (第二次インドシナ戦争とも。第一次インドシナ戦争後に分裂した南北ベトナム間に発生した戦争。アメリカ側の資本主義陣営とソ連側の共産主義陣営との冷戦期における代理戦争。)
        (アメリカの近代兵器(クラスター爆弾、ナパーム弾、枯葉剤などの化学兵器)による北爆などの物量作戦に対し、ベトコンはジャングルを駆使したゲリラ戦を展開。)
        (戦争の長期化に加えて近代兵器の残虐性とアメリカ軍や韓国軍による複数の虐殺事件も問題視され、アメリカ国内世論が反戦へ傾く)
    (1961:ジョン・F・ケネディが米大統領に就任。対ベトナム政策では派兵拡大を推進、北ベトナムにてゲリラ掃討作戦を行う特殊部隊を「軍事顧問団」の名で派遣。クラスター爆弾、ナパーム弾、枯葉剤を使用する攻撃を開始。)
    (1963:南ベトナム・ジエム大統領の仏教徒弾圧に抗議した僧侶ティック・クアン・ドック、弾圧を世界に訴えるため、在サイゴン米大使館前で公開焼身自殺→ジエム大統領近縁者による侮蔑的発言により、米・南越関係が悪化→)
       (→CIAの支援によるクーデター。南ベトナム軍内の反ジエム勢力が、ジエム大統領を殺害→3週間後にアメリカでケネディ大統領が暗殺され、ジョンソン副大統領が大統領となる)
    (1964~1973 韓国などSEATO(東南アジア条約機構)加盟国がベトナム戦争に参戦。アメリカ軍および南ベトナムを軍事支援(←韓国:朴正煕が軍事政権の正統性認定や戦争特需をアメリカに期待して参戦。SEATO加盟国中最大の兵力)
    (1965:米・ジョンソン政権、北ベトナムへの爆撃「北爆」を開始。戦争の本格化。)
    (1966~1972頃 北朝鮮がベトナム戦争に参戦。北ベトナムを軍事支援)
    (1968:NLF「テト攻勢」を展開。旧正月(テト)の期間中に起きた、北ベトナム人民軍とNLFによる、南ベトナムに対する大攻勢。アメリカが大打撃を受ける。→北爆の停止。)
    (1969:NLF「南ベトナム共和国臨時革命政府」を樹立。←サイゴン政権からの南ベトナムの解放とベトナム民族の統一を目指した地下政府組織)
    (1972:米・ニクソン政権、北爆を再開)
    (1975:NLF「ホー・チ・ミン作戦」を発動。北ベトナム軍により行われた南ベトナムの首都サイゴンに対する最終的な攻撃作戦。→フエ、ダナンに続き、サイゴンが陥落、第二次インドシナ戦争[ベトナム戦争]が終結。アメリカの敗北。)
  現代:
 《南北統一後》-----
  1976~現在 ベトナム社会主義共和国
     1978~1989 第三次インドシナ戦争(カンボジア・ベトナム戦争。カンボジアへの侵攻を開始)
     1979 中越戦争(カンボジア侵攻を非難する中国がベトナムを攻撃)
     1986 ドイモイ政策を採択、社会主義に市場経済システムを取り入れ、中国の改革開放と同様に市場経済路線へと転換
     1993 フランスと和解
     1995 アメリカと和解。東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟
     1998 アジア太平洋経済協力 (APEC) に参加
     2007 世界貿易機関 (WTO) に正式加盟。国連総会で安全保障理事会の非常任理事国に初めて選出
  
 ●主要な言語……ベトナム語(越語) (北部方言、中部方言、南部方言)
 ●その他の言語…中国語(主に広東語、台湾語、北京語)、クメール語(カンボジア語)、フランス語、ロシア語、日本語(1943-1945)
 ●主要な文字……ラテン文字(クォック・グー:國語 / Quốc ngữ)
 ●補助的な文字…古典や文献等を参照する場合(漢字(漢文,中国語)、チュノム、クメール文字(クメール語)、ラテン文字(フランス語として)、キリル文字(ロシア語)、平仮名・片仮名(日本語)、など)
 ※徳川幕府による「朱印船」貿易(1601~):次の地域と交易があったとされる。
 ・「安南」(中興黎朝ハノイの鄭氏政権。「東京」(トンキン)とも)
 ・「交趾」(広南国フエの広南阮氏政権)
 ・「占城」(中部南端のパーンドゥランガに正統が移ったチャンパ王国)
 ※話し言葉としてのベトナム語は、系統的には南洋系のオーストロアジア語族に含まれるとされるが、現在では中国語の影響から、抑揚なども重要な表現として用いる「声調言語」となっている。
  ベトナム語の表記には、現在はラテン文字を使ったローマ字表記の [クォック・グー](Quốc Ngữ / 國語 ← 国語)のみが用いられるが、クォック・グーの導入以前は [漢字] のみが用いられた。
 ・ちなみにクォック・グーの起源は、1619-1630と1640年代にインドシナで活躍したカトリック教会(イエズス会)のフランス人宣教師アレクサンドル・ドゥ・ロードが
  ローマ滞在中に著した「ベトナム語-ラテン語-ポルトガル語辞典」(1651)とされる。クォック・グーへの制度的な移行は第二次大戦終結直後の1945年である。
 ※ベトナムで作られた独自の漢字は [チュノム](chữ Nôm / 𡨸喃)と呼ばれる。これは「南方の文字」という意味だとされる。
  [チュノム]の[チュ] に使われる漢字は、次に示す10通りが知られている。(【字】,【宁】,【佇】,【𡨸】,【𫳘】,【𫿰】,【𡦂】,【𪧚】,【茡】,【芓】)
  複数の文字による表記揺れがあるのは、チュノムの利用に関して[正書法]が整備されなかったためと考えられる。
  最も多用される【𡨸】などは、それ自体がベトナム製の[チュノム]である。ベトナム以外ではまず使われないため、[字]の文字を使って [チュノム]=[字喃] と書くことが多いが、これもまた正しい表記である。
  [チュノム]の[ノム] の漢字には【喃】もしくは【諵】が使われる。旁の[南]は[ベトナム](越南)の[南]にも通じ、偏の[口]や[言]は、口語や言語といった言葉を示すと考えられる。多用される文字は [喃] である。
 ※広い意味での漢字文(漢文)は [ハンヴァン](Hán văn / 漢文)とも呼ばれるが、チュノムを含んだ一般的な漢字表記となる「漢字チュノム混じり文」については [ハンノム](Hán Nôm / 漢喃)と呼ばれる。
  純粋な([科挙]などにも用いられる中国式の)漢文は「儒者の文字」「学者の文字」の意で [チュニョ](chữ nho / 𡨸儒)と呼ぶ。
  文字としての[漢字]は [ハントゥ](Hán tự / 漢字)と中国式に呼ばれるか、もしくはベトナム式に [チュハン](chữ Hán / 𡨸漢)とも呼ばれる。どちらも「中国の文字」の意である。
 ※言語としての呼称は「ベトナム語」(Tiếng Việt / 㗂越、中国語:越南語(越南语))もしくは(Việt Ngữ / 越語)、ベトナム国内では(Quốc Ngữ / 國語)でもよい。
  標準語は首都ハノイ周辺の北部方言である。他の方言としては、フエ市周辺の中部方言、ホーチミン市周辺の南部方言がある。新開地の南部へは北部から華人などの流入が多く3種の中では中部方言の差異が際立っている。
  ベトナム語における漢語・漢字語の語彙については「漢越語」(Từ Hán-Việt / 𡨸漢越、中国語:漢越詞(汉越词))という。
  なおベトナム語で用いられてきた中国由来の漢字は、伝統的な文字(いわゆる【繁体字】)のみであり、現代中国(中華人民共和国)で創られた簡体字は用いられない。
 ※[チュノム]はベトナム製の漢字、つまり日本でいう[国字]にあたるもので、「ベトナム国字」のように理解してもよい。
  中国語には無いベトナム語の語彙や複雑な発音を表記する文字であり、中国由来の漢字と比べて複雑なものも多く、またほとんどの時代の公式文書の表記は、漢文のみでチュノムは使われなかったとされる。
 ・チュノムも含めて漢文・漢字の習得は難しかったことから、一般庶民の識字率向上の妨げ、さらには権力者や知識階級との差別化の要因ともなっていたが
  ベトナム語に特有の複雑な発音を、単純な表音文字の羅列で表記できるよう工夫された、ローマ字表記[クォック・グー]の導入により、一般層の習得も平易なものとなっていった。
 ・現在のベトナムでは、チュノムを含めた漢字表記の使用は、現行制度上は「禁止」ではないものの「廃止」となっている。
  利用状況は、テト(旧正月)や中秋節などの伝統行事や仏事、冠婚葬祭などに限られるようになってきており、漢字を理解する者も、高齢者や研究者、書道家・仏僧など、かなり限定的となっている。
 ※現代ベトナム語の表記に使われるローマ字表記 [クォック・グー](Quốc Ngữ / 國語)は、1945年にベトナム語の[正書法]となっているが、前述のように、そのまま「(ベトナム)国語」の意味もある。
  正式には「チュ・クォック・グー」(Chữ Quốc Ngữ / 𡨸國語) という名称であり、特に正書法などの「表記法」についていう場合などにはこちらが使われることもあるが、一般には通称の [クォック・グー] で構わない。
 ・クォック・グーの表記に用いるベトナム語のアルファベットには、[á][ă][ễ][ô][ố][ự][ử][ữ] などの、ダイアクリティカルマーク(声調記号、分音符)付きの「合成済みラテン文字」が多用される。
  クォック・グーはラテン文字を使ったローマ字表記であり、その点では現在の中国国内での標準中国語などに用いられる「ピンイン」(漢語拼音)と同様で、声調の表現にダイアクリティカルマークを用いている。
  中国語の四声に対し、ベトナム語クォック・グーの声調記号は 1:(記号なし)、2:[`](グレイヴ)、3:[´](アキュート)、4:[ ̉ ](フック)、5:[˜](チルダ)、6:[ ̣ ](ドット) の6種となっている。
  クォック・グーではひとつのラテン文字に対してこれらの記号を場合によっては重層的に用いて異なる発音をあらわす。これらの「合成済みラテン文字」の中には、ベトナム語固有の文字となっているものもある。
 ※以上のように、ベトナム語の歴史的表記を含む表現を、日本語の文中でおこなうには数通りの方法があり、特にパソコン上で表現するには困難を伴う場合がある。
  たとえば [Quốc Ngữ] の [ố]や[ữ] といった「合成済みラテン文字」については、標準的な日本語環境ではキーボード入力が対応しておらず、該当する文字を拾ってくるなどの特別な処置が必要である。
  さらに [チュノム]の【𡨸】などは、Unicode 上では「CJK統合漢字拡張B」(U+20000~)以降の拡張領域に含まれるため、対応フォントが少なく、標準では表示すらできない状況に陥りやすい。
 ・ちなみに、現在のベトナムの首都[ハノイ]の旧称「トンキン(東京)」は、日本語では一般に片仮名で表記されて「トンキン湾」などでもよく知られるが
  実はフランス語 [Le Tonkin] 由来の読み方であり、実際のベトナム語では [Đông Kinh] であるので、片仮名にすると「ドンキン」となる、などの注意すべき点もある。
  中国のベトナムに近い地域(中国最大の少数民族チワン族(壮族)が居住する広西チワン族自治区(中華民国期は[広西省])の防城港市など)で使われる、ベトナム語が変化した方言は「京語」(Tiếng Kinh / 㗂京)という。
  これは「トンキン(東京)」の「京」を用いた名称であろう。(ハノイの旧称は時代により[昇竜](タンロン)や[東都](ドンドー)などもある。なお[ハノイ]の漢字表記は[河内](正式名称[城舖河內]:Thành phố Hà Nội)である。)
 ○主な文字集合…(クォック・グーのみならず、漢字やチュノムも(入力はともかく)[表示]はできる必要がある。)
         【VISCII】(1992~):(VISCII : Vietnamese Standard Code for Information Interchange)
         【TCVN 5712】(1993~):(ベトナム国家規格:TCVN : Tiêu chuẩn Việt Nam)
 ○主な入力方式…(名称不詳。通常はローマ字表記のクォック・グーだけで漢字は利用されないため、特殊な場合を除けばラテン文字入力のみで良い。ただし合成済みラテン文字については入力操作で変換できる必要がある。)




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